―――  ご近所物語 一週目――― 



1
久しぶりに帰って来たマンションのベランダで、見慣れない物が目に留まった。

――薄いピンク色の可愛らしいブラジャー。

今日は風が強かったから、上の住人の洗濯物が飛ばされたのだろとろうと、すぐに理解は出来た。
たが、しかし、どうしたものか。 ブラジャーだぞ。ブラジャー。こんなに気まずい落とし物はないぞ。
まだパンティーの方が畳んでしまえば、ただの布のように思えるからましだ。ブラジャーはどう畳んでもブラジャーだ。
せっかく煙草を吸いに出て来たのに、面倒な事に巻き込まれてしまった。
見なかった事にして、ベランダに放置しておくか。――いや、それはない。ベランダに出る度に気になってしまう。
それに、週一で来るハウスキーパーのおばさんに変な誤解をされるかもしれない。この部屋に女っ気は全くない。連れ込むような女もいない。
速水の屋敷に帰るのが面倒になった時に泊まる用のマンションだ。
 ブラジャーのデザインからして洗濯物を飛ばされたのは若い女性だろう。淡いピンク色に、ブラジャーのつなぎ目にリボンが付いている。おそらく二十代か。
そう言えば、上に誰が住んでるかなんて気にした事がなかった。マンションに泊まるのは週に二、三日ぐらいしかないし、帰宅時間も深夜を過ぎる事が多い。
だから上の住人の気配を感じる事はなかった。上の住人は若い女性だったのか。 どうする?届けに行くか?
三十過ぎのおっさんがこんな物届けに行ったら、気味悪がられるかもしれない。やっぱりやめておこう。管理人に渡せばいい。
だが、管理人は五十ぐらいのおやじだった。しかも好色そうな感じだ。住人の女性をいやらしい目つきで眺めていたのを見た事がある。
管理人からこんな物を受け取ったら上の住人が可哀そうだ。若い子はそれなりに感受性も強いし、管理人に託した俺の事を恨むかもしれない。
俺の身辺を調べて、大都芸能の速水真澄だと知り、ネットであらぬ噂でも流されたらとんでもない。若い子はすぐにネットに何でも書き込むから困ったものだ。
じゃあ、どうすればいいのか?このまま、この部屋に女物のブラジャーを置いておくのも気まずい。
そうだ!ポストだ。ポストに投函すればいいんだ。
だが、ポストにブラジャーが投函されていたら、気持ち悪くないか?
女の子が怖がったら気の毒だ。だったら一言「ベランダに落ちていました」というメモを添えれば大丈夫だろうか。
けれど、ベランダという言葉で303号室の住人がポストに入れたんだと気づくかもしれない。
できれば、上の住人と直接かかわりを持ちたくない。すれ違いざまに話かけられたりしたら面倒だ。 このマンションは一人になりたい時に帰ってくるのだ。
だから、自分とかかわりのない場所にマンションを借りた。このマンションにいる時は俺は大都芸能の社長でもなく、速水家の坊ちゃんでもなく、ただの男だ。
携帯電話の電源も切って、好きな音楽を聴きながら読書をして過ごす。俺にとっては至福のひと時だ。
 もしも、上の住人と関わるようになったら、ピンポーンとひっきりなし来て下らない世間話にでもつき合わされたらどうする?
挨拶程度ならいいが、それ以上の付き合いはしたくない。例え上の住人が物凄く好みのタイプの女性だったとしてもだ。
 はあー、ブラジャー一枚で俺は何を悩んでるんだ。たかが、ブラジャーじゃないか。でも、されどブラジャーだ。気まず過ぎる。
このまま持っていたとして、例えば税務署の査察で家宅捜索されて、この部屋も探された時にこのブラジャーが出て来たら俺はどんな顔をすればいいのか?
しかも、ブラジャーが出て来たタイミングで上の住人と出くわして、それを見られたら、あー、それ、あたしのブラジャー!とかって言われて、下着泥棒扱いでもされたらとんでもない。
いや、今の妄想は一番ありえない。税務署の出入り調査なんて受ける事はないし、家宅捜索を受けるような悪い事は何一つしてない。
 どうかしてる。今日は疲れてるんだ。あの子が、マヤが桜小路なんかと楽しそうに腕を組んで歩いてる所を見たせいだ。物事を悲観的に考え過ぎている。
 とにかく、ブラジャーは袋に入れておこう。確か紙の手提げ袋があった。水城君がくれたチョコレートが入ってたやつだ。
ほら、これで気にならない。ワインレッド色の紙袋の中に入れた瞬間、気が楽になった。チョコレートをつまみに今夜はブランデーでも飲むか。
 ブラジャーで狼狽えるとは、俺もまだまだだな。若い頃はよく目にしたが、最近は全くそんな機会がなくなった。
正直言って、女性と付き合う事が煩わしくなった。まめに会ってやらないとすぐに機嫌が悪くなるし、エッチだけで帰ると、体だけが目的なのねって、怒られる。
こっちはそんなつもりはない。忙しいから精一杯の愛情表現をしてるつもりだったが。かと言って、全く抱いてやらないと、やっぱり機嫌が悪くなる。
全く女ってのは、本当に手がかかって面倒だ。それでも二〇代の頃は同時に複数の女性とも付き合ってみたが。
今は全くそんな気にならない。女性と会う時間を捻出するよりも、マンションで一人になる時間を作りたい。
こんな風に考えるようになったのも、マヤに会ったからかもしれない。
―― 北島マヤ。俺にとって一生手の届かない高嶺の花。彼女の母親を結果的には殺してしまった俺は、気持ちを伝える事は許されない。
母親の死から10年が経つが、彼女は今でも俺の事を恨んでるだろう。恨まれて当然だ。彼女を早く有名にしたかったばかりに、俺は病気の母親を長野の療養所に閉じ込めた。
療養所を逃げ出した母親は事故に遭い死亡した。俺があんな事をしなければ、マヤは今も母親と一緒にいられたかもしれない。
俺に出来る事は匿名の紫の薔薇を贈り続ける事だけだ。しかし最近、マヤが俺の事を勘づいているような気がする。俺の前で何かと紫の薔薇の人の話をする。
どうしても会いたいと言われ続け、俺は正直、揺れてる。
だが、正体を明かしていいんだろうか。マヤとのたった一つの絆を失いそうで怖い。本当に俺だとわかった時、マヤは――。
 酒が欲しい。酔ってしまえば余計な事を考えないで済む。しかし、すきっ腹に酒というのも健康によくない。
社長として健康には気をつけなければならない。俺の肩に社員の生活が乗ってるのだ。健全な体があってこそ、冷静な仕事ができるってものだ。
  よし、パスタでも茹でるか。確か先週の残りがあったはず。 冷蔵庫を見たら、玉子とベーコンと、粉チーズに、生クリームがあった。
ハウスキーパーの吉井さんが買っといてくれたものだ。 料理も息抜きの一つだ。屋敷ではいつもコックが作った料理を食べているが、偶には気楽なものも食べたくなる。
例えば、自分で適当に作ったカルボナーラ。簡単だし、上手い。母さんがよく作ってくれた。
 スーツから着心地のいいコットンシャツとチノパンに着替え、キッチンに立った。気分よく、ボウルの中で玉子と粉チーズと生クリームを合わせていたら、インターホンが鳴った。
宅急便か?全く料理中なのに。鍋にかけてる火を小さくしてから、ドアホンを取った。モニターに映し出された顔を見て思考が止まる。よく知ってる人物が映っていた。
どうしてだ。どうして彼女がここにいる?何しに来たんだ? インターホンがもう一度鳴る。反射的に「はい」と出てしまった。

