―――  雨と恋 7【速 水】  ――― 


 これ以上自分の気持ちに蓋をする事はできなかった。
目の前のマヤがただ愛しくて、俺は彼女にキスをした。
唇を放すとマヤは頬を真っ赤に染めていた。
そして驚きに満ちた目で俺を見ていた。
「……嫌だったか?」
黙ったままの彼女に不安になった。
マヤは頭を左右に振った。
「あの、びっくりして……初めてだったから」
戸惑いがちに彼女が答える。
「明日は学校休みか?」
「はい。明日から三連休です」
「俺もだ」
 俺の答えにさらに驚いたようにマヤが目を丸くした。
「速水さんにお休みってあるんですか?」
 マヤの質問に笑いがこみあがる。
「なんで笑うんですか?」
「君が信じられないって顔をするからだ。俺だってこの三連休はゆっくり休もうと思って
休日を取ったんだ」
 本当は水城君に休むように勧められたからだった。
「ゆっくり休もうって言葉が似合いません」
「酷いな。俺は機械で出来てる訳じゃないぞ」
 マヤが可笑しそうに笑い出す。
「あたし最初、速水さんって血も涙も通ってないと思ってました」
「俺は君の事生意気な子だと思ってた」
 マヤと目が合った瞬間、二人でふき出していた。
 楽しそうに笑うマヤの顔を見ながら幸せを感じた。
「三連休は一緒に過ごすか」
 楽しい気持ちがそんな事を口にさせた。
「え?」
 マヤがまたびっくりした顔で俺を見た。
「俺とじゃ嫌か?」
 マヤがブンブンと首を振る。
「じゃあ決まり。どこか旅行に行こう」
 そう言った瞬間、マヤに抱きつかれた。
「嬉しい」
 甘えるような笑顔を浮かべたマヤに胸がキュンとした。
 マヤにもう一度キスしようとした所で携帯電話が鳴った。
「もしもし」
 電話は社からだった。すぐに俺に戻って来て欲しいという内容だった。
「わかった。すぐに行く」
 電話を内ポケットにしまうとマヤが不安そうな目を向けてきた。
「お仕事ですか?」
「ああ」
「じゃあ、今夜はもう会えませんよね」
 寂しそうに俯いたマヤに胸がギュッと締め付けられる。
「案外君は寂しがり屋なんだな」
「ごめんなさい。あたしいけない事言ってますよね」
 雨の中に置き去りにされた捨て犬のような顔をマヤが浮かべた。
 そんな顔をされてはどこにも行けなくなる。
「二時間で帰ってくる。だから君は旅の準備をしててくれ。いいね?」
 マヤが晴れやかな表情で「はい」と頷いた。



