―――  雨と恋 10【マ ヤ】  ――― 


   三連休が終わって東京に戻るとまた雨が降っていた。
 教室の外を眺めながら、速水さんの別荘で過ごした三日間を思い出した。
 速水さんが作ったシーフードカレーの味や、テラスで見た数えきれないほとの星々や、眠るまで側にいてくれた速水さんの匂いを思い出す度に甘い気持ちで胸がいっぱいになった。
 でも、三日目の朝、伊豆から旅立つ時の速水さんは疲れたような、暗い表情をしていた。
 海に行ったり、伊豆半島をドライブしたり、アウトレットに連れて行ってもらったりして、速水さんを疲れさせてしまったかもしれない。
 楽しくて、楽しくて、そんな事には全く気付かなかった。だけど、今思い出してみると速水さんはいつからか、くたびれた顔をするようになってた。
 本当はもう少しのんびりと過ごしたかったというのが速水さんの本音だったのかもしれない。
 どうしよう。速水さん、怒ってるかな?学校が終わったら会社に行ってみようか。
「マヤちゃん」
 誰かに肩を叩かれてハッとした。
「またぼーっとしてて、好きな人の事でも考えてたんでしょ!」
 声をかけて来たのは今日子ちゃんだった。
 相変わらずの今日子ちゃんの鋭さに苦笑いが浮かぶ。
「うん、まあ」
 ポリポリと頬をかきながら答えると、今日子ちゃんが「このー、このー」と肘でついてくる。
「学校が終わったらドーナツ行こう」
 ドーナツと聞いて急にお腹が空いてきた。そういえばお昼ご飯、食べるの忘れてた。
 頷く代わりにお腹がぐるぐると鳴って今日子ちゃんが笑い出す。
「お昼ご飯食べるの忘れる程、好きな人の事を考えてたんでしょ」
 もしてかて今日子ちゃんは心が読めるのかと本気で考えてしまう。
 それともあたしが、わかり過ぎるぐらい単純なのかな。




駅前のドーナツ屋はよく今日子ちゃんと行く場所だった。
自動ドアの中に入ると、甘いドーナツの香りが店内に漂っている。
今日子ちゃんと一緒にトレーを持って、好きなドーナツを選んだ。
秋らしく、栗やさつまいもクリームが挟まったものがあった。
後で一口ずつ交換する約束で、今日子ちゃんは栗クリームを選び、あたしはさつまいもクリームを選んだ。
トレーの上に五個、ドーナツを乗せてレジに行った。
お店の人にお持ち帰りですかと聞かれるが、全部お店で食べて行くと言ったら、驚かれた。
ドーナツ五個はさすがに多かったかなと、少しだけ恥ずかしくなる。
育ちざかりだから仕方ないかと自分に言い訳しながら、速水さんも驚いた顔をしていたのを思い出した。
確かカレーを三杯お代わりした時だ。本当は四杯目もお願いしたかったけど、速水さんの驚いた顔を見てやめた。
やっぱり女の子は小食の方が可愛いと思ってもらえるのかもしれないという思いからだったけど。
 今日子ちゃんといつもの窓際の席に座ってそんな話をしたら、今日子ちゃんに笑われた。
「三杯食べといて小食はないんじゃない」
「そうかな」
「きっと、よく食べるなって思っただろうね。普通は一杯でお腹いっぱいになるよ」
「えー!一杯しか食べないのー!カレーだよ。カレーなら5杯はいくよ!」
 今日子ちゃんが苦く笑う。
「マヤちゃん、いつも5杯も食べてるの?」
「ううん。麗に次の日の分がなくなるからって、三杯で止められてる。本当は5杯食べたいんだけど」
 今日子ちゃんが呆れたように笑う。
「マヤちゃんがそんなに大食いだとは知らなかった」
「あたし、大食いなの?」
「うん」
「じゃあ、速水さんにももしかしてそう思われた?」
「うん」
 ショックだった。速水さんにそんな風には思われたくない。カレー以外にも、ハンバーグをお代わりしたり、ケーキを三つ食べたりしたから、
速水さんに呆れられてしまったかもしれない。
「どうしよう……」
 速水さんに嫌われたらどうしよう……。
 せっかく好きになってもらったのに。
 不安な気持ちで胸がいっぱいになった。



