―――  雨と恋 8【マ ヤ】  ――― 


  静岡県の東部に位置するその街の北方には世界遺産にも登録された富士山があった。
 澄んだ秋の空をバックに町全体を見下ろすように富士山が見えた。
 到着した時は夜だったのでこんなに富士山が大きく見える場所にいるとは気づかなかった。
「いい眺めでしょ?」
 屋上のフェンスに寄りかかるようにして立っていた片山なみがあたしを見た。
 一年前にテレビ局で会った時より、少し痩せたように感じた。
「はい。びっくりです。こんな景色があったなんて」
「マヤちゃんは喜び上手ね」
 なみさんが親しみのある笑顔を浮かべた。
 ロングカーディガンにジーパン姿の彼女はテレビで見るよりも気さくに思えた。
「ところで速水さんは何時頃来るんですか?」
 急用の入った速水さんの代理としてなみさんはあたしを迎えに来た。
 あたしは三日分の着替えが詰まった旅行鞄と共になみさんの車に乗ってここまで連れて来られた。
「うーん、まだ連絡がないのよね」
 なみさんがカーディガンから携帯電話を取り出して確認してくれる。
「そうですか」
 速水さんと一緒に三連休過ごせると思っていたので、少し寂しかった。
「やっぱりあたしじゃダメ?」
「い、いいえ。そんな事ありません」
「あなたっていい子ね」
 なみさんが優しい目であたしをじっと見た。
「ねえ、マヤちゃん覚えてる?初めてあたしたちが会った時の事」
 記憶がすぐに蘇った。
「テレビ局のスタジオでしたよね。速水さんとなみさんは『天の輝き』を見に来てて」
 その時、速水さんからなみさんを紹介してもらった。
 仕事の鬼の速水さんがなみさんに対して砕けた表情を向けていたので、何となく心に引っかかっていた。
もしかしたら、あの時感じたのはやきもちだったのかもししれないと今になって思う。
「マヤちゃん、あの時あたしが社長と仲良く笑ってたから焼きもち妬いてたでしょ?」
 今思った事をそのまま言われ、苦い気持ちになった。
「マヤちゃんて正直な人ね」
 なみさんがソプラノの声でおかしそうに笑う。
「でも、あの時はそんな風には思わなかったんです。速水さんのくせに楽しそうにしてるなって思っただけですから」
「それいい。社長って本当、いつもは無表情で怖そう。最初社長に会った時、社長は機械人間なんじゃないかと思ったわ」
 自分と同じ感想を持ってた人がいた事に何だか可笑しくなって、あたしは笑い出した。
「本当、あの人は仕事の鬼で冷血漢で、無感情で。だから笑わせてやろうと思ったのよ。会う度に親父ギャグを言って
たら、あの冷血漢お腹を抱えて笑い出したの」
 言葉とは裏腹になみさんが悲しそうな表情を浮かべた。
「なみさん?」
 なみさんは黙ったまま富士山を見ていた。
「ここ、子供の頃からのお気に入りの場所なの。ちゃんと見つけてくれるかな」
「え?」
「何でもない。ところでマヤちゃんはいつから社長と付き合ってるの?」
 なみさんが好奇心いっぱの目を向けてきた。
 恥ずかしくて頬が熱くなった。
「えーと、多分、昨日から」
 速水さんが好きだと言ってくれたのは昨日だったけど、付き合ってる事になるのかわからず、曖昧に笑った。
「えー!そうなのー!」
 なみさんが大きな目を見開き、心底驚いたような顔をした。
「昨日って、昨日なの?」
「はい」
「もっと前からだと思ってた。だってマヤちゃんといる時の社長って仕事抜きって感じに見えるから」
「そんな事ありませんよ。あたしが勝手に好きになって、昨日速水さんが返事をくれたんです」
「逆だと思ってた。社長から初めてマヤちゃんを紹介された時、私、社長はマヤちゃんに気があるんだと思ってた」
