―――  雨と恋 9【速 水】  ――― 


  海岸線に出ると助手席のマヤが「きれーい!」と歓声をあげた。
寝不足の頭にズキッと響く程、相変わらず大きな声だったが、彼女が嬉しそうにしていたので、喉元まで
出かかっていた文句は飲み込む事にした。
 夏は白浜海岸に向かう車で混雑していたが、10月も半ばを過ぎていたので道路は空いていた。
 白い砂浜にエメラルドグリーン色の海と空の景色をマヤは窓にしがみつくようにして見続けていた。
 そういう所は17才の無邪気な女の子だ。思えば初めてマヤに会った時、彼女はまだ13才だった。
出会ってからもう4年も経つのかと、ハッとさせられる。
 「若草物語」のべス役に心奪われ、気づけば彼女の舞台を見ていた。「たけくらべ」「ジーナと5つの青い壺」
「嵐が丘」「奇跡の人」……思い出すだけで血がわきたつ程、マヤの演技は素晴らしかった。
 学校で演ったという「女海賊ビアンカ」に「通り雨」もファンとして見てみたかった。
「君は凄いな」
 思わず出た言葉にマヤがえっ?と驚いたような視線を向けてきた。
「何か言いました?」
「いや、何でもない。もうすぐで着くぞ」
 車は海岸ラインを外れ脇道に入る。2キロ程山道を上った先に別荘があった。
「わー!素敵!」
 車から降りたマヤは大げさな仕草で二階建ての別荘を見上げていた。
「波の音が聞こえるんですね」
 一定のリズムで絶え間なく続く波の音が辺りを包んでいた。
「すぐ下は海だからな」
「海風も気持ちいい」
 マヤが顔を海の方に向けて目を閉じた。風を感じる横顔はとても気持ちよさそうだ。
「海の匂いがする」
 目を開けたマヤが好奇心いっぱいのキラキラした目で俺を見上げる。そんなマヤを見られて何だかこっちまで嬉しくなる。
「さあ、お嬢様、お手をどうぞ」
 恭しく左手を差し出すとクスっと笑いながらマヤが右手を重ねた。柔らかい手の感触に幸せを感じた。
 俺はマヤの手を取り、玄関までの階段を上った。
 そして玄関ドアを開け、マヤを中に入れた。
 玄関ホールを囲むように色とりどりの花が飾られていた。その光景にマヤが「わあっ」と感激したような声をあげた。
 別荘番の古谷に花を飾るように頼んでいたが、かなり大袈裟にやってくれた。
 いつもの殺風景な別荘とは違い、少し照れくさい気持ちになったが、マヤの驚いた顔を見て大成功だっと思う。
「いつもこんなに花を飾ってるんですか?」
「まさか。君の為に用意させたんだ」
「速水さん、あたし、あたし、胸がいっぱいで」
 マヤが大きな瞳を微かに潤ませ始めた。
「どうしよう……。嬉しい……」
 声を詰まらせ、喜びに戸惑っているマヤの姿にこちらまで胸がいっぱいになる。
 ああ、どうしてこんなに可愛いんだ。
 抱きしめようと手を伸ばした時、マヤが俺の手を取り、部屋が見たいと弾んだ声で口にした。
「はいはい。では、ご案内いたしますよ」
 俺はマヤと手を繋ぎながら部屋を案内していった。
 リビング、キッチン、バスルーム、書斎と歩き、寝室がある二階に行った。
 二階にゲストルームは三部屋あったが、誰かを泊めた事は一度もなかった。
「俺の寝室は廊下の奥で、君はここを」
 階段をあがってすぐの部屋を開けると14帖程の洋室があった。
海岸に面した方に大きな窓があり、日当たりのとてもいい部屋だった。
家具はダブルサイズのベッドが一つと、ソファとテーブルにタンスがあった。
「お風呂まであってホテルみたい」
マヤがバスルームを覗きながら口にした。
「一応客室だからな。それなりの設備はある」
「誰か泊まりに来るんですか?」
 そう聞いたマヤが一瞬、女性の影を探す女の顔をした。
 嫉妬された事に顔がにやけそうになるのを抑える。
「なんだ心配してるのか?」
「心配っていうか……」
 マヤがもじもじと繋いでる手の小指を動かす。
「誰も泊まりに来た事はないよ。部下が一人訪ねてくるぐらいだ。その部下も男性だよ」
「そうなんですか」
 パッとマヤが明るい表情を浮かべた。
 わかりやすい子だ。
「次は速水さんの寝室が見たいです」
「ああ、いいよ」
 部屋を出てマヤと並んで廊下を歩いた。
 間に一部屋あって、その前を通って俺の寝室に入った。
 マヤをすぐ隣の部屋にしなかったのは自分への戒めだった。
 どんなに好きでも、高校生のマヤとはキス以上の事は許されない行為だ。
「ベッドしかないんですね。テレビとか置かないんですか?」
 ダブルベッドしかない殺風景な部屋をマヤが見回した。
「寝室に余計な物は置きたくないんだ。その方がスッキリ眠れる」