「あの、先週上の階に引っ越して来た北島です。引っ越しのご挨拶がまだだったので」  

俺は夢でも見てるんだろうか。こんなに都合よく好きな女が上の部屋に引っ越してくる事なんてあるのか?これは誰かのイタズラか?例えば水城くん辺りが仕組んだとか。
でも、水城君がなんでマヤまで使ってそんな手の込んだ事をするんだ?確かに残業が多くて早く帰せていなかったが、部下に恨まれる程、嫌な上司ではないはず。
それに、聡明な水城君はそんな子供じみたイタズラはしない。

「あのー、挨拶の品を持って来たんですが、よろしいでしょうか」  

インターホンからマヤの困ったような声がした。

「いや、あの、今、手が放せないんだ。申し訳ないけど、ポストにでも入れといてくれますか?」

マヤに会う心の準備が出来てなかった。いきなり過ぎて、どうしていいかわからない。それに俺が下の部屋に住んでるとわかったら、マヤはすぐに引っ越してしまうかもしれない。

「お忙しい所、すみません。わかりました。ポストに投函させていただきます。どうぞ、よろしくお願いします」

礼儀正しい挨拶の後に、玄関ドアのポストにカタンと何かが落ちる音がした。部屋の前までマヤが来てた事に、鼓動が早くなる。

リビングのドアを開け、廊下を走って、ドアのポストを開けた。中にはピンク色の可愛らしい包装紙があった。
包を解いてみると、イチゴ柄のフェイスタオルが出て来た。何とも可愛い趣味だ。マヤらしい。つい頬が緩む。

あ!という事は、あのブラジャーの持ち主は……マヤか?

