――― 同居物語 5 ―――
「何だか、真澄さん、今日は機嫌がいいのね」
マヤと電話で話した翌日、理香子が言う。 「えっ?そうか?いつもと変わらんと思うが・・・」 「そうかしら」 意味深に彼を見る。 「まるで、恋人にでも会ってきたように見えるわ」 恋人という言葉に”マヤ”の顔が浮かぶ。 恋人か・・・。俺の片思いだがな。 「恋人なんていないさ。知っているだろ?俺が愛しているのは仕事だけだって」 おどけたように理香子を見る。 「・・昔から変わらないわね」 理香子は呆れたように呟いた。 「まぁ、その社長様と一緒に仕事ができるから、私としても光栄ですけどね」 「何かいい事あったの?」 美恵子がマヤに言う。 「えっ」 「昨日までは何か沈んでいたけど、今日は別人のようよ」 「・・・そうかな。いつもと変わらないと思うけど」 きょとんとした表情で美恵子を見る。 「マヤちゃん、好きな人でもできた?」 美恵子の言葉に、一瞬、速水の姿が浮かぶ。 頬が熱くなる。 「い、いないよ−!そんな人!!!」 マヤがあげた大声にクラスメイトたちが驚いたように彼女を見つめる。 「あっ・・・はははは」 その視線に気づき、マヤは真っ赤になっていた。 「・・・好きな人か・・・」 その言葉に胸の奥がざわめく。 速水と一緒に暮らし始めていつの間にか、彼の存在が大きくなっていた。 以前は嫌な奴、大嫌いな奴としか思っていなかったのに。 彼が紫の薔薇の人である事を知ってから、何かが変わり始めていた。 でも、それが何であるかは、まだマヤにはわからない。 今、思う事は、早く、彼に会いたい・・・。 あの広い部屋で一人でいるのは、寂しすぎるから。 そんな想いが胸を占めていた。 「はぁぁ。後、3日もあるのかぁぁ」 カレンダ−を見つめ、呟く。 「どうした?マヤ?」 浮かない様子のマヤに麗が声をかける。 今、マヤは麗がバイトしている喫茶店にいた。 放課後、今日はバイトもなく、あの広い部屋に帰るしかなかったので、麗の所に来たのだ。 「・・・うん。ちょっとね」 そう告げたマヤの表情が大人びて見えた。 最近のマヤは変わったと思う。 時々、物思いに耽っていたり、切なそうに何かを見つめていたりとする事が多々あった。 「・・・恋でもしたか?」 麗の言葉に瞳を見開く。 「やだ。麗までやめてよ。そんなんじゃないんだから」 小さく俯き、アイスティ−を見つめる。 「さっきから、ため息ばっかりだよ。恋患いの他には何があるのさ?」 頬を僅かに赤めたマヤをからかうように言う。 「もう、違うってば。ただ、一人でいるのが、寂しくて、あの人に会いたくて・・・」 否定するように麗を見る。 「あの人?」 「・・・紫の薔薇の人。今、お仕事でいないの」 ぐるぐるとグラスの中の氷をストロ−で回す。 「・・・ただでさえ広い部屋なのに、あの人がいないだけで、何十倍も広く感じちゃうの・・・」 「そうか。だったら、アパ−トに戻ってくれば?」 麗の言葉に首を振る。 「駄目よ。また、あの人に子供扱いされるわ」 クスリと笑い、また、マヤはストロ−で氷を回した。 「・・・やっぱり、マヤ、少し変わったな」 麗の言葉に、”えっ”と顔を上げる。 麗は優しい笑みを浮かべただけで、何も言わなかった。 「・・・変わったって、どこが変わったのかしら?」 部屋に戻り、鏡の前に立つ。 しかし、いくら熱心に自分の姿を見ても、麗の言った意味がわからなかった。 「・・・どこも変わってないじゃない」 「何を熱心に見ているんだ?」 マヤの背後から聞きなれた声がする。 胸がドキリとする。 