―――  雨と恋 3【速 水】  ――― 


 休み明け、俺は不機嫌だった。
その原因は所属タレントのスキャンダルが発覚した事だった。
 俺はオフィスで水城君から報告を受けた。

「片山なみが不倫だと?」

 片山なみは清純派アイドルグループ『クローバーガール』の中で最年少でありながらも、
一番人気があった。CMも片山個人で6本、クローバーガールとしては4本出ていた。
スキャンダルが表に出た場合、大都芸能が被る金銭的な被害は大きいだろう。
「すぐに片山を呼べ!」
「そうしたい所なのですが、今日は深夜までドラマの撮影が入ってるそうです」
 水城君が申し訳なさそうに答える。
「だったら俺が行く!」
「ですが、会議が」
「会議なんて俺がいなくても進むだろう。報告書を出させればいい。車を用意しろ」
「かしこまりました」
 俺は勢いよくポールハンガーにかかっていた上着に袖を通し、オフィスを出た。




 テレビ局のスタジオに行くと、出番を終えたばかりの片山なみを捕まえた。
「速水社長〜!、見にきてくれたんですか?」
 俺の顔を見て嬉しそうに片山が表情を崩す。
 こんな風に俺に親し気な口を聞くのは片山と北島マヤぐらいだった。
 もっとも北島マヤと違って片山は好意的だが。
「私の演技どうでしたか?」
 心配そうな顔を片山がする。その表情は男心をくすぐるものだったが、俺には効かない。
「そんな事より、俺は今日君に聞きたい事があるんだ」
 厳しい表情を向けると、片山の顔から笑みが消えた。
 そして「私もお話したい事があります」と真剣な表情で口にした。
 どうやら彼女もある程度は覚悟をしてたらしい。
 だったら話は早いと、俺は片山の腕を掴み、スタジオを出た。
 片山のマネージャーと水城君が慌てた様子で俺たちについてきた。
 
 

 ここなら大丈夫ですと、片山のマネージャーが控室に案内した。
 控室は8畳程の洋室で、テーブルとソファがあった。
 俺がおもむろにソファに腰をかけると、片山のマネージャーがお茶を俺の前に置いた。
「この度はなみがご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「その様子だともうこの記事の事は知ってるんだな」
 テーブルの上に発売前の週刊誌を置き、付箋の貼ってある箇所を開いた。
 それはどこかの地下駐車場で抱き合いキスをしている片山とスーツ姿の男の写真が見開きで出ていた。
 言い逃れはできない程ハッキリ写っている。
「あの時の……」
 正面に座る片山が小さな声で口にした。
「これはどこだ?」
「赤坂の……ホテルだと思います」
「相手の男は記事にある通り結婚してるのか?」
「はい。お子さんもいらっしゃいます」
「つまり不倫を認めるんだな」
「……はい」
 片山が俺から視線を逸らし俯いた。その様子から男との付き合いが昨日今日のものじゃない事はわかる。
「男とはもう会うな」
「できません!」
 片山が俺を睨む。
「私、本気なんです!本気で杉原さんの事が好きなんです」
「何バカな事言ってるんだ!男は結婚してるんだぞ!」
「私は別に結婚なんて望んでません。一緒にいられればいいんです」
 開いた口が塞がらないとはこの事を言うのか。完全に周りが見えていない。
「彼を愛してるんです」
「愛だと?15も年上の男を君は本当に愛してるのか?」
 片山は22で、男は37だった。
「好きになれば年齢なんて関係ありません」
 もう何を言っても無駄なようだ。
「だったら、大都芸能を辞めてもらう」
「えっ」
 片山の顔から血の気が引いていく。
「今回のスキャンダルはもみ消したから表に出る事はない。だがな、君が男と付き合い続ける限り同じような記事が
いつでも出るという事だ。その度に金を使って手を回さなければならなくなる。君にそこまでの商品価値はないんだよ。
だから、クビだ」
「ひどーい」と片山が大声をあげて泣き出した。
「泣こうが喚こうが別れない限り君はクビだ。大都芸能を離れれば君を守ってくれる所はないだろ。
そしてスキャンダルが表に出れば多額の違約金を請求される事になるだろうが、君が払うしかない」
「私を守るのが社長の仕事じゃないの!」
 涙目で片山がこちらを睨みあげる。中々迫力がある。
「言う事を聞かない商品を守ってやる義理はない」
「この冷血漢!」
 片山が感情的にテーブルの上のガラスの灰皿を振り上げた。
「それをどうする気だ?俺を殴るのか?警察沙汰になるぞ」
 片山が堪えるように表情を歪める。
「なみちゃん、やめるんだ!」
 マネージャーが後ろから片山を抑える。
「放して!私はこいつが許せないの!」
 取り押さえられたなみがバタバタと暴れ出す。いつも親しげな片山と同一人物とは思えない。
 恋は人格までも変えてしまうのか。それとも俺が片山の本性を知らなかっただけなのか。
「一週間だけ時間をやる。男と別れるか、大都芸能を辞めるかは自分で決めろ」
 それだけ言い残し俺は控え室を出た。