とんでもない事実に体が熱くなってくる。ますます、返しづらい。まだ面識のない他人の方が良かった。どうしたものかと、腕を組んでいると、キッチンからタイマーが聞こえて来た。
いかん。パスタを茹でてたんだ。  慌てて鍋の前に行き、パスタを取り出すが、茹で過ぎたパスタは芯がなくぐったりしてた。アルデンテとはとても言えない状態だ。
マヤに対しての動揺が読み取れる。いかんな。と思いつつも、すぐ上に好きな女が暮らしている事はそんなに悪い事じゃない。むしろ喜ばしい。
とりあえず、メシにしよう。

2

「マヤちゃん新居はどう?」
 
 テーブルの向こうの水城さんが思い出したように口にした。
今日は水城さんと二人だけで居酒屋に来ている。麻布十番にある地鶏料理が名物の店で、窓際のテーブル席に私たちはいた。
水城さんとは時々、二人だけで飲む事がある。大都芸能にいた頃、水城さんは私のマネージャーをしてくれていた。
頼りになる大人の女性という印象は十年経った今でも変わらず、水城さんと話しているといろいろな発見がある。

「とってもいい所で気に入ってます。水城さんに紹介してもらった不動産屋さんも親切でいい方でした」
「それだけ?」
 水城さんが好奇心いっぱいの目で見てくる。
「それだけって?」
「ご近所には挨拶に行ったんでしょう?」
「はい。一週間前に。水城さんのアドバイス通り、下の階の人の所にも行きましたよ」
「全員に会えたの?」
「はい」
「それで?」
 水城さんの目がキラキラと輝く。
「それでって?」
 水城さんが驚いたような表情を浮かべる。
「あの方に会わなかったの?」
「あの方?」
「とぼけてるの?それとも、本当に会ってないの?」
 水城さんがじっと見てくる。
「一体、何の事ですか?」
 水城さんの言いたい事がわからず、眉が寄る。
「まあ、いいわ。これ以上は私が言う事でもないものね」
 水城さんが何かを納得したように微笑を浮かべ、空になった私のお猪口に日本酒をついでくれた。
「えー、水城さん、気になります。一体何ですか?あのマンションに凄い人が住んでるんですか?」
本格的に気になってきた私は納得がいかない。
「マヤちゃん程、有名な人は住んでないわよ。紅天女女優として、今や北島マヤの事を知らない人はいないわよね。
テレビ番組にもちゃんと出てえらいじゃない。この間のトーク番組、面白かったわよ。社長も見たって言ってたわ」
「え、速水さんも見てたんですか」
 司会の人の質問に答えるのがやっとで、気のきいた事は何も言えてなかった。
 速水さんに見られてたなんて恥ずかしく死んじゃう。絶対、次に会った時にまたバカにされる。
「紅天女の話が良かったって言ってたわよ。私もいいと思ったわ。演劇に対する真っ直ぐな気持ちが伝わってくる話だったと思う」
「……ありがとうございます」
 照れくさい気持ちを飲み込むように酒を飲んだ。甘口の純米吟醸酒が口の中に広がった。
「でも、魂の片割れの話は、マヤちゃん真っ赤だったわね」
「だっていきなり、北島さんの魂の片割れの人はいるんですか?なんて聞かれたんですよ。恥ずかしくて答えられませんよ」
「ご想像におまかせしますとかって、言えばいいのに」
「そういう気の利いた事が言えないんです。だから、トーク番組って怖いんです。ドラマの方がよっぽど気楽です」
「それで、魂の片割れの人とはどうなってるの?」
 水城さんの言葉に顔が熱くなる。
「どうって、別に……」
「本当、あなたたち、見てて歯がゆいのよね。気持ちは通じ合ってるんでしょ?」
「わかりません。あの時、ワンナイトクルーズに出た時はそうだと思ったんですけど、その後いろいろあって、
速水さんとはその事について話せてませんから。もしかしたら私の事なんてもう……」
 いつか伊豆の別荘に招待してくれると言ったきり、速水さんからは何もない。あれからもう三年近く経つのに。ため息が出た。
「でも、社長は婚約を解消して今は一人なのよ。どうして婚約を解消したか、あなたはわかってるでしょ?」
「……わかりません」
「ああ、いじけちゃった」
 水城さんがクスリと笑う。
「いじけますよ。だってあの人、会えばケンカの種になるような事ばっかり言うんですよ。ここが悪い、あそこが悪い。もっと上手いコメントは言えないのかとか」
「マヤちゃんが心配なのよ」
「だったら、大都芸能に入れてくれれば良かったのに。うちにだけは入れられないって、酷いじゃないですか」
「それが婚約解消をする条件だったのよ」
「え」
 驚いて水城さんの顔を見た。
「知らなかったの?」
 私は頷いた。
「社長らしいわね」
 水城さんが呆れたように笑う。
「どういう事ですか?」
「だからね、北島マヤを大都芸能に入れない事と、紅天女の上演権を大都芸能は手に入れてはいけないという事が絶対条件だったの。
紫織様としてはその条件を社長が飲むとは思わなかったんでしょう。上演権を手に入れる事は親子二代に渡る野望だってご存知だったから。
でも社長はあっさり飲んだのよ。会長は当然、大激怒だったけど」
「そんな……」
 知らなかった事実に胸が痛くなる。
「社長が紅天女の上演権を欲しがっていたのはあなたもよく知ってるでしょ」
「はい。だから私、速水さんに上演権を渡そうとしたんです」
「出来ないって言われたでしょ」
「はい。月影先生の意志を継ぐ君がしっかり持ってなきゃダメだって説教されました」
 水城さんが笑う。
「そんな理由があったなんて一言も言ってくれなかった」
「あなたに余計な心配をかけたくないんでょう」
「私って、そんなに頼りないですか?」
「そんな事ないわよ。男ってね、好きな女性の前ではカッコつけたくなるのよ」
 水城さんはそう言ってグラスを傾けた。
「婚約解消の条件はもう一つあるのよ。聞きたい?」
 水城さんが私をじっと見る。私は大きく頷いた。