鏡を見つめると、優しく微笑む彼の姿があった。 会いたかった彼がここにいる。すぐ、後ろにいる。 そう思っただけで、胸が張り裂けそうだ。 「・・・速水さん!!!」 思わず、彼に駆け寄り、抱きつく。 「おっ、おい」 マヤの態度に苦笑を浮かべる。 「いい子にしていたか?」 「・・・もちろん。いい子でいましたよ」 彼の顔を嬉しそうに見上げる。 「・・・じゃあ、約束のおみやげをあげよう」 そう口にすると、彼の手が彼女の顎を掴む。 「えっ」 マヤが小さく、声を漏らした瞬間、唇が重なった。 大きく瞳を見開く。 頭の中が真っ白になった。 Trrrr・・・。Trrrrr・・・。 電話の音が聞えてくる。 その音は段々、大きくなり、彼女の意識に強く主張をしだす。 マヤはハッとして、瞳を開けた。 「・・・今のは夢?・・・」 目覚めると、そこは自分の部屋のベットの上だった。 Trrrrr・・・。Trrrrr・・・。 電話の音がマヤの耳に入る。 「いっけない!早くでないと!」 慌てて、リビングに駆け込むが、マヤが受話器に触れた瞬間、音は切れた。 「・・・あっ・・・」 出れなかった事に悲しくなる。 この部屋の電話にかけてくる人物は一人しかいない。 それは、彼女がついさっきまで、夢の中で一緒だった彼。 「・・・お願い!もう一度かけてきて!」 祈るような気持ちで電話の前に立つ。 しかし、その夜、電話が再び鳴る事はなかった。 「・・・速水さん・・・」 呟き、窓の外を見つめる。 14階の高さから見る夜景はまるで、宝石箱をひっくり返したような鮮やかなものだった。 ふと、彼が夜中、ここに佇んでいた事を思い出した。 窓を開け、バルコニ−に出てみる。 彼はバルコニ−に寄りかかり、煙草を吸っていた。 「速水さん、何しているんですか?」 そう彼女が声をかけると、少し、驚いたように彼女を見つめた。 「あぁ。そうか。君もいたんだったな」 微笑を浮かべ、彼女を見る。 「・・・空を見ていたんだよ」 「空?」 マヤは彼の隣に立ち、同じように空を見つめた。 薄っすらと、月明かりだけが見えるが、星はスモッグに隠れてしまって見えなかった。 「いつもここから、星を探しているんだ。見える訳はないのにな」 苦笑を浮かべ、隣の彼女から視線を空に移す。 その横顔が哀しそうに見えた。 「もしも、この東京の空で星を見つける事ができたら、俺の願いが叶う気がするんだ」 「・・願いが叶う?速水さんでもお願い事があるんですか?」 何でも、持っている彼が何かを欲しがるのは意外に見えた。 「・・・あぁ」 一瞬、彼女を見つめる。 寂し気な瞳に吸い込まれそうになる。 「・・・ここは冷える。君はそろそろ寝なさい。また、寝坊するぞ」 いつもの調子で口にする。 マヤは何も言えず、彼の言う通りに部屋に戻った。 その夜は何だか、ドキドキして眠れなかった。 「・・・速水さん、あなたの願い事は何だったんですか?」 速水がしていたように、空を見つめる。 街の灯りと、厚いスモッグに飲まれ、今夜も星は見えなかった。 「今夜で、最後ね。あなたとこうしているのは」 ベットの中で理香子が口にする。 「昔に戻ったみたいで、楽しかったわ」 速水はぼんやりと、煙草を吸っていた。 なぜか、胸に罪悪感が生まれる。 「・・・あなた好きな人でもいるの?」 さっきから、上の空の彼を見つめる。 理香子の言葉に胸がズキリとした。 「・・・その顔は図星ね。当ててあげましょうか?この間、あなたと一緒にいた紅天女候補の女優さんじゃない?」 思わず、口に咥えていた煙草を落としそうになる。 