「あたしはいつもテレビ見たまま寝ちゃいます。でも、よく眠れますよ」
「なんか君らしいな。きっとテレビの電源を切るのは青木くんなんだろ?」
「そんな事ありませんよ。ちゃんと一時間タイマーかけて見てるんですから。朝までつけっぱなしになってた
事があって麗に怒られたからなんですけどね」
 マヤらしいエピソードに笑いが込みあがる。
「俺と一緒になった時はテレビはやめてくれよ」
「え?」
 無意識に出た言葉に自分でも驚いた。
「いや、だから、俺と一緒に眠る事があったらという意味で……」
 一緒に眠るという単語が何だか艶めかしい響きに聞こえてくる。
 マヤは変な勘違いをしてないだろうかと心配になるが、なぜか嬉しそうな顔をした。
「速水さん、一緒に寝てくれるの?あたし、本当は寝室一緒がいいなって思ってたんです。だって、あんな
広い部屋に一人で眠るなんて、心細くて」
「え、いや、だからな」
 不味い。このままではマヤと一緒に眠る事になってしまう。
 誰もいない別荘で、ベッドを共にしたら、眠るだけでは済まなくなる。
「良かった。速水さんが一緒に寝てくれれば安心です」
 どうしてマヤには警戒心がないのか。男とベッドを共にする危険性を少しはわかって欲しい。
「俺は一人じゃないと眠れないんだ。だから、君と一緒に眠るつもりはない」
 こんな事言いたくなかったが、マヤにわかってもらうにはハッキリ言わなければならない。
 途端にマヤが不安そうな表情を浮かべた。
 やめてくれ。そんな悲しそうな顔をされたら、どうしたらいいかわからなくなる。
「でも、ホテルでは一緒に寝てたじゃない」
 マヤが反発するように小声で口にした。
「何の事だ?」
「ほんの数日前の事ですよ。一緒に泊まったじゃないですか。その時、速水さんが同じベッドで寝てたのを
あたし知ってるんですよ。あの時は何であたしの隣で寝息立ててたんですか?」
あの時の事かとすぐに記憶が蘇った。
まるで犯罪を暴く刑事のような鋭い目をマヤが向けてくる。
  「あれは酒が入ってて、疲れてて、単純に眠かったんだ。リビングで君が寝てしまったから、ベッドまで連れて行って、
それで面倒になって君の隣で俺も眠っただけだ」
「じゃあ、お酒が入ってたら眠れるって事ですか?」
「うん。まあ」
「だったら、お酒を飲んであたしと一緒に寝て下さい」
 危険な一言にフラッと立ちくらみがした。
「バカか君は!」
 思わず怒鳴っていた。そんな危険な事出来る訳ない。
 酒を飲んで理性が緩くなった俺はそれこそ何をするかわからん。
「あたしはただ……速水さんと一緒にいたいだけなのに」
 マヤの瞳がみるみるうちに潤んでいく。
 しまったと思った時は既に遅かった。マヤの機嫌はあっという間に悪くなった。
「バカって酷い!いいですよ。わかりました!そんなに一人がいいなら帰ってあげますよ」
 俺の手を放すと物凄い勢いでマヤが部屋から飛び出した。
「おいっ、待て」
 慌ててマヤを追いかける。
 ドタドタとマヤは階段を駆け下り、玄関から出て行こうとした。
 玄関ドアに触れようとした所で、マヤの腕を掴んだ。
「待ちなさい」
「放して下さい!速水さんが迷惑に思ってるなら帰りますから」
「誰も迷惑だなんて思ってない。ただちょっと……俺はその……心配なんだ」
「心配?何がです?」
 責め立てるような険しい目でマヤが睨んでくる。
 俺はマヤの両頬を掴むと、自分の方に向けさせ唇を奪った。
 昨日よりも激しく唇を吸い、マヤの唇の中に舌を入れた。
「やっ!」
 驚いたマヤが俺の体を突き飛ばして、離れた。
 顔中を真っ赤にしたマヤが警戒するように唇を両手で抑えていた。
「つまりこういう事だ。男と一緒に眠るって事は今みたいな事をされてもいいって事なんだ」
「あたしそんな事思ってません」
「わかってるよ。わかってるけど、君の事が好きだから、俺は今みたいな事をしたくなってしまう。
好き合った男と女が何をするかは君でもわかるだろう?俺はそういう事をしたくなるんだ」
「……じゃあ、速水さんはあたしの事本当に好きじゃないの?」
「は?何でそうなる?」
「だって、少女漫画とかだと、本当に好きな人にはそういう事しないもん」
 少女漫画……。
 頭が痛くなってきた。
「速水さんは結局、あたしの体目当てなんだ」
 あまりにも不似合いなセリフに笑ってしまう。
「なんで笑うの!」
 俺を睨みつける瞳に涙が滲んでいた。
 マヤの傷ついた心が伝わってきて何も言えなくなる。
「速水さんなんか大嫌い!」
 そう言ってマヤは玄関から飛び出した。
 追いかけようと思ったが、久しぶりに聞いた大嫌いがショックで動けなかった。