「片山なみって雰囲気が北島マヤに似てますよね。母子家庭で育ったという境遇も一緒ですし」
 テレビ局から社に戻る車の中で水城君が口にした。
 冗談じゃない。灰皿ふりあげて暴れるような女と一緒にするなと口から出そうになった。
 マヤだったら絶対にそんな事はしない。
 それにマヤは妻がいるような年上の男を好きになるようなタイプではない。
 いや、年上の男という点だったらマヤも11も年上の俺に告白したんだから……と考えてハッとした。
 俺は何を考えてるんだ。あれはただの悪戯だったと言ってたじゃないか。
 あの告白はなかったものだ。決してあの子の本心じゃない。
 でも、だったらなんで悪戯だと言った時に泣いたのか。なんで逃げるように俺の車を降りたのか。
 もしかしたら、本当は悪戯なんかではなく本当に俺の事が好きなのに、俺に悪戯だと言われてしまった事が
 悲しくて泣いてたんじゃないだろうか。
 いや、そんな訳ない。どうかしてる。俺は何を期待してるんだ!
「どうされました?」
 腕を組んで押し黙ったままの俺の様子を伺うように水城君が見た。
「何でもない。それよりこの後の予定は?」
「定例の役員会と、その後は会長の代理で出席するパーティーがあります」
「パーティーか。それ、俺が行かなきゃダメか?」
「会長が是非ともご出席くださいとおっしゃってましたので」
 ため息がこぼれた。親父の命令では仕方ない。
「きっと、いい事もありますわよ」
 水城君が意味ありげな笑みを浮かべた。
 今の俺にいい事なんて何もない気がした。
 うちの主力商品である片山の不倫スキャンダルの対応を考えると頭が痛かった。
 片山をクビにしても、かなりの損失が見込まれた。


 夜8時。俺は黒タキシードに着替えパーティーに出た。場所は新宿にあるシティホテルだった。
ハリウッドスターが来日すれば必ず泊まる程の一流ホテルだった。
 内装は豪華過ぎず、落ち着いた雰囲気だ。
 パーティー会場に行くと着飾った1000人以上の招待客の姿があった。
 政財界の大物も集まり、次の総理大臣と噂される政治家まで顔を出していた。
 俺は水城君を従えて親父の代理として挨拶に回っていた。
 20人ぐらいと名刺を交換した所で意外な人物を見かけた。

