―――  ご近所物語 4――― 




1

そろそろ寝ようと思った時、インターホンが鳴った。壁時計を見ると午後十一時を過ぎている。
一体誰だこんな遅い時間に。
読みかけの本をテーブルの上に置いてモニターを見た。

えっ!マヤ!

こんな遅い時間に何かあったんだろうか。心なしか怒ってるような気もする。

ピンポーン。

ピンポーン。

ピンポーン。

ピンポーン。

ピンポーン。

部屋中にインターホンが鳴り響いた。
モニター越しのマヤの表情がボタンを押す度に険しくなっていく。
間違いなく怒ってる。
だが、身に覚えがない。先ほどベランダで話をした時は彼女はとても楽しそうだった。
あれはほんのニ時間ぐらい前だ。
一体、この二時間でマヤに何があったのか。
腕を組んで考えてみるがしっくりくる考えが浮かばない。
とりあえずこのままにしては置けない。

「北島さん、どうされました?」

インターホンに出ると、マヤがハッとしたような表情を浮かべた。
そしてみるみるうちに涙でいっぱいになった。ただ事ではない様子に心配になった。

「どうされました!?」

マヤが俯いた。両手で顔を被い泣きじゃくってるように見えた。
ますます心配になった。何かとてつもなく嫌な事が彼女の身に起きたのだろうか。まさか部屋に泥棒が入ったとか……。
 泣いてるマヤを放っておけない。リビングを出て廊下を進み、玄関ドア前に立った。
ドアノブに触れた時、パタパタと走り去っていく足音がした。ドアの外にマヤはいなかった。
 心配で堪らなくなる。明らかにマヤは普通の状態ではなかった。
 全力でエレベーターまで走った。エレベーター前まで来ると目の前で扉が閉まった。下って行くエレベーターを見てさらに心配になる。
マヤが乗ってて泣きながら外に出て行く姿が浮かんだ。そんな状態で外に出て事故に巻き込まれたら大変だ。
 エレベーター脇の階段を一階まで一気に駆け下りた。
一階にたどり着くと、ほぼ同時にエレベーターから人が出てくる。乗っていたのはマヤではなく同じ階に住む中年のおやじだった。
ちっと、舌打ちしおやじが乗って来たエレベーターに乗り、四階の階数ボタンを押した。
マヤが部屋に戻ってる可能性の方がある気がした。
どうかマヤが部屋にいるように。四階に着くまでずっと祈ってた。