「そ、そんな事ありませんよ。速水さんはあたしの事そんな風になんか見てませんから」
 胸の前で否定するように大きく手を振った。
 紫の薔薇の人として気にかけてくれてはいたけど、きっと恋愛感情とは違う。
 11も年下のあたしを女性として速水さんが意識するはずない。というような事を言うとなみさんが笑った。
「男と女に年の差になんて関係ないのよ。あたしなんて7才の時に出会った15才年上の人を今でも好きなんだから」
 さらっと言ったマヤさんの一言に今度はあたしが目を見開く番だった。
「なみさんの恋人も年上なんですね」
「そうよ。だから、いつも子供扱いされちゃう。でも、幸せなんだけどね。年上の人だから全てをわかっているっていうか、安心できるの」
 何となくなみさんの言葉に共感できる。
 あたしも速水さんには安心して甘えてる部分がある。
「好きになるとワガママになるの。すっごく、すっごく。それで、そんな自分が嫌になる」
「わかります。あたしもすごく速水さんにはワガママな事言ってます」
 よく考えれば忙しい速水さんにずっと一緒にいて欲しいなんて物凄いワガママだ。
「私は彼と離れたくなくて、無理な事ばかり言って彼を困らせてしまう」
 なみさんが深く息をはいた。
「恋愛って本当厄介ね。彼の事を嫌いになれればもう少し楽になれるのに」
 なみさんが俯いた。
「嫌いになりたいんですか?」
 あたしにはわからなかった。好きな人を嫌いになりたいなんて思った事はない。
 里美さんを好きになった気持ちは残っている。好きな人はずっと好きなままなんだと思っていた。
「自分の為に嫌いになりたいの。本気で人を好きになると周りが見えなくなるのよ。やってはいけない事だってしてしまう。
彼を失うぐらいなら、私は今ここで死んだ方がましだって思うの」
 なみさんがフェンスの先の校庭を眺めた。なみさんの目は真っ直ぐに下を見ていた。
 今にもなみさんがフェンスを飛び越えてしまいそうで怖かった。
「なみさん、ダメ!」
 あたしはなみさんの腕を掴んだ。なみさんの腕には力が入っていた。
「なみさんが死んじゃったら、なみさんの好きな人がきっと悲しむ。好きな人にそんな想いさせちゃダメ」
「マヤちゃん……」
「なみさん、彼が好きなら死んじゃダメです!」
「彼が好きだから死んであげるのよ。彼にとって私はお荷物だから」
「そんな事ない!!速水さんはそんな風に思わないって、あたしは思います」
「社長と彼は違う。彼は結婚してるの。子供もいるの」
「え!」
 驚いた拍子に力が抜けた。
 なみさんがあたしの手を振り払ってフェンスを飛び越える。
「なみさん!!」
 なみさんに腕を伸ばそうとした時、後ろからフェンスを飛び越える大きな影が見えた。
 影はなみさんを抱え込むように倒れ込む。落ちたかと思い、あたしは目を閉じた。
 でも、次の瞬間に聞こえたのは速水さんの怒鳴り声だった。
「バカもんが!!」
 目を開けると縁ギリギリの所で倒れているなみさんと速水さんの姿があった。
「しゃ、社長……」
 なみさんの気の抜けたような声がした。
「簡単に死ねると思うなよ。君は大都芸能の物だ。俺に損させたら許さないからな」
 速水さんが怖い顔でなみさんに凄んだ。こんなに怖い顔の速水さん初めて見た。
「なみ!!」
 男の人が屋上の入り口から物凄い勢いで駆けて来た。
 速水さんに支えられて立ち上がったなみさんはその人を見て、泣きそうな顔をした。
「杉原さん……」
「バカ野郎!」と言って男の人はフェンスを越え、なみさんを抱きしめる。
 なみさんが抱きしめられたまま声をあげて泣いていた。
 速水さんに視線を向けると、ホッとしたような顔をしてあたしを見ていた。





