―――  雨と恋 1 【速 水】 ――― 



俺は悩んでいた。

ある日突然、高校生の女の子に好きだと迫られたらどうしたらいいのだろうか。
しかも俺は彼女の母親を宣伝の材料にしようとして監禁して死なせてしまったという罪を背負っている。
もし、彼女の母親が娘のそんな態度を知ったらあの世から俺を呪い殺すに違いない。
それに、彼女は11歳も年下でまだ子供だ。子供相手に恋愛感情なんて持てるものか。
そうは思うけど、ふっと彼女の事が胸に過る瞬間が増えた。

「速水社長?」
 
 秘書の水城君の方に顔を向けると今の話ちゃんと聞いてた?というような疑わしい目で俺を見てくる。
 当然聞いていない俺は「何だ」と少しも怯む事なく聞き返した。
 水城君はやっぱりという表情を浮かべ、同じ話を繰り返した。
 話は企画部の会議に親父も出る事と、今夜の大都芸能主宰のパーティーでのスピーチの内容についてだった。
 そんな事は俺にはどうでもいい。会議に親父が来るなら発言権はもう俺にはない。
 親父は会長職に退いたが、実権はまだ握っていた。親父が駄目だと言ったらそれは社長の俺が
いくら賛成してもひっくり返す事は出来ない。

「わかった」
 
 水城君の話を最後まで聞き、俺は煙草に火をつけた。
 水城君が一瞬煙たそうな顔をする。構わず俺は煙をフーッと吐き出した。
 煙草でも吸ってないとやってられない心境だった。

「真澄様」
 水城君が抑えた声で俺に話しかける。
 そう言われる時はお小言がある時だ。俺より年上の水城君は俺が社長だろうと気になった事は注意してくる。
 ありがたい事だったが、時に耳の痛い話もあり、逃げたくもなる。特に今は水城君の言葉を聞く余裕がない。
 あんな事があったんだから。

「水城君、そろそろ時間じゃないのかね」

 俺は水城君を遮るようにデスクから立ち上がり、スーツの上着を羽織った。

「遅れると親父が不機嫌になる。行こう」


 会議の後は予定通りホテルでの大都芸能主宰のパーティーがあった。
タキシードに着替えた俺は親父とともに招待客たちへの挨拶に追われていた。
客は各界からの著名人ばかりだった。政治家を始め映画監督、作家、脚本家、テレビ局の上層部の人間に俳優たち。
売れっ子のタレントやアイドル。
テレビで中継しても視聴率が取れそうな程の豪華な顔ぶれだった。
ハッキリ言ってしまえば、大都芸能の力を誇示する為のパーティーだった。
ホスト役の俺は愛想笑いを浮かべ、心にもない美辞麗句を並べる。全く面白くない。
しかし、二代目として顔を売っておく必要があったので、立ち去る訳にもいかない。
それにしても退屈だ。早く終わってしまえばいい。

「真澄さん、すっかり社長業が板についてきましたね」
 
 姫川歌子に話しかけられる。今夜の彼女は深いグリーン色のカクテルドレスを着ていた。
 大人の女性の魅力が感じられる装いだ。
 姫川歌子程の女優になれば自分に何が似合うかはよくわかっている。

「いえいえ、私なんてまだまだ若輩者ですから」と営業スマイルを浮かべる俺。

 彼女は金になる女優だ。ハリウッドとの契約も決まり、ますます大都芸能を潤わせてくれる。
そういう人材は大事にしなければならない。
「今夜もお美しいですね」
 世辞も一応言っておく。
「ありがとうございます」
 歌子が控えめな微笑みを浮かべた。よく出来た笑顔だ。
 さすがCMの女王。今年の彼女のCM契約は10社になり、契約金は合わせて五億円。
まさに五億円の笑みだと歌子の美しい顔を見た。
「紅天女候補は一緒ではないんですか?」
 歌子の隣に当然いるであろう姫川亜弓の姿がなかった。
「亜弓も一緒に来たんですけど、知り合いを見つけたとかって言って、さっきあっちに行って」
 歌子がそう言った時、遠くの方でガチャンとグラスが割れる音がした。