 四階の静かな廊下を歩き、金の縁取りがされたネイビーブルーのドアの前に立った。
 インターホンを押すと、ドアの向こう側に小さな足音のようなものが聞こえた。
「はい」
 マヤの声が出てホッとする。
「はや……」
 早川と言いかけてハッとした。俺の姿は今、マヤに丸見えだ。
「速水だ」
 返事の代わりに廊下をバタバタと走るような音がした。
 ガチャリと目の前のドアが開いてグレーのパーカー姿のマヤが出て来た。
 無事な姿を見て安堵した。
「良かった」
 心の声が思わず出た。
「何がですか?」
 マヤが不審そうに眉を寄せた。
「いや、何でもない」
「どうぞ」
「君の姿を見に来ただけだから帰るよ」
「どうぞ」
 怒ったようにマヤが言った。
 その態度は何か言いたい事があるように見えた。
「わかった。じゃあ少しだけお邪魔しよう」
 仕方なく部屋に上がった。
 俺の部屋と同じ間取りのリビングに通され、ソファに座った。
 マヤはキッチンに立ちお茶を淹れ始めた。
 自分の服装を見てハッする。風呂上がりだったのでスーツではなく、灰色の上下のトレーナーを着ていた。
 革靴を履いて来たが、自宅から飛び出て来たような恰好だった。
 ジョギングの帰りだとでも言えば信じてくれるだろうか。
 いや、だったら足下はスニーカーの方が良かった。上下のトレーナーに革靴なんてありえない。
 それにコートも着てなかった。十二月に、しかも深夜にいくらなんでも薄着だ。今日は冷蔵庫の中と同じぐらいの気温だ。
「コートとかなくて寒くなかったんですか?」
 俺の前に茶を置いたマヤが言った。
「ジョギングをしてたから着て来なかったんだ」
「革靴でジョギングですか?」
 マヤにしては鋭い質問に冷や汗が出た。
 俺は曖昧に微笑み、誤魔化すように熱い茶をすすった。
 マヤがため息をつき、窓際に立った。
「私、あなたに怒ってるんですよ。早川さん」
 持っていた湯呑を落としそうになった。
 なるほど、早川=速水だとわかったから怒ってたのか。
 理由がわかって気が緩んだ。彼女が他の嫌な事に巻き込まれてなくて良かった。
「なんで嘘をついたんですか?最初から速水さんだって言ってくれれば良かったのに」
 細い肩が小さく揺れていた。マヤは懸命に怒りを堪えてるように見えた。
「私、すっかり騙されてバカみたい」
「マヤ……」
「速水さんに会いたくて堪らなかったの!」
「俺も会いたかったよ」
「嘘!」
「嘘じゃない」
 ソファから立ち上がりマヤの後ろに立った。
「嘘よ!」
「嘘じゃない」
 背中からマヤを抱きしめた。
「会いたかった」
 マヤの耳元で口にした。
 マヤが驚いたように俺の顔を見上げた。
 大きな瞳には涙が浮かんでいた。
 泣かせてしまった事に胸が痛くなった。
「マヤ、ごめん」
 親指で涙を拭い、振り向いた彼女を抱き締めた。
「本当に頭に来たんだから」
「すまない」
「めちゃめちゃ怒ってるんだから」
「申し訳ない」
「速水さんは私の事、嫌いなんでしょ?私と関わりたくないから嘘ついたんでしょ?」
「違う。君の事を嫌いな訳ないだろ」
「じゃあ、キスして下さい」
 マヤが挑むように真っ直ぐ俺を見た。
「わかった」
 唇を軽く合わせるだけのキスをすると、マヤが俺の首に腕を伸ばし強引にキスをしてくる。
 全身で求めてくるような深いキスだった。
 彼女の苛立ちとか、やるせなさとか、そういう感情が詰まっていた。
 フローリングの床に押し倒され、馬乗りになったマヤがさらに激しく唇を重ねてくる。
 最初はマヤを騙した罰なんだとされるがままになっていたが、感情が抑えられなくなり、マヤを下にして、俺から唇を重ねた。
 ずっと触れたかった。ワンナイトクルーズで想いが通じてから、マヤを求めない日はなかった。
「速水……さん」
 マヤが苦しそうに吐息を漏らした。
「俺だって君が欲しかったんだ」
 マヤが頬を赤く染め、強く俺の背中を抱きしめた。
 愛しくて堪らない。
 思いの丈を込めて強く抱きしめ返した。
 若草物語のベスを見てから彼女に惹かれた。四十度の高熱で舞台に立つ姿に胸が熱くなり、感動を伝えたくて初めての紫の薔薇を贈った。
 情熱を持って舞台に立つ彼女がいつも眩しく見えた。
 最初は単純にファンとして舞台の上の彼女を見るのが好きだった。
 しかし、長野の山荘で紫の薔薇の人として彼女に会った時、違う想いがある事に気づかされた。
 彼女に抱きしめられた瞬間、愛しくなって抱きしめた。
 大都芸能の速水真澄として抱いてはいけない気持ちだった。
 だが、気づいてしまった想いは止める事が出来ず、それ以来、彼女に会う度に想いが深くなった。
 彼女が大人になるのを心のどこかで待っていた。
 けれど、彼女の母を死なせてからは俺の気持ちは一生口にしはいけないものになった。
 俺に出来る事は紫の薔薇を贈り続け、成長を見守る事だけだ。
 だから、仕事と割り切って婚約をした。永遠にマヤと一緒になれないなら誰と結婚しても同じだからだ。
 しかし、マヤも同じ気持ちだった事を知り、考えを変えた。
 マヤが俺を求めてくれるなら、俺の手で幸せにしてやりたい。
 婚約解消の条件は簡単に飲めるものではなかったが、マヤと一緒になる為に飲んだ。
「好きだ」
 大きなマヤの瞳が驚くように揺れた。そして嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「私も、大好き」