「・・・彼女はまだ高校生だ」 「・・・高校生でも、女である事に変わりはないわ」 彼女の言葉にドキリとする。 「・・・何を・・・」 馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに彼女を見つめる。 「・・・私の勘って鋭いのよ」 そう言い、彼の唇を奪った。 速水には限界だったのだ。 手の届く所にマヤが、愛する女がいる。 そう思うと、毎晩落ち着かなかった。 いくら何でも、高校生には手は出せない。まして、彼女は彼の事を嫌っているのだ。 彼女との生活はとても楽しい・・・しかし、手の届く位置にいるというのはあまりにも危険なのだ。 だから、速水は理香子の誘いに乗った。 そして、欲求をはらすかのように、彼女を抱いた。 マヤは朝から落ち着かなかった。 学校から戻ると、部屋の中を綺麗に掃除し、大量の食材を買い込んだ。 そう、今日はやっと、彼が出張から帰ってくる日なのだ。 料理の本を見ながら、彼の為にご馳走を作る。 何度も、鍋をひっくり返しそうになったが、何とか本に載っていた通りのものが完成する。 後は、彼が帰って来るのを待つばかり。 「・・・速水さん、まだかなぁぁ」 時計は午後9時を指していた。 テ−ブルの上に並べた料理がそろそろ冷めてくる。 「・・・速水さんが帰ってきたら、温めなおさなきゃな」 「社長、この報告書に目を通して頂けますか?」 出張から帰ると、真澄はすぐに社の方に足を運んだ。 彼の帰りを待っていたように未決済の書類が山のように置かれていた。 時計を見ると、午後10時を回っている。 どうやら、帰宅ができるのは日付が変わってからになりそうだ。 今夜はマヤの顔は見られないな・・・。 小さく、ため息をつき、彼は書類を裁いていた。 午前0時、まだ、彼は帰らない。 何か事故にでも合ったのではないかと、心配になる。 マヤはさっきから、何度も電話の前でうろうろとしていた。 電話をするべきか迷う。 「・・・よし!」 決心したように、受話器を取る。 しかし、その瞬間、あの女性の姿が浮かんだ。 この間、速水の変わりに携帯に出た、マヤよりも随分と年上の大人の女。 ハッとし、受話器を置く。 もし、今かけて、彼女が出たら・・・。 そんな思いが胸を締め付ける。 胸の奥がキリリと苦しくなった。 「・・・速水さん、ここに帰ってきてくれるよね・・・」 なぜか不安になる。 彼がもう二度と、この部屋には戻って来ない気がした。 午前3時。ようやく、彼は帰宅した。 部屋のドアを開けると、明かりがついたままだった。 「・・・ちびちゃん?」 まさか、彼女がこんな時間まで起きているのかと思いながら、リビングに行く。 テ−ブルの上には彼女が作ったと思える料理が所狭しと並んでいた。 胸の中が熱くなる。 彼の為に、不器用な彼女が作ってくれたのだ。 彼女の顔が見たくなる。 一言、謝らなければと・・・彼女の部屋のドアを開けた。 部屋の中は真っ暗だ。 そっと、ベットに近づく。 「・・ちびちゃん?」 ベットには誰もいないようだった。 部屋の明かりをつけてみるが、やっぱり、彼女の姿は見当たらない。 「・・・こんな時間に一体・・・どこに・・・?」 当然、彼女はこの部屋で彼の帰りを待っているものだと思っていた。 しかし、そんなのは思いあがりだったのだろうか。 まさか、彼女は彼との生活が嫌になって出て行ってしまったのでは? 考えられる限りの事を思い浮かべてみる。 急に落ち着かなくなってくる。 彼女が部屋にいないと思うだけで、寂しかった。 一人でいる事が苦痛に思える。 「・・・彼女は、一週間もこの部屋に一人でいたのか・・・」 力なく、ベットに座り込む。 