 ――マヤだ。

 所在なさげに水色のワンピース姿で壁際に立っていた。
 ホテルの制服は着てなかったので今夜はアルバイトではないらしい。
 しかし、どうしてこんな場違いな所に?
「社長、どうかされましたか?」
 マヤに視線を向ける俺に水城君が声をかける。
「どうしてあの子が」
「マヤちゃんですね。私が呼んだんです」
 涼し気な表情を浮かべ水城君が微笑んだ。
「社長にお話しがあるみたいです」
「だからってこんな所に呼ばなくても」
「社長の予定が詰まっているから仕方なかったんです」
「なるほど」
 片山の件で時間をとられて今日は時間が押していた。
 丁度いい。そろそろパーティから抜け出そうと思っていた所だ。
「紅天女候補との面談が本日最後の予定です」
「そうか。面談は俺一人で大丈夫だ。水城君、君はもう帰っていいぞ」
「はい。お疲れ様でした」
「お疲れ」
 俺はドレスで着飾ったご婦人たちの間をすり抜け歩き出した。
 楽団がワルツを演奏していた。中央にはワルツを踊る楽しそうな客たちの姿があった。
 俺はそこを早足で横切った。
 マヤは壁際に立ったまま俯いていた。慣れない場所にどうしたらいいかわからない
 という様子に見えた。そんな彼女に思わず笑みが浮かぶ。
 そして彼女の前で立ち止まり声をかけた。
「こんばんは。ちびちゃん」
 マヤが驚いたように俺の顔を見上げた。すぐにマヤが苦手な物を見るような表情になる。
「俺は君にとってゴキブリか何かなのか?」
「え」
 マヤが眉をあげる。
「俺の顔を見るといつもそんな顔してる」
「そっ、そんなつもりはありません!速水さんが特別だから緊張するんです」
 不意に言われた『特別』という言葉に胸がドキッとして、言うべき言葉を見失う。
 沈黙が俺たちの間に流れた。何か言わなければと思うが唇が鉛になったように重い。
 ワルツ一曲分黙ったまま俺はマヤをじっと見ていた。
 水色のワンピースの袖から出る白くて細い腕は若さの象徴みたいに見えた。
 17才という彼女の年齢を改めて意識してしまう。子供でも大人でもない年頃。
 誰かに本気で恋をする事だってある年齢。
 マヤも誰かに恋する事があるんだろうか……。
「あの」と俯いていたマヤが顔をあげた。
「何だ?」
「お、お話があります」
「わかった。ついて来なさい」
 俺はマヤと一緒にパーティー会場を出た。
 