 携帯電話が鳴っている。まどろみの中でそう思った。
 頭の上をまさぐり、電話を見つけた。
「もしもし」
「……社長?」
 驚いたような水城君の声がした。
「水城君か」
「どうして社長がマヤちゃんの携帯に出るんですか」
「マヤの携帯?」
 一気に目が覚めた。無意識に取った携帯電話は俺のではなかった。
「マヤちゃんと一緒なんですか?」
 隣を見ると安らかな顔をして寝ているマヤがいた。
 俺はマヤと同じベッドにいた。
「ああ」
 気まずくなった。
「おめでとうございます」
 全てを察したように水城君が言った。
「……ありがとう」
 照れくささを隠すように言った。
「マヤちゃんが起きたら教えてあげて下さい。今日から社長と一緒にいて大丈夫ですよって」
「今日からって……ああ、そうか。紫織さんとの約束が終わったのか」
「今日はお休みを入れておきましたので、ご自由にお過ごし下さい」
「水城君、君は本当によく気が回るな」
「秘書ですから」
「マヤを俺と同じマンションに引っ越させたのも君の仕業だろう」
「さあ、何の事でしょう」
 水城君が笑った。
「君は本当に有能な秘書だよ。ありがとう」
 そう言って電話を切った。
 カーテンの隙間から朝陽が漏れていた。
 携帯電話の表示を見ると午前七時だった。
 今日一日マヤと一緒にいられる。隣で眠るマヤを見ながら幸せな気持ちになった。


2
 伊豆の別荘に行こう。速水さんにそう言われて車で伊豆に向った。
 ハンドルを握る速水さんはずっと冗談ばかり言ってる。速水さんてこんなに明るい人だったけ。
ちょっとびっくりしながら速水さんを見てると、今日は大人しいんだな、なんて言われた。
「それって私がいつも騒がしいって事ですか」
「違うのか?」
「速水さんと出会う前は大人しかったんです」
「じゃあ、俺のせいで騒がしくなったというのか」
「そうですよ。速水さんが意地悪な事ばかりするから」
 速水さんが豪快に笑った。
「確かにさんざん君を苛めたな」
「ええ、いじめられました。月影を潰したり、母さんを隠したり」
 母さんの事を口にしてハッとした。これは言っちゃいけない事だった。
 速水さんの表情が傷ついたようなものに変わった。
「ごめんなさい。母さんの事はもう気にしてませんから。速水さんも気にしないで」
「いや、俺は許されない事をしたよ。一生君に恨まれても仕方ないと思ってる」
「もう恨んでも、憎んでもいませんから」
「そう言ってもらえると気が楽になる。だけど俺が自分を許せない」
「速水さん……」
 速水さんは黙ったまま運転を続けた。
 これ以上、余計な事を言って速水さんを傷つけるような事をしたくなかったので、私も黙った。
 別荘に着くまで一時間以上、互いに黙ったままでいた。
 

 速水さんの別荘は聞いてた通り、崖の上にあって太平洋を一望する事が出来た。
 別荘に入ってテラスに出ると、冷たいけど心地いい海風と波の音が聞こえた。どこまでも広がる海は見ていて飽きなかった。
「ここが速水さんの隠れ家?」
 隣に立つ速水さんを見た。今日の速水さんはタートルネックのセーター姿だ。
 スーツ以外の速水さんは珍しい。昨日も上下のトレーナーで戸惑ったけど。
「そうだ。夜は星がよく見える。海しかないからな」
「夜も楽しみです」
「夜か」
 速水さんが呟いた。何だか気が乗らなさそうに見えた。
「でも、明日お仕事ですもんね。そんなに遅くまではいられませんよね」
「そうだな」
 速水さんが心ここにあらずという感じで頷いた。
 私を連れて来た事に後悔してるんだろうか。
「ちょっと浜辺を散歩して来てもいいですか?」
「遠くまでは行くなよ」
「はい。迷子にならないようにします」
 速水さんが優しく笑った。けれどその笑顔はどこか無理してるように見えた。
 本当は速水さんと一緒に行きたかったけど、言い出せなかった。


