2011.8.7

風邪-2nd day-(マヤ)


「こんな所で寝てたら、風邪引くぞ」

そう言われ、瞼を開けると、うっすらと誰かの心配するような顔があった。
何だか体中が肩が凝ったような鈍い痛みを感じた。
私は一体どうしたのだろう。
「う・・・ん。・・・速水さんに言われたくないですよ」
寝惚けながら言った自分の言葉に私は急に現実に戻ったようにハッとした。
私の顔の前にあったのは速水真澄の顔だ。
飛び上がるように、起き上がろうとすると、速水真澄の顎と、私の後頭部が当然のようにぶつかる。
「いたっ」
短く彼の悲鳴のような声が漏れた。
彼は痛そうに形の良い顎を右手で撫でていた。
「す、すみません」
私の後頭部にも少しは痛みがあったが、口に出す程ではなかった。
「今、何か冷やすもの持って来ます」
慌てて椅子から立ち上がろうとした時、彼の左手が私の右腕を掴む。
「いい。君の石頭には驚いたけど、大丈夫だ」
顎を撫でながら彼は笑った。
「本当にすみません。私っていつもそそっかしくて」
つくづく自分の注意力のなさに反省する。私は頭の上にボウリングのボウルが乗っているように、深く下げた。
すると、更に彼の笑い声が聞こえて来た。
「そんなに深々と頭を下げなくてもいいよ。君がドジなのはよく知ってる」
彼が言ったドジという言葉に引っかかりを感じ、私は頭を上げ彼をジロリと見た。
自分でもわかっている事だけど、何だか速水さんに言われると心の底からムカつくのだ。
「そういえば、もう学校に行く時間じゃないのか?」
心配するように彼が言う。私は慌てて腕時計を見た。

・・・7時45分!

その時間に目を見開く。
一旦家に戻っている時間はなさそうだ。
「俺が車で送ってやりたいが、まだちょっとフラつくからな。タクシーを呼ぼう」
そう言い速水さんは私の返事も聞かずに枕元の携帯電話を手にした。
「5分後に来る。顔ぐらい洗えるだろう」
電話を置きながら彼が私を見る。
その言葉を聞いて私は洗面所に飛び込み顔を洗って、持っていた携帯用のブラシで髪を整えた。
ぐぅーと、お腹が鳴る。
そういえば、昨日の夜から何も食べていなかった。
一つの事に気がいってしまうと食事する事も忘れてしまうのが、私の悪い癖だ。
「お昼休みまで我慢、我慢」
ニッと鏡に写る自分に笑ってみせた。
洗面所を出て、声を掛けようと速水さんの寝室に行くと彼の姿がない。
一体、あんな体でどこに行ったのかと、心配になる。
さっき触れた彼の手はまだ熱を持っているようだった。
そもそも、彼を一人にしていいのかという事に気づく。
しかし、試験なのだ。受けなければ単位を落としてしまう可能性がある。
そんな事になれば紫の薔薇の人に申し訳ない。
勉強は苦手だけど、試験だけはいつもちゃんと受け、赤点ギリギリを取っていた。
「まだ、いたのか?」
寝室のドアの側で立っていると、窓際の紺色の遮光カーテンが開き、ベランダの窓が開いた。
そこには煙草を銜えたパジャマ姿の速水真澄がいた。
「そんな体で何してるんですか!」
10月の気候で、パジャマ姿で外気に触れるなんて病人のする事じゃない。
「何って、一服してただけだ。寝起きはいつも煙草がないとダメなんだ」
私が何に怒っているかなんてわからないような、しらっとした顔で彼は私を見ると、
銜えていた煙草を左手で持っていた灰皿の上でもみ消した。
私はツカツカと大股で広い寝室を歩き、彼の目の前で立ち止まると、
彼の持っていた灰皿を取り上げ、近くの棚の上にドンと大きな音を立てて置いた。
そして、彼を見上げると、手を伸ばし額に触れる。
「熱い!」
びっくりする程、体温が上昇している。
きっと38度ぐらいはある。
「速水さん、あなたは病人なんですよ!寝てなきゃダメでしょ!」
私は感情的に声を荒げた。
彼が私の声にくらっとしたようによろけ、バランスを取る為私の肩に捕まる。
「ちびちゃん、こんなに近くにいるんだから、そんなに大きな声を上げなくても」
彼から煙草の香りがする。
「だって、速水さん、全然病人の自覚ないんだもん。とにかくベッドに戻りましょう」
私は捕まれた彼の手を握ると、彼をベッドに引っ張った。
すると、今度は私が何かに躓きベッドに倒れる。当然、引っ張られていた彼も私に覆いかぶさるように倒れた。
「ごめん。大丈夫か」
彼が顔を上げ気遣うように私を見る。
「あっ、はい。大丈夫です。速水さんこそ・・・」
そこまでの言葉を口にし、彼の方を見ると不意に視線が合った。
キスでもしそうな距離に彼の顔があった。
突然、妙な緊張感が体中を駆け巡る。彼の表情から笑みが消え、私も笑っていなかった。
真っ直ぐな黒い瞳に力が吸い取られ、私は、ただ彼を見つめる事以外出来なくなっていた。
なんだろう。この感じは。この胸の底からクラクラとする気持ちは。