 ホテルの20階はスカイバーになっていた。
 バーカウンターにマヤと並んで座り、タキシードのボウタイとボタンを2つ外した。
 ネクタイはあまり好きじゃない。仕事が終わると真っ先にネクタイを外したくなる。
 ふーっと息をつき、正面に見える新宿の夜景を見ながら煙草に火をつけた。
 マヤにここの景色を見せたくて連れて来たが、雨でぼんやりとしか見えない。
 そういえば、最近マヤと会う時は雨が多い。告白をされた日も、悪戯だったと言われた時も雨だった。
「速水さん、お久しぶりですね」
 マヤに話しかけようとした所で、顔なじみのバーテンダーが注文を取りに来た。
「いつものでよろしいですか?」
「頼む」
「お連れ様には」とどう見ても酒を飲める年に見えないマヤをバーテンダーが見た。
「ノンアルコールのカクテルをご用意いたしましょうか」
 伺うようにバーテンダーが見てくる。
「うん。頼む」
 バーテンダーがすぐにカクテルを作り始める。
 BGMにはショパンの雨だれ前奏曲が流れ、しっとりした夜を演出していた。
 マヤの方を見ると緊張した様子でいるのが一目でわかる程顔が強張っていた。
 バーに誘ったのはちと強引過ぎたか。
「嫌だったか?」
 吸い殻を灰皿に押し付け右隣のマヤに視線をやる。
「いえ。こういう所初めて来たからどうしたらいいかわからなくて」
 確かに高校生が来るような所ではない。こんな所に連れて来た俺はいけない大人だ。
 思わず笑みがこぼれる。
「なんで笑うんですか?」
 少し怒ったようないつもの言い方をするマヤが可愛く見えた。
「別に君を笑ったんじゃない。こんな所に君を連れて来た俺を笑ったんだ」
「そうですか」
 マヤは恥ずかしそうに俯くが、どうして恥ずかしそうにするのかわからない。
 俺は何か変な事を言ったか?
「お待たせいたしました」
 バーテンダーがマヤの前に赤い色のカクテルを置いた。
「わあ、きれい」
「シャーリー・テンプルです。お酒は入っていませんからご安心下さい」
 カクテルの名前を聞いて、マヤにピッタリだと思った。
「ありがとうございます」とマヤはカクテルに口をつけた。
「美味しいです」
 バーテンダーに向かってマヤが嬉しそうに微笑む。俺にもそんな顔をして欲しいと言いたくなる。
 俺の視線を感じてマヤはすぐに笑顔をひっこめた。やっぱり俺は嫌われてるんだ。
「速水さんにはゴッドファーザーです」
 ウィスキーベースで作られたカクテルが置かれた。
「映画のタイトルみたい」
 マヤが呟いた。
「その通り、これは『ゴッドファーザー』という映画にちなんで作られたカクテルだ。
だが、よく古い映画を知ってるな」
「麗がマフィア物の映画好きなんです。それでこの間一緒にDVDを見て」
 なんとなく青木君のイメージに合っている気がした。
「ちなみに君のカクテルの名前はハリウッド映画に出ていた子役の名前から来てる」
「へえー、そうなんですかー」
「子役って所がいいだろう」
 からかうような笑い声を立てた。
「それって、私が子供だって言いたいんですか」
「その通り」
「もう、私、速水さんが思ってる程子供じゃありません」
「じゃあ、俺とホテルに泊まるか」
「え」
 軽い冗談のつもりだったのに、マヤが急に押し黙ってしまう。
 そしてみるみるうちに真っ赤になった。
「じょ、冗談だ。本気に取るな」
 マヤの動揺にこちらまで恥ずかしくなってくる。
 気を落ち着けるようにカクテルを飲んだ。アーモンドの風味がする。
「それで君の用って?」
 ようやく本題を口にした。
「渡したいものがあって」
 マヤが鞄から水玉模様の紙袋を取り出した。
「これは?」
「指を切った時に速水さんがかしてくれたハンカチです。ちゃんと洗っておきましたから」
「そんな事か」
 水玉の袋を開けると綺麗に四角畳まれたハンカチーフがあった。
「そんな事?」
 マヤが目つきを鋭くさせる。俺はまた不味い事を言ったのか?
「速水さんにとってそんな事って言えちゃう事ですけど、私にとってはそうじゃないんです」
 つまり大事な事という事か。でも、たかがハンカチを俺に返す事がなんでだ?
 考えるように彼女を見ると、彼女が小さく「しまった」と口にした。
「えーっと、だから、その……」
 ごにょごにょとマヤの声が小さくなる。
「だから何だ?」
「何だっていいじゃないですか。い、いじめないで下さい」
「いじめる?」
 益々彼女の言いたい事がわからなくなってくる。
「と、とにかく、ありがとうございました」
「どういたしまして」