 ダッフルコートを着てブーツで浜辺を歩いた。午後の柔らかな日差しがあったので思っていたより寒くない。
 歩きながら速水さんの事を考えた。母さんの事を口にしてから、速水さんは浮かない顔をしていた。
 もしかして速水さんは私の事が嫌になったのかな。なんて弱気になる。
 そんな事ない。だって昨日の速水さんは物凄く優しくて、情熱的だった。愛してるって何度も言ってくれた。
 なのに、なんで不安なんだろう。速水さんがいなくなっちゃうような気がするのはどうしてだろう。
 幸せなはずなのに、ため息がこぼれた。
 速水さんはいつも助けてくれるけど、速水さんが抱えている問題とか、辛さとか何も言ってくれない。
 水城さんから速水さんが婚約を解消する為に厳しい条件を突きつけられた事を聞いた時は申し訳なくなった。
 あんなに欲しがってた紅天女の上演権を手放すなんて、どれほど辛かっただろう。
 そのせいで速水さんは大都グループの後継者という立場を失ったという事を桜小路君から偶然聞いた。
 速水さんは大都芸能も辞めさせられるかもしれないと、言っていた。速水さんが会社で厳しい立場にいる事が想像出来た。
 そんな事、速水さんは一言も言ってくれない。
 婚約を解消したのはきっと私のせいだ。私が速水さんを好きだから。
 私は速水さんに何が出来るだろう。芝居の世界しか知らなくて、いつも速水さんに守ってもらって……。
考えれば考えるほど、力のなさを思い知らされる。だけど、速水さんの力になりたい。
守ってもらってるばかりじゃイヤだ。私だって速水さんの力になりたい。
 ふと周りを見ると別荘が全く見えない所まで来てた。
 あれ?どっちから来たんだろう。後ろを見ても前を見ても同じ景色が続いている。
 目印になるようなものが何もなく帰り道がわからなくなった。
 考え事をして歩いてたので、どっちの方向から歩いて来たのかもよくわかっていない。
 自分の足跡を辿って帰ればいいけど、波が消してしまったようで何も残ってない。
 多分、こっちと後ろを向いて歩き出した。
 だけど、歩いても歩いても別荘は見えて来ない。
 こんな事なら携帯電話を持ってくれば良かった。すぐに戻るつもりだったから何も持ってない。
 辛うじて腕時計だけはしていた。
 もう午後四時を過ぎていた。別荘を出て二時間が経っている。
 速水さんが心配してるかもしれない。
 急ぎ足で進めば進む程、間違った方向に進んでいる気がする。
 このままたどり着けなかったらどうしよう。
 陽が沈むまであと一時間しかない。辺りに外灯のようなものは何も見えないから、夜になったら益々帰れなくなる。
 小さな子供みたいに心細くなった。気を抜いたら泣いてしまいそう。
 本当に迷子になるなんていい年して何やってるんだろう。
「マヤ!」
 後ろから声がした。
「マヤ!!」
 さらに声が大きくなった。
 振り向くと速水さんがこっちに向って浜辺を走ってくる。
 風になびく黒いコートがヒーローが着けてるマントのように見えた。
「マヤ!」
 すぐ近くまで来るといきなり抱きしめられた。
「こんな所まで来てたのか。探したんだぞ」
 息を切らせながら速水さんが言った。
「遠くまでは行くなよって言ったのに。君は言いつけを守らないんだな」
「ごめんなさい……来た道がわからなくなって」
「迷子になってたのか?」
「はい」
 呆れたように速水さんがため息をついた。
「帰ろう」
 速水さんに手を引かれ、私が向っていた方向とは逆に浜辺を歩いた。