 荷物を置いたまま出て行ったマヤは頭を冷やしてすぐに帰ってくるだろうと思っていた。
 しかし、一時間経ってもマヤは帰って来ない。
 さすがに心配になってくる。もう陽は傾き出したというのに。
 このあたりは陽が沈んでしまえば真っ暗になる。女の子一人で歩くのは危険だ。
 それに海風も冷たくなってくる。マヤは薄手のカーディガンにひざ丈のスカートで明らかに薄着だった。
「全く、困った子だ」
 ため息をつき、マヤに着せてやるコートを持って別荘の外に出た。
 すると呆気ない程簡単にマヤを見つけた。
 玄関ポーチ下の階段の端に丸くなった背中があった。
 階段を降りて冷え切ったマヤの肩にコートをかけてやった。
 マヤは驚いたように泣き腫らした目を俺に向けてきた。
「どうして中に入らないんだ?心配したぞ」
 俺の言葉にマヤの瞳から大粒の涙が落ちた。
「だって、だって……」
 その後は言葉にならないようで、マヤはただ泣いていた。
 胸が締め付けられる光景だった。
 マヤを悲しませているのは俺かもしれない。なんであんな事を言ってしまったのか。
「ちびちゃん、風呂で温まって来い。それからディナーにしよう。今夜は俺の手料理をご馳走する。
それから君が望むなら君が寝つくまで側にいよう。大丈夫、何もしないから」
「本当に?」
 スンと鼻を鳴らし、涙に震える声でマヤが口にした。
「ああ。本当だ。約束しよう。俺は約束は守る」
マヤに小指を差し出すとびっくりする程冷たいマヤの小指が重なった。



 マヤが風呂に入ってる間、キッチンに立った。
 冷蔵庫には三日分の食料がぎっしりと詰まっていた。
「何を作ろうか」
 腰に手をあてて考える。料理は趣味の一つだった。別荘にいる間はほとんど自炊をしていた。
「おっ、海老やイカもあるのか」
 場所が場所だけに食材は海の物が多かった。
 野菜室にはニンジン、玉ねぎ、じゃがいもがあった。
 野菜を見てマヤが好きそうなメニューが浮かんだ。
「よし」
 俺はマヤを喜ばせるため、調理にとりかかった。