「じゃあ、私はこれで」とマヤが席を立とうとする。
「待ちなさい」
 マヤの腕を掴んだ。このまま帰してしまうのは名残惜しい気がして。
「まだいいじゃないか。カクテルも残ってるし」
 グラスに半分以上残っていた。
「残すと店の人も気を悪くするぞ」
 マヤが考えるように俺とカクテルを交互に見る。
「じゃあ、もう少しだけ」
 マヤがスツールにかけ直し、ホッとした。
「そうこなきゃ。じゃあ、二人の夜に乾杯」
 マヤのグラスと合わせた。
「か、乾杯」
 言い慣れない感じでマヤが言った。そんな所も胸がくすぐられる。
 それからマヤの学校での話をいろいろと聞いた。
 紫の薔薇の人としては知っておきたい事は沢山ある。
「それじゃあ、君は進学する気はないのか?」
「はい」
「紫の薔薇の人だっけ?君を援助してる人」
「はい」
「その人に遠慮してるのか?」
「それもありますけど」
「遠慮なんかいらない、彼はきっと金を持ってる人間だ」
「そういう訳にはいきませんよ」
「どうして?」
「だって私、その方に何のお返しも出来ない。大学まで行かせてもらったら罰があたります」
「その人が匿名にしているのは君に変な遠慮されたくないからだとは思わないのか?」
「そうなんですか?」
 マヤが真っ直ぐに見てくる。とても真剣な瞳に飲まれそうになる。
「いや、その……俺だったらそうすると思っただけで、実際に紫の薔薇の人がそう思ってるかは知らん」
 マヤが小さく、遠慮気味に笑う。薄暗い照明の下に浮かぶその笑い方に色気を感じた。
 子供だと思っていたが、いつの間にか大人びた表情もするようになっていた。
「速水さん、あたしはね。もう十分過ぎる程、紫の薔薇の人によくしてもらってるんです。血のつながりもないあたしに
高校まで行かせてくれてるんです。あたし、その方にどうやって恩を返したらいいんだろうっていつも考えます」
「君が女優として成長する事が恩返しだ。それ以上の事は望んでないと思うが」
 マヤがカクテルを口にした。
「速水さん、あたし紫の薔薇の人に会いたい」
 寂しそうにマヤがこちらに目を向けた。
「とっても会いたいんです」
 真っ直ぐな瞳は真摯な何かを伝えてくる。体が熱くなった。
 思わずテーブルの上の彼女の手を握った。柔らかい手だった。
「は、速水さん……!」
 驚きと恥じらいの混ざった表情でマヤが俺を見上げた。
「あったかいな、君の手は」
「速水さんの手は少し冷たい」
 マヤが俺の手を強く握りかえす。
 彼女の指が手の甲に絡みつき、切ないような苦しいような想いにかられた。 
これ以上、彼女の温もりを感じていたらどうにかなってしまう気がして、手を放そうとした。
 でも、マヤが俺の手を放さない。
「どうした?」
「速水さん」と吐息交じりの声で呟き、こちらを見てくる。
 マヤの瞳に写る自分の姿を見てハッとした。
 アラサー男の間抜けな顔が見えた。11歳年下のマヤに翻弄されてる自分が情けない。
「ラブシーンはまだ早いよ。ちびちゃん」
 マヤの手を振り解き煙草に火をつけた。
 彼女との間に壁を作るように紫煙が流れる。煙越しにマヤの泣きそうな顔が見えてドキッとした。
「私、ちびちゃんじゃありません」
 反発するようにマヤが口にした。
「そ、そんなに子供じゃありません」
 マヤがカクテルを一気に飲み込んだ。そして空のグラスを勢いよく置き俺を睨む。
「どうしたら速水さんは私の事、ちゃんと見てくれるんですか?」
「ちびちゃん、ノンアルコールのカクテルで酔ったのか?」
 いつもより目が据わってる気がした。
「酔ってなんかいません!」
 マヤがドンッとカウンターを叩く。
 そして俺の肩にもたれかかる。微かにアルコールの匂いがした。
「ちびちゃん、本当に酒飲んでるのか?まさかパーティーで飲んだのか?」
「飲みましたよ。速水さん待ってる間に」
 開き直ったようにマヤが見てくる。
「何を?」
「シャンパンです。二、三杯ですけど。とっても美味しかった」
 ケラケラとマヤが笑い出す。完全に酔っ払いだ。
「ちびちゃん、こら静かに」
 バー中にマヤの陽気な笑い声が響いた。舞台に立つだけあって声はデカイ。
 その場にいる客たちから冷たい視線を浴びる。バーを出るしかない。
「ちびちゃん、立てるか。帰るぞ」
 彼女の肩を抱き何とかスツールから立たせた。
「えー、やだー。もっと速水さんといたいです」
 マヤが駄々っ子のように言い出す。
 普段の彼女とは別人過ぎて苦笑いしか浮かばない。
「わかった。わかった。一緒にいるから。とにかく行こう」
 何とか宥めてバーを出た。