 別荘に着くと陽は完全に沈んで辺りは真っ暗だった。速水さんに会えなかったらまだ浜辺を彷徨っていたかもしれない。地面に埋まりそうな程、落ち込んだ。
 玄関の鍵を開けると、速水さんは何も言わずにズンズンと部屋に入っていく。
 リビングのソファに足を組んで座り、速水さんは「疲れた」と言ってため息をついた。そんな速水さんが少し怒ってるように見えた。きっと私が心配をかけたからだ。
 どこにいたらいいかわからず、部屋の隅に立った。宿題を忘れて廊下に立たされたような心境だった。
「何やってるんだ?」
 一息ついた速水さんが私を見た。
「どこに座ったらいいかわからなくて」
 速水さんが笑った。
「好きな所に座ればいいだろう。君も疲れただろう」
「はい」
 思いの他、速水さんの声が優しくて、頷いた瞬間ぶわっと涙が溢れた。
「どうした?」
 速水さんが心配そうな顔をした。
「何でもありません」
 涙を指で拭いて、速水さんから一番遠いソファに腰かけた。
「君って子は本当に手間がかかるな」
 速水さんがティッシュケースを持って近くに来た。
「何でもないって顔してないぞ」
 ティッシュで涙を拭いてくれた。
「でも、何でもないんです」
「相変わらず、意地っ張りだな」
「意地なんか張ってません」
「張ってるよ」
「張ってませんたら」
「わかった。わかった」
 そう言って速水さんがあやすように抱きしめてくれた。
 煙草とコロンの混ざった速水さんの匂いがした。大好きな匂いだ。
「夕飯は近くのシーフードレストランでも行こうと思ってたけど、マヤの手料理が食べたいな」
 甘えるように速水さんが言った。
 初めて速水さんにそんな事を言われて嬉しくなる。
「あんまり上手じゃないですけど、いいんですか?」
「ああ、君が作ってくれるならお茶漬けだって上手く感じる」
「玉子焼きぐらいは焼けますよ」
「それは楽しみだ」


 速水さんと一緒にキッチンに立った。
 冷蔵庫には玉子、ベーコン、バター、ケチャップが入ってた。野菜は玉ねぎがある。後はパックになったご飯が二つあった。
「オムライスだったら出来そうですけど」
「丁度食べたいと思ってた所だ」
「じゃあ、作りますね」
「うん、頼む」
 フライパンなどの調理器具を出すと、速水さんはダイニングテーブルの前に座った。
 対面式のキッチンだったので、速水さん姿が目に入った。
 速水さんは玉ねぎの皮をむく私をじっと見ていた。
「そんなに見ないで下さい。何か緊張します」
「見たいんだ。君が好きだから」
 手の中の玉ねぎが滑って大きな音を立ててシンクに転がった。
「もうっ、急に変な事言わないで下さい。料理に集中できないでしょ」
 恥ずかしさで胸がいっぱいだった。
 速水さんがあははと楽しそうに笑った。
 それからも速水さんの視線を感じながら何とかオムライスを作った。
 ダイニングテーブルで速水さんと並んで食べた。
「お腹がすいてると何でも美味しく感じるな」
 速水さんの言葉にムッとした。
「素直に美味しいって言えないんですか?」
「褒めたんだけどな」
「どこかですか」
「美味しいよ。ちょっとジャリっとしたけど」
「えっ!卵の殻が入ってたんですか。すみません」
「冗談だ」
「酷い!本気で心配したのに。やっぱり速水さんて意地悪」
「好きな子の事はいじめたくなる性分なんだ」
 今度は顔が熱くなった。
「もう、そういう冗談はやめて下さい」
「冗談じゃないぞ。君の事が本当に好きなんだ。そうだ。夕飯の後は一緒に風呂に入ろう」
「えっ!」
「何驚いてるんだ。昨日、俺の裸をさんざん見ただろう」
「でも、無理です。一緒にお風呂に入ったらドキドキし過ぎて心臓止まっちゃいます」
「今日は浜辺を歩き回って疲れたな」
「それは、本当に申し訳なかったです」
「一緒に君と風呂に入ったら疲れが取れると思うんだがな」
「でも、もう帰るんでしょ?お風呂は帰ってからの方がいいんじゃないですか」
「今夜は泊まる事にした。明日の午後までに帰れれば問題ない。君もそうだろう?」
 明日は夕方に打ち合わせがあるだけで速水さんの言う通りだった。
「なんで私のスケジュール知ってるんですか」
「今朝、君が言ってた」
「……そうでした」
「じゃあ、風呂に入ろう」
「えーっ!」
「嫌か?」
 速水さんがちょっと寂しそうな顔をした。
 ズルい。そんな顔をされたら断れない。