ピンポーン!

その時、インターホンが鳴った。
動きが止まっていた私たちは弾かれたようにお互いから離れた。
「きっと、タクシーが来たんだ。ちびちゃん、行っておいで」
何もなかったように彼はベッドの端に座ったまま私を見た。
「・・・行ってきます」
そう彼に言うと、私はマンションを出て、玄関口に止めてあったタクシーに飛ぶように乗り込んだ。
胸がドキドキしている。顔が熱い。手が震えている。
私は一体どうしたのだろう。急に理由のわからない感情に捕まり、うろたえていた。
「お嬢さん、これ。社長さんから頼まれたものです」
後部座席で気を落ち着かせるように深く息を吸っていると、タクシーの運転手さんに言われた。
差し出されたのはコンビニの白いレジ袋だ。
「あっ、はい」
恐縮しながら受け取り、中を見るとおにぎり一つと、パンが一つ、他にはお茶が入っていた。
どうやら私が空腹だった事を速水さんは見抜いていたようだ。
「ありがとうございます」
運転手さんにお礼を言うと、私はお茶を飲んだ。
速水さんて変な所気がきいているんだよな。そう思いながら、私はにんまりと笑った。




「君に話がある」
そう私に言ったのは大都芸能の鬼社長、速水真澄だった。
相変わらず仕立て良さそうなグレーのスーツを着ていた。
その姿にこの人は大人で、私は子供なんだと、高校の制服を着た私は思うのだ。
彼はいつになく真剣な顔をしていた。
「何ですか?そんなに改まって」
彼の様子に私も胸がギュッと締め付けられるような緊張を感じていた。
「ちびちゃん、いや、マヤ」
彼が私に近づく。
私は思わず一歩下がる、そして彼がまた距離を詰める。
いつの間にか私は壁際に立っていた。彼の両手が壁についた。
完全に囲われ、私にはどこにも逃げる場所がない。
「・・・何、するんですか」
私の声は震えていた。
彼の行動に、私の心の中を射抜くような鋭い瞳に。
「マヤ、君が好きだ」
バリントンの低い声が間違いなくそう言った。
その瞬間、パリンと全てが変わるように私の心の中の何かが砕け散る。
そして、私は・・・。


「北島!北島!」
ドスの聞いた声がそう私を呼んだ。
「やっと起きたか。試験中に居眠りとはいい度胸だ」
目の前にいたのは、速水真澄ではなく、数学の田中先生だ。
黒縁メガネのフレームを軽く抑えながら私を見ていた。
「す、すみません!」
急に全ての記憶が蘇る。
今私は学校にいて、三時間目の数学の試験を受けていたのだ。
小難しい数字が並ぶ問題用紙を見ていたら、昨夜の疲れが出て、この有り様だ。
「さぞかし、いい点なんだろうな」
嫌味たっぷりに田中先生はそう言うと、私の腕の下に敷かれていた、ほぼ白紙に近い回答用紙を回収した。
終わった。赤点は間違いない。追試確定だ。
私はガクリと肩を落とし、机にめり込んでしまう程、頭を沈ませた。
「はぁ。どうしよう」
紫の薔薇の人、ごめんなさい。そう謝るしかなかった。
こうなったのも全部速水真澄のせいだ。
一言あいつに文句を言わないと気が済まないと思った瞬間、彼がちゃんと寝ているか気になった。
食事は出来ているだうか。薬は飲んだだろうか。熱は下がったか。などなど頭の中がすぐにいっぱいになる。
昨日から変だ。アイツの事しか考えていない。
「それにしても、何て夢見たんだろう」
机から起き上がり、頬杖をつくと、今見た生々しい夢を思い出す。
なんでアイツが私の事を好きと言うのか、全く理解できない。
それにそう言われて嫌ではなかった自分にも驚いた。それ所か胸がキュンとしたのだ。
「はぁ、何考えてるんだろう。私」
ポカポカと妙な考えを消すように自分の頭を叩いた。