「も、申し訳ありません。すぐに片づけます!」

 聞き覚えのある声がした。あの通る高い声はもしや彼女ではないのか。

「では、私が見て来ましょう」

 歌子から離れ、グラスの音がした方へと歩いた。
 グラスを割ったのが誰か気になった。
 人の間をすり抜け、奥に進むと床に散らばったガラスの破片を集める華奢な後ろ姿が見えた。
 顔を確認しようと回り込む。ホウキとちり取りで破片を片づけている北島マヤがいた。
 どうしてマヤがこんなところに……。しかもホテルの制服を着ていた。
 マヤの顔を見たのは一週間ぶりだった。彼女は雨の日に突然、俺の前に現れた。


 ※


 「降ってるな」
 会社の正面玄関から外に出た俺はザーザーぶりの雨を見た。
 水城君は珍しく休みで、一人で社外に出る事になり、車を待っている所だった。
 普段だったら水城君が手配しといてくれるので、こんな風に玄関先で車が来るのを待つ事はなかった。
 煙草一本ぐらいなら吸えそうだと、懐に手を伸ばした所で、雨の中こちらにやって来る人影を見つけた。
 
 ――北島マヤだった。
 
 彼女は傘を持っていなかった。高校の制服姿で頭から靴までズブ濡れだった。
 
「ちびちゃん!こっちへ」

 彼女の濡れた腕を掴み、屋根のある所に引き寄せた。

「ズブ濡れじゃないか」
 ハンカチで濡れた彼女の髪や肩を拭いていく。
 全くこんな雨の中、何を考えているんだ。と水城君のように小言の一つでも言いたくなる。
 彼女の顔を覗き込もうとした時、顔を上げた彼女と正面から目が合った。
 大きな瞳が真っ直ぐに俺を見ていた。何か言いたそうな表情だ。
 「どうした?何かあったのか?」
 心配になる。母親を亡くしてまだ一年ぐらいだ。最悪な形でテレビドラマを降りて、
 大都芸能を辞めていったのだ。
 まさか、また芝居が出来ないと言いに来たのだろうか。
「ちびちゃん?」
 俺はじっと彼女の言葉を待った。でも、彼女は話そうとしない。ますます心配になる。
「一体、どうしたんだ?」
 彼女は何か重大な事を口にしようとしているが、躊躇いもあって言えないという感じに見えた。
「言ってごらん。何を言っても怒らないから」
 小さな子供に言い聞かせるように優しく言った。
 俺の言葉に彼女の瞳が揺れた。そして、決心するように大きく息を吸い込んだ。

 「あたし、速水さんが好きです」
 
  え――?俺の事が好き?
  
  彼女を見ると頬を真っ赤に染めていた。言葉の意味を理解し、こちらまで恥ずかしくなってくる。
  「じゃあ」と言って、再び彼女は雨の中に飛び込んだ。
  「おい、ちびちゃん」
   俺の呼びかけを無視して彼女は走り出した。
   追いかけようとした所でタイミング悪く俺を迎えに来た車が現れた。