「大丈夫か?」
 エレベーターのある所まで、マヤの肩を抱いて歩いた。
 支えがなければ歩けない程マヤは酔っていた。
「なんか、気持ち悪い」
 エレベーターに乗り込むと青白い顔をマヤが浮かべた。
「おいっ、まだ吐くなよ」
 エレベーターは動き出した所だった。何かないかとポケットを探っているとホテルの鍵を見つけた。
 すっかり忘れていたが、泊まるつもりで部屋をとっていた。
 酒が入ると家には帰りたくなくなるのだ。
「仕方ないか」
 慌てて15階の階数ボタンを押した。
 すぐにエレベーターが15階に到着する。
「ほら、ちびちゃん、降りるぞ。もう少しだから我慢しろよ」
 マヤと共にエレベーターを降りて部屋に向かって歩いた。
 部屋は廊下の突き当りのスイートルームだ。
「着いたぞ」
 カードキーを差し込み部屋に入るとマヤを連れてすぐにバスルームに駆け込んだ。
 洗面台にしがみつくようにしてマヤが苦しそうに戻す。俺はマヤの背中をさすり続けた。



 マヤが落ち着いたのは部屋に入ってから2時間後ぐらいだった。
 俺も彼女も、もう帰る気力はなかった。
「俺はリビングで寝るから、ちびちゃんは寝室を使え」
 タキシードの上着をソファの背に放り、向かい側に座るマヤを見た。
「い、いえ、そんな訳には。私がここで、ソファでいいです」
「こういう時男はソファで寝るんだ。変な遠慮するな」
「でも……」
「ベッドの方がしっかり眠れるだろう。体調が悪いんだから無理するな」 
 彼女の顔を覗き込むように隣に座った。
 血の気のなかった顔色に少しだけ赤みがもどっていた。
「あの、何と言ったらいいのか。すみません」
「気にするな。どうせ今夜はここに泊まるつもりだったんだ。シャワー先に使うぞ」
「は、はい」
 マヤの返事を聞くと俺は寝室の隣にあるバスルームに入った。
 マヤの前では平気なふりをしていたが、かなり動揺していた。
 彼女とホテルに泊まる事が妙に生々しく胸を締め付ける。
 そんな風に感じるのはあの告白を悪戯だとは思っていないからだ。

 ――あたし、速水さんが好きです。

 何度も何度も頭の中で再生されるマヤの声。
 忘れようと思っても忘れられない程耳の奥にこびりついていた。
 最初は本当に、びっくりしたという感想しかなかった。
 でも、日が経つにつれて、マヤの事を考えている時間が増えていった。

 何を考えているんだ。あの子はまだ17才だぞと、自分に言い聞かせてみるが、
 だから、何だと開き直っている自分がいた。

 おかしな事だ。この俺が、大都芸能の鬼社長と恐れられている俺が11も年下の少女に振り回されてるなんて。
 マヤの一挙一動に動揺してるなんて。そんな自分に笑いたくなってくる。
 
 シャワーの栓を全開にし、熱めの湯を頭から被った。
 あれこれ悩むのに疲れた。今夜は何も考えずに寝てしまおう。
 部屋が別々なら気になる事もあるまい。
 ようやく決心し、いつもより長めのシャワーを浴び終わる。
 髪を軽く拭いて、バスローブに袖を通した。
 そして思い切ってバスルームから出た。寝室にマヤの姿はなかった。
 隣のリビングに行くとテレビがついていた。
「シャワー終わったぞ」
 ソファにマヤの姿を見つけて声をかけるが、返事がない。
「ちびちゃん?」
 もう一度声をかけるがマヤは黙ったままだ。
 どうしたのかと、近くまで行くと安らかな顔をして寝ている姿があった。
 微笑ましい寝顔に思わず笑みがこぼれた。
「座ったまま寝るなんて、器用な子だ。よし、おいで」
 小さな子供のように軽々とマヤを抱き上げ寝室に足を向けた。
 熟睡してるらしくマヤは全く起きる気配がない。小さくクーと寝息が聞こえるだけだ。
「やっぱりまだ子供だな」
 ダブルベッドの上にマヤを寝かせ、無防備な寝顔を見た。
 何だか癒される姿だ。
 少しだけと、自分に言い聞かせマヤの隣に寝転がる。時々むにゃむにゃと動く唇が可愛かった。
 猫にするようにそっとマヤの黒髪を撫でると、何とも気持ちよさそうな顔をする。
 きっと猫だったらゴロゴロと機嫌よく喉を鳴らしているに違いない。
 そんなマヤを見ていたら、瞼が重たくなってきた。
 リビングに戻らなきゃいけないと思うが、酒が入ってるので、億劫だ。
 このまま寝てもいいかと思った瞬間、さらに瞼が重くなる。
 もう目を開けてられない。眠くて、眠くて仕方がない。
 そして、完全に瞼が落ちて黒闇が広がった。

つづく
 
 



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2016.7.19





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