 夕食の片づけをした後、バスルームにいった。
 速水さんは先に入っていた。
 下着も全部脱いで胸元からタオルを巻いて、思い切ってバスルームの扉を開けた。
 湯船に沈む速水さんがいた。
「なんだ、これは?」
 速水さんがバスタオルの端を引っ張った。
「タオルです」
「そんなの巻いてたら体が洗えないだろう」
「だ、大丈夫です」
「よし、俺が洗ってやろう」
 速水さんが湯船から上がってくる。
 速水さんの全裸が見えてドキドキしてくる。
「ひ、一人で洗えますから」
 速水さんが近づいてくる。
「遠慮するな」
「遠慮なんかしてません」
 あっという間に壁際まで追い詰められた。
「君が嫌がるような事はしないよ」
 そう言って速水さんがスポンジに石鹸をつけて泡立て始めた。
 そして膝をついて私の足の指先から洗い始めた。
「くすぐったい」
 速水さんの手が足の甲、ふくらはぎ、腿まで伸びた。
 これ以上上はさすがに無理だ。
「あ、後は自分でやりますから」
 速水さんの手がタオルの中に入ってお腹の辺りをまさぐり出した。
「は、速水さん。くすぐったい」
 お腹を触られて笑いが止まらなくなる。
 笑っていたらタオルが自然に落ちた。
 速水さんの前に全裸を晒した。
 恥ずかしくてどうしたらいいかわらかない。
「綺麗だ」
「見ないで下さい」
「どうして?」
「恥ずかしいから」
 速水さんが私をお姫様抱っこしていきなり湯船に入った。
「これで恥ずかしくないだろ」
 入浴剤で白くなった湯船に体が隠れた。
「そうですけど」
 抱き締められたままだったので速水さんの肌と直接触れていた。
 さらにドキドキして目が回ってくる。
「そういえばまだ聞いてませんよ。なんで早川だなんて偽名使ったんですか?」
 気を紛らわす為、質問をした。
「なんだっていいじゃないか」
「よくありません。気になります」
「気まずかっただけだよ」
「本当にそれだけですか?」
 速水さんを見ると何かを隠すように視線をそらした。
「隠し事はしないで下さい。私知ってるんですよ。速水さんが婚約解消する為に紅天女の上演権を諦めた事で、会社での速水さんの立場が厳しくなってるって」
 速水さんの目が意外そうに瞬きをした。
「話して下さい。私、もう子供じゃありません。私にも速水さんの事心配させて下さい」
「マヤ……」
「私じゃ頼りないかもしれないけど、速水さんの力になりたいんです」
「かわいい事言ってくれるんだな」
「速水さんが何も言わずに紫の薔薇で私を守ってくれてる事も知ってるんですよ」
 速水さんが驚いたように大きく目を見開いた。
「いつから知ってた?」
「『忘れられた荒野』の時からです」
「そんなに前からか」
「速水さん芸術祭の受賞式でメッセージカードくれたでしょ?そこにに青いスカーフって書いてあったんです」
「青いスカーフ?ああ、スチュワートの青いスカーフを握り締めて人間に覚醒していく場面の事か」
「青いスカーフを使ったのは初日だけなんですよ」
 速水さんの目がさらに大きく見開かれた。
「初日は速水さんしか来ませんでしたからね」
「しまった。リサーチ不足だった」
「速水さんが紫の薔薇の人だってわかって戸惑ったけど、嬉しかった」
「そう言ってもらえて良かったよ」
「速水さん、ありがとう」
 速水さんが照れくさそうに人差し指で鼻の頭をかいた。
「のぼせたな。そろそろ出るよ」
 速水さんが湯船から出て、バスルームから出て行った。