 ダイニングテーブルの前に座ったマヤが驚いたように目を丸くしていた。
 テーブルの上にはコンソメスープ、サラダ、そしてシーフードカレーが並んでいた。
 俺はマヤの向かい側に座って、目を見開いて大袈裟に喜ぶマヤの顔を見た。
「これ全部速水さんが作ったんですか!」
「他に誰がいる?」
「えー凄い!だって、一時間ぐらいですよ。あたしだったら、一つ作るのに一時間かかります」
「随分と手際が悪いな」
「だって、野菜切るのだって、大変なんですよ。もう玉ねぎとか目が痛くて、痛くて。
サラダにも、カレーにも、スープにも玉ねぎ入ってますけど、速水さんは大丈夫だったんですか?」
「ちょっとしたコツがあるんだ」
「コツって?」
「冷蔵庫で冷やすんだよ。目が痛くなるのは玉ねぎに含まれる硫化アリルという成分のせいなんだ。
その硫化アリルは揮発性だから温度が低くなると飛びにくくなるんだ」
「りゅうかありる?きはつせい?」
 マヤがきょとんとした顔をする。少し説明が難しかったかもしれない。
「簡単に言うとだな」
「はい」
「冷蔵庫で冷やしておけば涙を誘う成分は飛ばなくなるって事だ。ただし、切る直前に冷蔵庫から出さないと
意味ないぞ。常温に戻ったら冷やしてた効果はなくなるからな」
「速水さんってそんな事まで知ってるんですね」
「母が泣きながら玉ねぎを切ってたのを見て、何とかしてあげたいって子供の時思ったんだ」
「じゃあ、お母さんの為に調べたんですか?」
「まあな」
「速水さんって、いい子だったんですね」
 マヤが感心したような顔を向けてきた。
「今はいじめっ子だけど」
 ぼそっとマヤが余計な一言を付け加える。
「好きな子は昔からいじめたくなる性分なんだ」
 マヤの頬が一気に赤くなった。
「でも今夜はいじめないよ。君に泣かれると応えるからな。胸が痛くて痛くて苦しいよ」
 信じられないとばかりにマヤが笑う。
「嘘だ。速水さん、全然平気そうに見える」
「そう見えるだけで、内心傷ついてるんだ。さっき君に大嫌いって言われたしな」
 大袈裟に傷ついた顔をすると、マヤがバツが悪そうな顔をした。
「カレー美味しいですね!海老もイカも入ってて」
 俺のご機嫌を取ろうとマヤが料理を褒めだした。
「スープも塩加減がいいです。速水さん特製のドレッシングがかかったサラダも美味しい!」
 わざとらし過ぎるマヤの態度にぷっとふき出していた。
 舞台を降りると本当にマヤは大根役者だ。でも、そんな所が愛おしい。
「そうか、そうか。じゃあ、どんどん食べなさい。お代わりもあるぞ」
「わーい、やったー!」
 マヤは小さな子供のように喜び、カレーを平らげた。
 そしてお代わりを二杯もした。
「ちびちゃん、華奢なわりによく食べるな」
「だって育ち盛りですから。もうお腹がすいて、すいて」
「俺に気をつかってお代わりしてるなら無理するなよ」
「そんな事ありませんよ。お代わり下さい」
 三杯目の皿を出され本当に大丈夫なのかと心配になるが、美味しそうに食べるマヤに無理してる様子はなかった。



 夕食の片づけをマヤとした後はテラスに出る事にした。寒くないようにマヤにはフリースも着せた。
メンズ物だったので、すっぽりとマヤの指先まで収まった。マヤは袖口を二つ折りしたが、それでも指先は袖口に
あたっていた。そんな所が可愛いくて、思わずにやけてしまう。
「何です?」と刺の含んだ声でマヤは口にした。きっとバカにされていると思ってるのだろう。
君が可愛いからにやけたんだとは照れくさくて口に出来なかった。
代わりに「別に」と素っ気なく答え、マヤの視線から逃げるようにテラスに出た。
昼間よりも風が冷たかったが、頬を優しく撫でるように当たる風は心地よかった。