「つまりあたしはなみさんに誘拐されたって事ですか?」
 速水さんの運転する車の中であたしはようやく事情がつかめてきた。
「簡単に言えばそうなる」
「ウソ……。だって、なみさん、凄く優しかった」
 信じられなかった。なみさんは友人に接するようにあたしに親切にしてくれた。
 夜の高速をドライブして、インターで夕食を食べて、ホテルも同じ部屋に泊まって……。
「そんな……なみさんが……」
 ショックだった。
「監禁されてるんじゃないかと、俺は冷や冷やしてた。下手したら無理心中だってしてたかもしれない」
「やめて下さい!なみさんはそんな人じゃないです。とってもいい人です」
「いい人が君を騙してこんな所まで連れてくるか?」
「こんな所って、ここはいい所です。富士山だって見えるし」
「君はどこまでお人好しなんだ」
 呆れたように速水さんがため息をついた。
「彼女は俺を脅したんだ。君との関係を持ち出して」
「あたしとの?」
「君とホテルで会ってた所を目撃されてな。写真を撮られた。昨日の事も」
「昨日の事?」
「俺が君にキスしてる所だ」
 カーッと顔が熱くなった。
「昨日から心配で心配で堪らなかったんだぞ」
「でも、どうして小学校の屋上にいるってわかったんですか?」
 当然の疑問が浮かんだ。
「片山がブログに富士山の写真をアップしたんだ。杉原さんがすぐに片山のお気に入りの場所だって気づいて」
 ブログの話を聞いてなみさんの意図がわかった気がした。
「なみさん、迎えに来て欲しかったんだ」
「俺もそう思った。片山は杉原さんを試したのかもしれない。俺たちを巻き込んでな」
 速水さんは不機嫌そうな顔をした。
「まあ、俺も悪かったがな。杉原さんと別れろと言いながら、ちびちゃんとデキてしまったんだから」
 速水さんが少し照れくさそうに後半の言葉を口にした。
「ごめんなさい。速水さんが大変な時にあたしが気持ちをぶつけたりしたから」
 責任を感じた。あたしと速水さんの始まったばかりの恋はなみさんにとってあてつけのように感じられたかもしれない。
「君が責任を感じる事はない」
 左手をハンドルから放すと速水さんはあたしの頭を優しく撫でてくれた。
「でも」
「今は余計な事考えるな。せっかくの三連休だぞ」
 三連休の響きに胸がドキドキとしてくる。
「どこに連れて行ってくれるんですか?」
「とりあえず俺の別荘だ。伊豆にある。今日はそこでのんびりしよう」
「速水さんの別荘に行けるんですか。わーい。嬉しい!」
「あんまり騒ぐなよ。俺はもう眠くて仕方ない。着いたらまず昼寝させてくれ」
「速水さん寝てないの?」
「当たり前だ!君が誘拐されて寝れる訳ないだろ!」
「急に大きな声出さないで下さい。びっくりします」
「疲れてて声のボリュームがおかしいんだな」
「速水さん、居眠り運転だけはしないで下さいよ」
「自信ない」
「えー!怖い事言わないで下さい!」
「君こそ急に大きな声出すな。ただでさえ君の声は大きいんだから」
「だって速水さんが」と言ってあたしは膨れた。
「なんだ。饅頭のまねか。それとも大福か?」
「女の子に饅頭だの、大福だのって酷いです……って、速水さんあたしの顔なんか見てないで、前見て運転して下さい!」
「だから君の声は大き過ぎる!もう少し絞れないのか!」
「速水さんだって声大きいです!」
「君に言われたくないね」
「もう、ああ言えばこう言う!この屁理屈や!」
「なんだと!君を心配してここまで来た俺にそういう事言うのか?だいたいな。君が簡単に人に騙されるからいけないんだ。
片山が俺の代理だって聞いて普通疑うだろ」
「それを言うなら、あたしになみさんを紹介した速水さんにだって責任ありますよ。速水さんに紹介された人だから疑わなかったんです!」
「くっ」
 速水さんが困ったように押し黙る。
 あたしは心の中でガッツポーズをした。
「マヤ」と呼ばれドキっとした。
「はい」
「もう言い合いはやめよう。俺は本当に疲れた」
 速水さんのくたびれたような横顔を見てあたしはくすぐったいような気持ちになった。
 いつもの偉そうな速水さんじゃない、弱った速水さんを知る事が出来て嬉しかった。
 窓の外を見るとすっかり富士山は小さくなっていた。
 なみさんと杉原さんがどうかうまくいきますようにと願いながら、あたしは速水さんとの三連休にわくわくし始めていた。

つづく
 
 



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2016.10. 15





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