「ごめんなさい。社長は出張でいないの」
 ドーナツ屋の後に大都芸能に行ったら、水城さんにそう言われた。
 一階の受付で社長室に連絡を取ってもらうと、受付まで水城さんが来てくれた。
 紺色のパンツスーツ姿の水城さんは今日も惚れ惚れする程カッコいい。
 足は長いし、スタイルはいいし、美人だし……。
 速水さんは毎日水城さんと会ってて何も感じないんだろうか。
「マヤちゃん、どうしたの?」
 キリリとした水城さんの声にハッとしてあたしは愛想笑いを浮かべた。
 なんて事を考えてるんだろう。速水さんと水城さんの間を疑うなんて。
「い、いえ。出張だって聞いてなかったもので。あの、速水さんはいつ戻るんですか?」
「一週間後よ」
 一週間も会えないんだ。
「社長に急ぎの用でもあった?」
「別に急ぎって訳じゃないんです。ただ、速水さんに会いたいなって思って」
「えっ!」
 サングラスの奥の水城さんの瞳が大きく見開かれた。
 何か不味い事を言ってしまったのかと、手のひらに汗をかいた。
「もしかして、マヤちゃんは」と口にして、水城さんは考えるようにじっとあたしの顔を見た。
 探るような水城さんの視線と空中で合い、後ろめたい気分になる。
「そう、そういう事ね」
 ふっと水城さんの口元が緩み、水城さんが優しい笑顔を浮かべた。
 そして脇に抱えていたシステム手帳を開くと、サラサラと何かを書き始めた。
「あげる」
 数字がかかれたメモを水城さんから受け取った。
「社長の携帯電話の番号よ。その番号はプライベート用だから寝る前にでもかけてみなさい」
 プライベート用……。その響きにドキッとして顔が熱くなる。
「あ、ありがとうございます」
 水城さんにお辞儀をして、逃げるように立ち去った。
 何だか恥ずかしくて、これ以上水城さんと顔を合わせていられなかった。
 もうっ、なんで、なんで、こんなに恥ずかしいのって、自分に突っ込みを入れたくなるぐらい恥ずかしい。
 でも、嬉しかった。これで速水さんと繋がる事ができる。
 走りながら顔がにやけそうになった。



 午後七時。まだ電話するの早いよね?
 午後八時。良い子はもう寝る時間だけど、やっぱり早いよね。
 午後九時。大人はまだ寝る時間じゃないよね。
 午後十時。もうさすがに速水さんもお仕事終わってるかな?

「マヤったら、マヤ!」

 急に麗の声がしてびっくりした。
 麗は大阪から帰って来ていた。つきかげと一角獣の公演は大盛況だったみたいで、また呼ばれるという話を聞いた。
 その時はあたしも一緒に行きたいけど……月影先生は許してくれるだろうか。
「やっと気づいた。もう、何度呼んだと思ってるの?」
麗がくたびれたようなため息をついた。
「マヤ、また芝居の事考えてぼーっとしてたんだろ」
「芝居……う、うん」
 速水さんの事を考えてたなんて恥ずかしくて言えない。
「そろそろ布団敷きたいんだけどな。さすがに疲れたよ。今日帰って来たんだからさ」
「あっ、ごめん。気づかなくて」
 麗と一緒にテーブルをどかして、布団を二枚敷いた。
 二枚並べて敷くのは一週間ぶりだった。隣に麗がいると思うと安心感がある。
「マヤはまだ寝ないの?」
 パジャマ姿の麗が、着替えが済んでいないあたしを不思議そうな目で見た。
「えーっと、コンビニ行こうと思ってて。ノート切らしちゃったのさっき思い出して」
 外に出る理由を家に帰って来てからずっと考えていた。
 速水さんに電話するなら、アパートの共同電話じゃなくて、公園近くの公衆電話にしようと思っていた。
「えー、今から?もう遅くないか?ノートなら朝買えばいいじゃないか」
 麗にもっともな事を言われ、いきなりピンチに追い込まれる。
「で、でも、朝は何かと忙しいから。やっぱり寝る前の方がいいかなって」
 麗が大きくため息をついた。
「しょうがないなー。じゃあ、一緒に行ってあげるよ。マヤ一人じゃ危ないだろ」
 思ってもみなかった展開に頭の中が真っ白になった。
 麗と一緒にいたら速水さんに電話できない。
「い、いいよ。麗疲れてるでしょ?」
「マヤはまだ未成年なんだから、こんな遅い時間に外に出す訳にはいかないよ」
「でも、すぐ側のコンビニだから」
「いくら近くても女の子が一人で外に出る時間じゃないよ」
「だ、大丈夫だよ。もう、麗ったら心配性なんだから」
「マヤに何かあったら月影先生にあたしは顔向け出来ないよ。先生からもマヤの事頼むって言われてるんだからさ」
 月影先生の名前にさすがにこれ以上は何も言えなくなった。
 先生が気にかけてくれていた事は嬉しかったけど、外出できないのは困った。でも、麗の言う通り大人しく寝るしかない。
「わかった。ノートは朝にするから。あたしも寝よっと」
 心の中ではガッカリしながら、パジャマに着替えた。
 そしていつもの習慣でテレビに一時間タイマーをかけ、布団に入る。
 毎週楽しみに見てるドラマにチャンネルを合わせるけど、全く集中できなかった。
 速水さんの事が気になって仕方ない。せっかく水城さんに電話番号教えてもらったのに何も出来ないなんて。
 布団の中で悶々とした気持ちが大きくなった。
 このままじゃ、眠れなくなると思って、違う事を考えようとしたけど、浮かぶ事は速水さんの事ばかり。
 別荘では速水さん、寝るまで側にいてくれたなとか、同じベッドに入って、ギュッて抱きしめてもらったなとか、
 布団の中もあたしのパジャマも速水さんの匂いでいっぱいになって、ドキドキしたなとか……思い出してる内になんか悲しくなってきた。
 あっという間に目頭が熱くなって、テレビ画面が歪んで、涙が落ちた。
 あれ?どうして泣いてるんだろう。全部、幸せな思い出なのに。