「すごーい。星だらけ!」
 
 テラスに出て来たマヤが開口一番に口にした。その声に驚きと、嬉しさと、感動があった。
 ここにマヤを連れて来て良かったとしみじみ思う。
「ちびちゃん、椅子に座ってごらん」
背もたれを深く倒した椅子が二つあった。マヤは言われた通りに椅子にごろんと横になる。
俺も同じように隣の椅子に座った。視線が完全に空に向き、満天の星空が見えた。
「よく見えます。まるで星空を飛んでるみたい」
「俺のお気に入りの眺めだ。星を見ていると自分の悩みがちっぽけな物に思えてくる」
「速水さんでも悩む事ってあるんですか?」
「生きていれば誰だって悩む事はあるよ。人間とは悩む生き物なんだ」
「なんか哲学者みたい」
 クスッとマヤが笑う。
「やっぱり速水さんの悩みって仕事関係ですか?」
「いや、ここに来る時は仕事の事は考えない」
「じゃあ、どんな事で悩むんですか?」
「そうだな。最近だと主に君の事で悩んでるな」
「あたし?」
「思えば君に出会ってからずっと悩んでる気がする」
「もしかして、それは……」とマヤが何かを言いかけ口をつぐむ。
「何だ?」
「いえ、何でもないです」
 そう言いながらもマヤは何か言いたそうな顔をしてるように見えた。
「遠慮せず、何でも言ってみろ」
「怒りませんか?」
「怒らないよ」
「……紫の薔薇の人」
 思いがけない単語がマヤの口から出てハッとした。
「速水さんが、紫の薔薇の人だからあたしの事で悩むのかなって……思ったんです」
 全身を雷が貫いたような衝撃があった。びっくりして起き上がりマヤを見ると、マヤも俺に習うように椅子から起き上がった。
そして真剣で、一途な目を向けてくる。脈が上がった。まさか、まさか、マヤに知られてるのか?俺が紫の薔薇の人だって本当に
わかってるのか?
「何の事だ」
動揺を胸にしまい込み、何とかその一言を口にした。
「とぼけないで下さい。あたし、もう全部知ってますから」
 胸が苦しくて、これ以上マヤの顔を見ている事が出来ない。一生知られてはいけなかった事を知られ、この場から逃げ出したかった。
 俺は椅子から立ち上がり、マヤに背を向けた。
「ねえ、速水さん、あたし、あたし……」
 マヤの声が涙に詰まる。
 マヤが俺の事を好きになった理由がようやくわかった気がする。
 俺が紫の薔薇の人だと知ったから好きになったんだ。速水真澄個人に好意を持ってくれた訳ではない。
 きっとマヤの事だから、紫の薔薇の人がどんな悪人であっても好きになったはずだ。
 じゃなきゃ、母親を死に追いやった人間に惚れるはずがない。
「速水さん、あたし、沢山、沢山、あなたに感謝してるんです」
 背中にマヤの温もりを感じた。
 細い腕が後ろから俺の腰を抱きしめていた。まるで大切な人にするように。
「……俺は君の母親を死なせた男だぞ」
 喉の奥から絞り出すようにやっと言葉が出た。怒りに手が震えていた。
「あたし、もうあなたを憎んでません!本当のあなたの姿を知ったから」
「本当の俺だと?」
 振り返ってマヤの顔を見た。涙が浮かぶその瞳は俺を真っ直ぐに見つめていた。
 だが、彼女が本当に見ているのは俺ではなく、紫の薔薇の人としての俺だ。胸が妬ける。
「君は勘違いしてる。本当の俺は酷いヤツだ。君の大切な劇団を潰し、母親を殺し、利益の為だったら何でもするような男だ」
「そんな事ない!本当の速水さんは凄く、凄く優しい人です。優しすぎるから……速水さんは悩んでるんだと思います」
マヤの言葉にハッキリと紫の薔薇の人としての自分を感じた。
やっぱりマヤが惚れてるのは俺ではなく、紫の薔薇の人としての俺だ。まさか自分自身に嫉妬する事になるなんて。
「高校生の君に俺の何がわかる!」
 苛立ちをそのままマヤにぶつけた。
 マヤはまた傷ついたような、悲しいような顔をした。
 今日二度目だ。俺ではやっぱりマヤを幸せにできない。その事が身に染みてわかる。
「ごめん。言い過ぎた」
 宥めるようにマヤを抱きしめながら、この恋は手放さなければいけないと感じた。
 この休みが終わったら、マヤと別れよう。それが彼女の為なんだ。


つづく
 
 



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2016.10. 18





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