 ※


 
 あの日の唐突な告白は一体何だったのか。あれは芝居か何かのセリフを口にしただけなのか、
 それとも何の意味のない言葉だったのか。
 目の前のマヤを見ながら話しかけようか迷っていると、別の声が彼女に話しかけた。
「マヤさん、大丈夫?」
 姫川亜弓だ。青いドレス姿の彼女は高貴なオーラをまとっていた。
 マヤと並んでみるとお姫様とその召使いにしか見えない。もちろん召使いはマヤだ。
「亜弓さん!」
 マヤが驚いたように亜弓君を見た。
「マヤさん、こんな所で何をなさっているの?」
「アルバイトの代理です。友達に頼まれちゃって」
「あなたこのパーティーが何かわかってるの?」
「え」とマヤは考えるように会場を見回し「わかりません」と続けた。
 亜弓君が呆れたようにため息をつく。俺だって彼女の呑気さにそうするだろう。
「あなたの大嫌いな大都芸能の創業40周年記念パーティーよ。速水社長も来てるわよ。さっき挨拶してたから」
「速水さんも……」
 マヤが困ったように俯く。俺が近くにいる事に二人ともまだ気づいてないようだった。
 このまま二人の話を立ち聞きするか、ここで声を掛けるべきか。それとも立ち去るべきか。
「あ、速水社長」
 亜弓君が俺を見つけた。
「速水社長、こんばんは」
 亜弓君が会釈をしたので俺も返した。
「さっき歌子さんに会ってね。君を探してた所だよ」
 歌子に向けたのと同じ営業スマイルを浮かべた。この子も金の卵だ。
 北島マヤと紅天女を競ってくれている。彼女に決まれば大都芸能としては万々歳だ。
 何の小細工なしに紅天女の上演権を堂々と手に入れられる。親父も姫川亜弓に期待していた。
「あら、私を?」
「紅天女候補としてプレッシャーがあると思うが、君には期待してるから。月影先生を納得させる女優は君しかいないと思ってるよ」
「ありがとうございます」
 マヤの方を向くと俯いたままだった。
「もう一人の紅天女候補はあきらめてアルバイトしてるのかね。俺としてはライバルが消えてくれて喜ばしい限りだ」
 いつもの嫌味を口にしてみるが、北島マヤは変わらず俯いたままだ。
一体どうしたのか。どこか具合でも悪いんだろうか。
「マヤさん、血が出てる」
 亜弓君が心配そうな声で口にした。
「あ、大丈夫です。グラスを片づける時に少し切っただけですから」
 切ったという言葉が耳に入りハッとした。
「どこを切ったんだ?」
 マヤが驚いたように俺を見た。正面から彼女の顔を見てドキッとした。
 彼女は美人というタイプではないが、整った顔立ちをしている。
「あの……指を」
 左手の薬指の根元から血が出ていた。
「すぐに止血しないと」
 胸元のハンカチーフを取り出して、きつく指に巻いてやった。
 マヤはハンカチが汚れると抵抗したが、俺は強引に処置をした。
「社長、こちらでしたか」
 水城君が厳しい目で俺を見る。こんな所で油を売ってないでちゃんと仕事して下さいと、
サングラス越しの瞳が言ってるようだった。
「あちらで、社長にご挨拶をしたいと政治家の先生がお待ちです」
「わかった。行こう」
 もう少しマヤの側にいたかったが、仕方ない。マヤに何も聞けないまま俺はその場を後にした。



 パーティーで北島マヤに会って以来、さらに彼女の事が頭から離れなくなっていた。
 今日は接待ゴルフもない休日で、親父もどこかに行ってて、羽を伸ばせる日だったのに、
 自室に閉じこもり、午前中から悶々とマヤの事を考えていた。
 普段は仕事に追われているから考える余裕がなかったが、こうして仕事から離れていると
 考える事はマヤの事ばかりだった。
 本を読んでいてもちっとも文字が頭に入ってこない。
 女に好きだと言われた事なんて何十回もあるのに、どうしてマヤに言われるとこうまで
 狼狽えてしまうのか。
 純粋にファンとしてマヤの事は好きだが、しかしそれは恋愛感情とは違ったはずだ。
 ずっと見守っていたいという気持ち以上のものはない。だから、匿名で紫の薔薇を贈り続けている。
 マヤとどうこうなりたいという想いは少しもないんだ。
 第一、11も年下の子を女として見れる訳がない。

 ――なのに、どうしてこんなに北島マヤが気になるのか。

ハァと大きなため息をつき、ベッドから起き上がった。
気になるのはマヤがどんな気持ちで好きだと言ってきたのかがわからないからだ。
もしかしたら、罰ゲームの類いかもしれない。劇団つきかげの連中ならその若さと勢いで
下らない罰ゲームをマヤにさせるかもしれない。
「よし、会いに行こう」
悩んでるぐらいなら行動した方がいい。それが俺のモットーだ。
俺は部屋を出た。


つづく
 
 



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【後書き】
お久しぶりです。マヤちゃんに告白されて悩む速水さんというのを見てみたいなと思いまして、書き始めてみました。
最後までお付き合い頂けると嬉しいです。

2016.6.23

Cat





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