 社に戻ると、俺を杉原というスーツ姿の真面目そうな男が待っていた。
「すみません。こんな遅い時間に」
 応接室のソファに俺は浅く腰かけ杉原と向かい合った。
 杉原とは初対面だった。差し出された名刺にはコンサートチューナーという肩書が書いてあった。
「コンサートチューナーって、ホールなどのピアノの調律をする仕事ですよね?」
 確認するように杉原を見ると彼が頷いた。
「片山なみの専属もしています」
 片山の名前を聞いてピンと来た。
 片山なみは子供の頃ジュニアコンクールで優勝経験を持つぐらいピアノが上手かった。
 だから、コンサートでもその腕を活かして片山はピアノの弾き語りをしていた。
「もしかして、片山と写真に撮られた相手の方ですか?」
「はい」と気まずそうに杉原が頷いた。
「この度は私の事で速水社長にはご迷惑をおかけしました」
 テーブルに手をついて杉原は頭を下げた。
「なみとは別れます。だから、どうか、なみを大都芸能に置いてやってください。
あの子にとってアイドルは生きがいなんです。私は彼女から生きがいを奪ってまで恋を成就させるつもりはありません」
 別れるという言葉に杉原の真剣味が感じられた。しかし、片山は別れる事に応じるだろうか。
「別れてもらえるのはこちらとしても願ったり叶ったりですが、本当に彼女と別れられるんですか?」
「はい。私は来週、日本を発ちます。おそらく一、二年は帰って来れないでしょう。なみには何も言わずに発つつもりです」
「なるほど。会おうと思っても会えない所にいる訳ですか」
「ですから、なみの事をどうか、どうかよろしくお願いします」
 杉原がさらに深々と頭を下げた。なみの事を心配する気持ちはよく伝わってきた。
「杉原さん、頭を上げて下さい。あなたの気持ちはわかりましたから」
「じゃあ、なみを今まで通り大都芸能に置いて頂けるんですね?」
「それはハッキリとはお約束できません」
 杉原の表情が曇る。
「どうしてですか?」
「彼女自身が決める事だからです。彼女が辞めると言ったら引き止める事はできません」
「ダメです。辞めさせないで下さい。彼女はアイドルとして人前に立つ事に喜びを感じてるんです。私なんかといたらなみがダメになってしまう」
「だったらどうしてなみに手を出したんですか?あなたはご結婚されてますよね?しかもお子さんもいるとか?」
 結婚してる身でなみと不倫の関係を持った杉原の不誠実さが男として許せなかった。
「おっしゃる通り、悪いのは全部私です」
 思いつめた杉原の表情にただならぬものを感じた。
「差支えなかったら、なみと交際するようになった経緯を話して下さい」
 社長として全てを知った方がいいと判断した。
 杉原は考えるように俺を見た。そして、小さくため息をついてから、片山なみと出会ったのが、15年も前だった事を口にした。
「その頃の私は個人宅のピアノ調律をしていました。それでなみの家にも行きました。
母子家庭で、母親はいなくいつもなみが応対をしてくれました。ぎこちない様子でお茶を淹れてくれる彼女に自然と親しみを持つようになりました。
なみが小五になるまで年に二回調律に行きました。そして私はドイツのピアノ工房に行くことになり、最後に会った時なみにキーホルダーをプレゼントしました。
それから11年が経ってコンサ―トチューナーとしてなみと再会しました。一目であの時の少女だとわかりました。
なみも私の事を覚えていて、あの時にあげたキーホルダーを持っててくれました。なみにずっと私の事が好きだったと打ち明けられました。
懐かしい思い出が一気に恋に変わりました。11年も離れていたのに私を想ってくれていたなみが愛しくて堪らなかったんです」
 杉原は苦しそうに息をついた。
「でも、気持ちを抑えるべきでした。私は結局なみを不幸にしてしまった」
 杉原は後悔するように口にした。
 片山が杉原と別れられない理由がわかり胸が痛くなった。
 杉原がいなくなった後の片山を思うとやりきれない。
「杉原さん、あなたのやり方は卑怯だ」
 思わず出た言葉だった。
「あなたがいなくなった後の片山の事を考えましたか?会わなければ気持ちは冷めると思ってるみたいだが、
片山は11年もあなたを想ってたんですよ。1、2年離れたぐらいで片山があなたの事を忘れらると思いますか?」
 杉原が追い詰められたような顔をする。
「じゃあ、私はどうすればいいんですか?」
「ハッキリと愛していないから別れると言ってやって下さい。あなたに愛されていない事がわかれば片山も諦められると思います」
「そんな事私にはできない……。なみが傷つくところなんて見たくない。なみを愛してるんです」
「でもやらなければならないんです。身を引く事も愛です」
「速水さん……」
「片山が芸能界に残れるかはあなたにかかっています。ちゃんと愛した責任を取ってから日本を発って下さい」