3

不覚にも「速水さん、ありがとう」なんて言われて涙腺が緩んだ。
俺は逃げるようにバスルームから出た。
紫の薔薇の人としてマヤと対面する日が来るなんて思わなかった。
マヤが嬉しそうに紫の薔薇を抱えている所をいつも想像した。
彼女の事を考えてメッセージカードを書いたり、プレゼントを選ぶのが楽しかった。
出会ってから十二年。ずっと彼女の成長を見て来た。
時には父親のような気持ちになって。

――速水さんの力になりたいんです。

彼女は大人になったんだな。
あんな事を言う程に。
鼻の奥がツンと痛くなる。親指と人差し指で目頭を押さえて込みあがるものを何とか堪えた。
大きく息を吐くと、後ろでマヤの気配がした。
マヤがバスローブ姿の俺を見て恥ずかしそうな顔をした。
「は、速水さん」
「もう出たのか」
 マヤに新しいバスタオルを渡すと素早く体を隠すようにタオルで被った。
 そんなマヤが可愛い。もっといじめたくなってしまう。つくづく好きな子はいじめたくなる性分なんだと思う。
「拭いてやろう」
「えっ、いいいですよ」
「遠慮するな」
 マヤから強引にタオルを奪って彼女の体を拭いた。
 マヤが恥ずかしそうに体をくねくねさせて、隠そうとする。
 なんて、かわいいんだろう。
 全身を拭き終わるとバスローブを着せてやった。
 真っ赤な顔をしたマヤが文句を言いたそうに俺を見ていた。
「次は髪だ」
 マヤを鏡の前に立たせてドライヤーをあててやった。
 鏡の中の彼女がまた文句を言いたそうな顔をする。
「なんだ?」
 ドライヤーを止めて不機嫌な視線に向って言った。
「速水さん、なんか女性の扱いになれてますね」
「えっ」
「いつも彼女とかにはこういう事してるんですか?」
 嫉妬された事に嬉しくなり、笑いがこみあがった。
「なんで笑うんですか」
「君が可愛い事を言うからだよ。堪らないな」
「バカにしないで下さい」
「バカになんてしてないよ。君が嫉妬してくれて嬉しいんだ」
「嫉妬なんてしてません」
「してるよ」
「してません」
「してる」
 頬にキスをするとマヤが恥ずかしそうに俯いた。
「こういう事をするのは君が初めてだよ。君の事が愛しいから何でもしてあげたくなるんだ」
「本当に初めて?」
「ああ」
 マヤの機嫌が直る。
 大人になったと思ったけど、こういう所は子どもみたいだ。だけど愛しい。


 今夜も同じベッドに入り、マヤを抱いた。
 昨日よりも大胆に俺を求めるマヤに愛しさが増した。好きで好きで堪らないって気持ちはこういう事を言うんだろう。
この俺が心の底から誰かを愛する事があるなんて、昔は考えもしなかった。
 仕事の為だけに生きて来た。全ては紅天女を義父から奪う為だ。だけど結局、俺の手で紅天女を上演させる事は出来なかった。
 普通だったら人生を棒に振ったと思う所だが、全くそんな風には思わない。それ所か幸せな人生だったとさえ思える。
「何考えてるんですか?」
 マヤが甘えるように抱きつきながら聞いた。
「君にまだ言ってなかった事があるって思い出した」
「早川さんの偽名を使った訳?」
「それもあるけど、もっと他にある」
「もっと他?」
 ベッドから起き上がり、マヤを真っ直ぐに見下ろした。
「俺と結婚して欲しい」
 マヤが驚いたように起き上がり、俺を見た。
「私でいいんですか?」
「君しかいないよ」
「本当に?」
「これから先の人生をマヤと一緒に生きたいんだ」
「私も速水さんと一緒にいたい」
「それはプロポーズを受けてくれるという事か?」
「はい」
「じゃあ、明日結婚しよう」
「えっ、明日ですか」
「うん。明日」
 マヤが嬉しそうに笑った。


終わり



【後書き】
お待たせしました!!
最後はとにかく、これでもっかてぐらい甘々にしようと思い、速水さんとマヤちゃんにはイチャイチャして頂きました。
おつき合い頂きありがとうございました。

2018.7.13 Cat

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