 次の日は朝からドラマの撮影があり、一日中テレビ局のスタジオにいた。トーク番組よりもドラマの方が好きだとつくづく思う。
 私が演じる役は熱血弁護士で、依頼人の為に事件の真相を解いていく探偵みたいな役割もあった。そして、依頼人とも恋に落ちるという展開もついている。
 今日はキスシーンがあった。相手役は私より一回り年上の俳優だった。イケメン俳優として人気のある人で、大人で優しい印象だ。
そして、ちょっとだけ速水さんに似てる。声とか身長とか。
 今回、初めての共演だったけど、最初から彼とは話しやすかった。撮影も半分以上終わり、今日のキスシーンも全く抵抗はなかった。速水さんの姿を見るまでは。
 速水さんがスタジオにいるとわかったのは、まさにキスシーンを撮ろうとしている時だった。リハーサルが終わって、本番を迎えて私は速水さんの見ている前で、キスをした。
リハーサルの時は何とも思わなかったのに、相手役の人とキスした瞬間、顔が強張った。突き刺さるような視線を感じて胸が痛くなる。
OKの声がかかり、速水さんがいた方を見ると、スタジオを出て行く後ろ姿が見えた。
 私は速水さんを追いかけた。スタジオを出てすぐのエレベーターの前で「速水さん」と声をかけた。速水さんは秘書らしき男性と一緒だった。
 速水さんはいつもの仏頂面を私に向けて「やあ、ちびちゃん」と言った。
 速水さんの表情からは何の感情も読み取れない。そういう時は大抵、怒っている時だと水城さんに教えてもらっている。
「速水さん、ちょっとこっちへ」
 私は速水さんの手を掴んだ。
「いきなり何だい?」
 速水さんは不機嫌そうに私を見る。
「二人だけで話したい事があるんです」
 速水さんが意外そうに眉をあげた。そして秘書の人に先に行っててくれと頼み、速水さんは私を見た。
「10分だぞ」
「それで結構です」
 私は速水さんの手を引っ張り、目の前のエレベーターに乗った。
 上の階に誰も来ない部屋があった。休憩時間はときどき一人でそこに行く事をエレベーターの中で速水さんに話した。
私の話を聞くと速水さんは「ちびちゃんの隠れ家か」と可笑しそうに笑った。
 速水さんの笑顔を見てほっとする。怒ってるような気がしてたけど、気のせいだったかもしれない。
 速水さんがキスシーン一つで腹を立てる訳ないか。
「どうした?」
 速水さんを見て笑ったので、速水さんが不思議そうな顔をする。
「何でもありません」
 私はそう言ってエレベーターを降りた。
「こっちですよ」
 速水さんの手を取って部屋まで歩いた。