――ちびちゃん。

 速水さんの声がした。ハッとして布団から起き上がったけど、誰もいなかった。
 麗の方を見ると、静かに寝息を立てていた。
 そっと布団から出ると、パジャマの上にロングカーディガンを着て、財布とメモだけ持って外に出た。
 いけない事をしているという自覚はあったけど、気持ちを止められなかった。

 速水さんの声を聞きたい。たった一言でいいから。
 
 アパートの階段をそっと降りて、全力で公園に向かって走った。
 秋の空気は冷たかったけど、速水さんの声が聞けると思うだけで胸が熱くなった。
 青白い外灯の下を走って、住宅街を走って、公園にたどり着いた。。
 電話ボックスは公園の入り口の外灯の下にあった。中には誰もいなかった。
 電話ボックスの透明な扉を開けて中に入った。
 やや古びた黄緑色の電話の前に立って、受話器を掴もうとしたけど、手が震えて掴めない。
 全速力で走ったからだ。呼吸も乱れていた。
 一刻も早く電話したかったのに、自分の状態がもどかしい。
 胸に手をあて呼吸が落ち着くのを待った。
 透明な扉越しに琥珀色の三日月が見えた。速水さんも出張先でもしかしたら見てるかもしれない。
 いや、きっと見てる。速水さんは夜空が好きだから。
 ホテルの部屋で、窓辺に立って煙草を吸いながら月を見てる速水さんの姿が浮かんだ。
 きっと少し寂しそうな背中をしてるんだ。速水さんはいつも、そうだから。
 そんな速水さんの姿を思い描いたら堪らなくなった。
 呼吸はまだ完全に整ってないけど、水城さんにもらったメモを見ながら電話した。
 コール音が一回、二回、三回と鳴り「もしもし」という相手を探るような低い声がした。
「あの、マヤです」
「マヤ!どうしてこの番号を知ってるんだ?」
「水城さんに教えてもらって」
「そうか」
「出張って聞きました」
「ああ。東京に戻るのは来週になる」
「そうですか」
 あんなに速水さんと話したかったのに言葉が途切れた。
 言いたい事は沢山ある気がするのに、上手く言葉にならない。
 無言のままテレフォンカードの度数が【15】から【9】まで減った。
「俺に何か用か?」
 しびれを切らしたように速水さんが口にした。
 受話器越しに聞く速水さんの声は直接聞く時よりもワントーン低い。
 いつもと違う低い声に胸がドキドキしてくる。
「べ、別に用って程の事じゃないんですけど、せっかく水城さんが教えてくれたからかけたんです」
 精一杯の強がりだった。
 本当は会えない事が寂しくて仕方ない。でも、速水さんを心配させたくなかった。
 速水さんは黙ったままでいた。沈黙が不安にさせる。
「あの、迷惑でしたか?」
「いや……」
 沈んだ速水さんの声がした。そして、何かを決意するようなため息が聞こえた。
「丁度いい。俺は君に話したい事があったんだ。出張から帰ってから話そうと思ってたけど、今言う」
「はい」
「マヤ、俺の事はもう忘れてくれ」
「え?」
「なかった事にしてほしいんだ」
「なかった事?」
「つまり、俺が君を好きだと言った事を取り消したい。俺はやっぱり君とはつき合えない」
 立ちくらみがした。
「それって、あたしと別れたいって事ですか?」
「まあ、そういう意味だ」
「どうして?」
「君の事が嫌いになったんだ」


つづく
 
 



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2016.10. 21





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