 白いビルは夕陽に照らされ茜色に染まっていた。
その色合いがなんともセンチメタルな感じにさせる。
私は着替えが入った鞄一つと、夕食の材料が入った白い買い物袋を持って、その建物の前に立っていた。
高校の制服は脱ぎジーパンに灰色のパーカー姿だ。
 14階建てのそのマンションの最上階に速水真澄の部屋があった。
さんざん迷ったけど、明日は土曜日で学校もお休みだし、最後まで速水さんの風邪に付き合おうかと思う。
だって、あの人病人という自覚がないのだ。一人にしておくときっと熱があるのに起きている。
私は彼に会ったらどんな小言を言ってやろうかと思いながら、彼の部屋番号のインターホンを押した。
「はい」
すぐに声がした。
しかし、予想に反して彼ではなく、女性の声でだ。
「あの、北島マヤですが・・・」
そこまで口にして、私は何を言ったらいいのかわからなくなる。
突然、頭の中が白くなる。
どうして、速水さんの部屋に女性がいるのだろう。
「今、開けます」
少しの間を置いてから、山の空気のような澄んだ声で言われた。
言葉の通り自動ドアが開き、私は重たい足取りで彼の部屋を目指した。

 エレベーターから降りると、長い通路を歩き、一番端の部屋の前で立ち止まる。
そこにもインターホンがあり、私は再び押した。
すると、待っていようにさっきインターホン越しに話した女性がドアを開けた。
スラリと私より高い身長、知的な銀縁メガネ、後ろで纏めた長い黒髪、きっちりと着こなしたスーツ。
何となく水城さんに似ているインテリ美人だ。
「さぁ、どうぞ入って」
彼女の姿に圧倒されるように立っていると、優しい笑顔を私に向けた。
「あっ、はい」
何だか急に他人の家に来たみたいな気分になる。確かに他人の家なのだが。
今朝出た時よりもよそよそしい感じがするのだ。
私は恐縮しながら、靴を揃えて部屋に上がると、リビングに案内された。
「やぁ、ちびちゃん」
革張りのゆったりとしたソファで、横になっていた速水真澄が起き上がり、私を見た。
彼は今朝見たのとは違う緑のチェック柄のパジャマに着替え、紺色のカーディガンを肩に掛けていた。
「速水さん、起きてて大丈夫なんですか?」
思わず彼に駆け寄り、彼の額に触れた。
朝より熱くはないが、でも、37度ぐらいはありそうだ。
「ちょっと目を通さなければならない書類があってね。そこにいる東野君に届けてもらった所だ」
女性の正体が大都芸能の社員だった事がわかると、私はなぜか大きく胸を撫で下ろした。
「ところで、君はどうしてここに?」
彼が不思議そうに私を見る。
「見張りに来たんです。速水さん病人のくせに寝ないから、熱が下がるまでお付き合いします」
そう言い私は得意げに旅行鞄を彼に見えるように掲げた。
「つまり、それって、ここに泊まる気か?」
彼が驚いたように瞳を見開く。
「えっ、はい。そのつもりですけど」
私は何か不味い事でも言ったのだろうか。明らかに彼の顔色が変わっていた。
「俺一人だぞ」
彼が呟くように口にした一言が何を意味しているのかわからず、私は首を傾げた。
「だから、泊りがけで看病に来たんです」
私はニコリと笑ってみせた。
彼が重たくため息をつき、なんてことだと頭を抱える。
「さぁ、速水さん、ほら、熱測って下さい」
私はテーブルの上に置かれていた体温計を彼に渡した。
彼は文句でも言いたそうな顔を浮かべ、渋々と体温計をわきの下に挟む。
その時、鳥が囀るように後ろでクスリと笑う声がした。
「鬼社長も形無しですね」
可笑しそうに東野さんが私たちを見ていた。
「社長、私はそろそろ失礼します」
綺麗なお辞儀を一つすると、東野さんは私たちに背を向けた。
「そうだ。社長」
何かを思い出したように、一歩歩いた所で、東野さんはくるりと私たちの方に視線を向けた。
「ちゃんと静養して下さい。もう28なんですから、風邪を侮ってはいけませんよと、水城さんからの伝言です」
その言葉に水を口にしていた、速水さんがむせる。
「俺はまだ27だ!」
抵抗するような視線を速水さんが向ける。
彼が年の事を気にしているなんて、意外だったので、私は思わずそんなやり取りに笑った。
「全く、水城君は余計な一言を」
東野さんが帰った後も余程悔しかったのか、速水さんは一人愚痴っていた。
そんな姿が可笑しくて私はまたケラケラと笑う。
「さぁ、速水さん、若くないんですから、ちゃんと寝室で寝て下さい。熱だってまだ37度あるんですから」
彼から体温計を受け取ると、37度丁度だった。
意地悪く言う私の言葉に彼がガクリと頭を落とす。
「君から見たら若くないかもしれないけど、俺はまだ二十代だ」
ムキになる所が何だか可愛いと思う。
このネタに速水さんが弱い事を知り、私は心の中でガッツポーズをした。
いつも苛められている分、倍に返してやる。という、意地悪な私がいた。