 その部屋には長いテーブルとパイプ椅子が四つあるだけだった。殺風景な風景だけど、窓の外の景色は良かった。
二十階から見下ろす街の景色と青空は絵葉書のように見えた。今日は青空が広がっていた。遠くの方に薄く富士山も見える。
「あそこに富士山が見えますよ」
 私の言葉に速水さんが興味深そうに窓の側に立った。
「どこだ?」
「あそこ、ほら、東京タワーの先に見えませんか?」
 速水さんが目を細める。
「ああ、あれか」
「天気のいい日は時々見えるんですよ。なんかそれだけでラッキーな気がして」
「俺に富士山を見せたくてこんな所に連れて来たのか?忙しんんだ。勘弁してくれ」
 速水さんがうんざりしたようなため息をついた。
 せっかく速水さんに会えて嬉しかったのに、弾んでいた気持ちが萎む。
「一ヶ月ぶりですよね」
「え?」
 速水さんが私を見た。私は顔をあげてまっすぐに速水さんを見返した。
「久しぶりに会えて私は嬉しいのに。速水さんは嬉しくないんですか?それにいつも全然二人きりになんてなれないし」
 速水さんと会う時はいつも偶然で、テレビ局とか、何かのパーティとか、誰かの舞台でだった。会っても立ち話を少しするぐらいで、いつも周りに人がいた。
「君がそんな事を言うなんて意外だな。俺に会うといつも迷惑そうな顔をしてるじゃないか」
「それは速水さんがいろいろとお節介な事を言うから」
「お節介だと?君の為にアドバイスをしてやってるんだ。君は女優として芝居以外は全くダメだからな。この間だって、トーク番組でしどろもどろになってたじゃないか」
「私は女優ですから。お芝居以外の事は下手なんです」
「それでは女優としてやっていけんぞ。ああいう番組に出る事も女優の仕事だ。普段、芝居を見ない人たちに興味を持ってもらうチャンスなんだぞ」
「やっぱりお説教になるんですね」
 急に悲しくなる。速水さんは大事な事は何も言ってくれない。ため息がこぼれた。
「もういいです。貴重な時間を割いて頂きありがとうございました」
    速水さんは女優の私にしか興味がないんだ。
 速水さんに背を向けた。
 後ろでコツコツと革靴の音がした。速水さんが行ってしまう。そう思った瞬間、胸がしめつけられた。
「速水さんっ!」
 振り向いて速水さんの名前を口にした。
 速水さんはドアの前で立ち止まった。私は速水さんの大きな背中に抱きついた。
「マヤ……!」
 速水さんが驚いたように私に首を向けた。
「言いたい事はこんな事じゃなかったの。昨日、水城さんに会っていろいろ聞いてたら、胸がいっぱいになって。
速水さんが婚約を解消する為に紅天女の上演権をあきらめた事とか、私を大都芸能に所属させない事とか……。
私、何も知らないで速水さんに上演権を渡そうとしたり、大都芸能に入りたいって言ったりしたから、
速水さんを困らせてたんだって思ったら何だか苦しくなって……それで、あの、ごめんなさい」
 速水さんに申し訳なくて涙が溢れた。
「速水さんにごめんなさいって、謝りたかったんです」
 速水さんが私の方を向き、ため息をついた。
「聞いたのか」
「はい」
「聞いた条件はそれだけか?」     
速水さんにじっと見つめられ、「はい」と頷いた。     
「そうか」     
 速水さんがホッとしたように口にした。
「君が気にする事じゃない。俺と紫織さんとの問題だ」
 線を引かれたような言い方に寂しくなる。
「そろそろ行くよ。秘書を待たせてるんだ」
 速水さんが背を向けて行ってしまう。このまま二度と会えない気がして急に怖くなる。
 私は速水さんの腕を掴んだ。
「まだ何かあるのか?」
 速水さんが不快そうに眉を寄せる。
 私は速水さんに一歩近づき、つま先立ちをした。思い切って速水さんの唇にキスをした。
 好きだって気持ちを込めて。
 元の位置に戻って速水さんを見上げると、速水さんが信じられないものを見るような目で見ていた。
 気まずい空気が流れた。
「き、キスシーンの練習です。速水さん、相手役の俳優さんと身長が同じだから」
 それだけを何とか言い、私は速水速水さんから逃げるように部屋を出た。
 

つづく


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【後書き】
お久しぶりでございます。今回は電子版の同人誌用に書いていた作品をアップしました。
続きはこれから書きます(苦笑)
気楽に読めるラブコメディの予定です。

2017.11.27
Cat

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