「社長もなかなかキザの事をおっしゃるんですね」
 杉原が帰った後、コーヒーカップを片づけに来た水城君がからかうような調子で俺を見た。
「何の事だ?」
 俺は煙草の煙を吐いた。
「愛した責任をとってってやつですよ。中々言えませんよ」
 自分のセリフに一気に恥ずかしくなる。どうも今夜はマヤの事があって感傷的になってるようだ。
「男として当然だと思ったから言ったまでだ。それより片山の様子はどうだった?」
 水城君に片山を送らせていた。
「泣き止んでいましたが、大分塞ぎこんでいました」
「一人にしない方がいいな。自殺でもされたらたまったもんじゃない」
「そう思って、マネージャーに側にいるように言ってあります」
「さすが水城君だ」
「社長は何も心配せず明日からの三連休をお過ごし下さい」
「ああ、わかってるよ。ちゃんと休むから。君も休むんだぞ」
「はい」
 残りの雑務を終えて、社を出たのはマヤと別れてからきっかり二時間後だった。
 俺は自分の車でマヤを迎えに行った。
 三連休は隠れ家となってる伊豆の別荘で過ごす予定でいたので、着替えが入った鞄を車に置いていた。
 まさかマヤを連れて別荘に行くことなるとは思ってもみなかった。
 明日は海に連れていってあげよう。楽しそうに浜辺を走るマヤを想像してにやけてくる。
 その次の日は伊豆半島をドライブでもしよう。気が向いたら温泉で一泊するのもいいだろう。
 気づけばハンドルを握りながらマヤとの予定を考えていた。
 とにかく楽しくて楽しくて仕方なかった。こんな気持ちになったのは子供時以来だった。
 アパート前に車を停め、俺は再びマヤの部屋を訪ねた。
 しかし、何度ドアを叩いても返事はなかった。
 ドアノブに触れると鍵がかかっていた。
 まさか眠ってしまったのか?ベランダ側から窓を見ると部屋の灯りは消えていた。
 しかし、これだけ戸を叩いているのだから、いくらマヤでも気づくはずだ。
 第一彼女は俺を待っていたはず……。
 もしかしたら買い物に行ったのかもしれない。急に旅行に行くと言ったから、準備の為コンビニでも行ってるのだろう。
 そう思うと気持ちが落ち着いてきた。
 とりあえずマヤを待ってみようと車に戻った。
 だが、しかし、一時間経っても、二時間経ってもマヤは帰らなかった。
 午前0時を過ぎた時、携帯電話が鳴った。
 着信表示は公衆電話になっていた。マヤがかけて来たのかもしれない。
 すぐに電話に出ると、聞き覚えのある女の声がした。
「社長、マヤちゃんには会えましたか?」
「片山なみか。そうか。君がマヤを連れ出したんだな」
「その通り」と言って片山が笑った。
「どういうつもりだ?」
「社長こそどういうつもりですか?高校生とキスするなんて」
「……見てたのか?」
「写真も撮りましたよ。私のブログにアップしたら面白い事になりそうですね」
「やめろ!そんな事したらただじゃおかないぞ」
「社長の困った声聞くとぞくぞくしちゃう」
「わかった。君はもう大都芸能を辞めるという事だな」
「辞めませんよ。ブログにアップされたくなかったら私と彼との事認めて下さい」
「まだ君はそんな事言ってるのか」
「私は両方失う訳にはいかないんです。あっ、マヤちゃんが戻って来たので切ります」
「マヤと一緒なのか?」
「あなたにも愛する者を奪われる気持ちを味あわせてあげます」
 電話は切れた。
 全身から血の気が引いていく。
「愛する者を奪うだと……。くそっ」
 苛立ちにハンドルを叩いた。
 マヤの事が心配で胸が張り裂けそうだった。




 俺は社長室で朝を迎えた。昨夜は一睡もできなかった。
 一晩中片山の携帯に電話し続けたが、電源はずっ切れたままだった。
 部下たちに片山の行方を探させているが、今の所見つかったという連絡はない。
「社長、少しお休みになった方が」
 水城君が心配そうに俺を見た。
「すまない水城君。君も今日は久しぶりの休みだったのに」
「いいえ。私がいけなかったんです。マネージャーを巻いて行方をくらますとは予測できませんでした」
「君のせいじゃない。俺が片山を追い詰めたんだ」
 片山にとって杉原の存在がどれだけ大きなものだったかを理解していなかった。
 もう少し穏やかに話をするべきだった。
「やはり警察に届けるか」
 アイドルとしての片山の名に傷がつく事を恐れ、警察には連絡していなかった。
 たが、もうそんな事を気にしてる場合ではない。
「待って下さい。警察に届ければなみは犯罪者になってしまう」
 向かい側のソファに座っていた杉原が血走った目で俺を見た。
 なみの事を心配して彼も昨夜から一緒にいてくれた。
「仕方ないでしょう。無理心中でもしたらどうするんですか?」
 考えたくなかったが、自棄になった片山がマヤを道連れにする事だってある。
 杉原は反論の言葉を飲み込み、押し黙った。
「あっ、片山なみのブログが更新されています」
 水城君がパソコンを覗きながら口にした。
「何!」
 まさかマヤとのキスシーンをアップしたのか。
 すぐにパソコンを見た。
 
 『今朝の富士山きれい!今日はいい日になりそう。久しぶりにピアノを弾こうかな』

 一緒に富士山の写真が載っていた。

「片山の実家は静岡だったな?」
 水城君を見ると頷いた。
「もしかして、ここは」
 パソコンを覗き込んでた杉原が思い出したように携帯電話を取り出した。
 そして何かを探し始めた。
「あった!これだ。見て下さい」
 杉原の携帯を見ると片山がアップしたのと同じ角度の富士山の写真があった。
「なみのお気に入りの場所から撮った写真です」
「じゃあ、片山はそこにいるのか」
「だと思います」
「行くぞ」
 杉原を連れて俺は静岡に向かった。

つづく
 
 



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2016.10. 14





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