 午後8時頃、一眠りした彼がお腹が空いたと口にしたので、私はキッチンに行った。
速水さんが言った通り東野さんが用意していったビーフシチューが鍋いっぱいに作られていた。
私は火を掛けると、キッチンカウンターの上に置いてあったフランスパンを切り、トースターで温めた。
私が用意して来た食材は明日に回そうと思う。
正直料理にはあまり自信がなかったので、東野さんのシチューがあると聞いた時はホッとした。 
5分もすると、キッチンはビーフシチューの香りに包まれた。
その香りに誘われたのか、リビングのソファに座っていた速水さんがダイニングのテーブルに座る。
「ちびちゃん、鍋を焦がすのだけは勘弁してくれよ」
カウンターキッチンに立つ、私に彼が茶化すように言う。
「そんな事する訳・・・」
そこまで口にし、フランスパンがどうなったか気になった。
慌ててトースターを開けると、何というかキツネ色と言うには色がつき過ぎた状態のパンが2切れ並んでいた。
しかし、真っ黒とまではいっていないのでギリギリセーフか。
「ははははは」
私は笑うしかなかった。
本当に私ってなんでこんなに不器用なのだろうか。
ややキツネ色を通り過ぎたパンを彼の前に置くと、彼は私をじっと見る。
「あの、焼き直した方がいいですか」
私は彼の前で俯き、もじもじと両手を動かした。
「大丈夫だよ。これぐらいの方が香ばしくて美味しい」
そう言うと、彼はパクリとパンに口をつけた。
サクっと軽い音がする。
「本当にすみません」
そう言いながら、ビーフシチューを入れた白い深皿を彼の前に置いた。
「君は食べないの?」
一人分の食事に彼が違和感を持ったように私を見る。
「えっ」
「もしまだ夕食をとってなかったら、一緒に食べて欲しい」
彼が寂しそうな顔をする。
速水さんでもそんな顔をするんだなと思いながら、私は「はい」と大きく頷いた。
こうして速水さんと同じ食卓につくなんて、変な感じだ。
私は彼の斜向かいに座った。
彼が満足そうに笑う。
「そういえば、今日の試験どうだった?」
彼が思い出したように口にする。
私はシチューを掬ったスプーンを持つ手を止めた。
そうだ。速水真澄にその事で文句を言うつもりだったのだ。
「おかげさまで、さんざんな結果でした」
彼の方を見ると、ジロリと睨む。
「それは悪かった」
素直に彼が謝るから、私はそれ以上の文句が言えなくなる。
「いえ、普段から勉強していなかった私がいけないんです」
いつも試験勉強は一夜漬けだった。
「他に試験は何が残ってる?」
彼はスプーンを置き、私を見た。
「えっと、英語と日本史ですけど」
私は頭の中を見るように視線を上にした。
「そうか。よし。では俺が教えよう」
速水さんはそう口にすると、ニヤリと口の端を上げた。
まさか看病に来てこんな展開にるとは思わなかったので、私は何と言ったらいいかわからない。
だんだん速水さんが意地の悪い家庭教師に見えて来た。



                                               3日目につづく



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