きっと、この一週間、彼女は寂しかったに違いない。 それなのに、ろくに電話もしないで・・・、一体自分は何をしていたのか・・・。 自分に対しての苛立ちが募る。 後悔しても後悔しきれない。 もう、彼女はこの部屋には戻って来ないかもしれない・・・。 最初に決めたル−ルだ。 彼女の意志で同居をやめる事は・・・。 彼には何も口を出す事はできないのだ。 もう、二度と彼女と一緒に暮らす事はないだろう・・・。 「・・・魔法の時間の終わりと言う訳か・・・」 諦めたように呟き、彼は寝室に向かった。 とにかく、今は眠りたかった。 眠ってしまえば、夢の中だけでも、彼女に会える。 そう思い、真っ暗な寝室のベットに横になった。 「・・う・・ん」 彼が横になった瞬間、誰かの声がした。 「えっ」 驚き、ベットの中を見つめる。 「・・・マヤ・・・」 そこには、彼のベットの中でぐっすりと眠っている彼女の姿があった。 あまりにも信じられず、ベットサイドの照明をつける。 薄明かりの中に彼女の寝顔が浮かんだ。 「・・・どうして・・・ここに?」 とても気持ち良く眠っているので起こす訳にもいかず、 速水は上着を脱ぎ捨て、ネクタイを外すと、ベットの中に入った。 彼女がいた事で気が緩んだのか、急に睡魔に襲われる。 考えるよりも先に体が眠るように告げた。 マヤは久しぶりに心地良い眠りにつく事ができた。 目を開け、ぼんやりとする。 すると、隣に誰かが眠っている事に気づく。 彼女の細い腰にはしっかりと腕が巻かれている。 「・・・えっ・・・」 小さく声をあげ、目の前の彼の寝顔を見つめる。 「・・・速水さん・・・」 頭の中がパニックになる。 一体、いつ帰ってきたのだろうか? それに、この腰に巻きつけられた腕は・・・。 以前にも、一度彼と同じベットで眠った事はあるが、こんなに強く抱きしめられたままではなかった。 それに、こんなに密着するように近くにもいなかった。 あの時は、ただ、本当に横にいただけという感じだ。 今は彼の吐息が聞え、彼の顔がすぐそばにあり、足はしっかりと彼の長い足に絡められている。 体中が熱い。 熱にでも侵されたようにどんどん熱くなる。 彼にも聞えてしまうのではないかと思える程、鼓動が大きくなる。 「・・・う・・ん。今何時だ?」 眠たそうな彼の声がする。 「・・えっ・・・えぇ−と、午前9時・・・」 時計を見て、ハッとする。 今日は平日ではなかったのか! 「速水さん!会社は!!」 マヤの大きな声にようやく、目を開ける。 「・・・会社・・・今日は休みだ・・・」 今日休みを取る為、彼は出張から戻っても部屋には戻らず、出社した。 そのおかげで、午前2時過ぎまで仕事をするはめになったが。 「・・・えっ・・休みなんですか」 休みという彼の言葉に嬉しくなる。 「あぁ。俺だって、偶にはゆっくりとしたいからな」 クスリと笑い、彼女を見つめる。 改めて、彼が帰ってきた事を実感する。 会いたくて、会いたくて仕方のなかった彼が、今、目の前にいるのだ。 胸の奥がキュンとする。 しかし、そう浸っている訳にはいかない。 彼女は間違いなく遅刻なのだから。 「・・・あの、速水さん・・・」 頬を赤らめ言いずらそうに彼を見る。 「・・・何だ?」 「・・・腕、放してくれません?私、これじゃあ、起きられないんですけど・・・」 しっかりと真澄の腕に抱きしめられているので、身動き一つとれない。 真澄は暫く、彼女を見つめ、悪戯を思いついた少年のような表情を浮かべた。 「・・・嫌だ・・・」 彼の言葉に困惑したような顔をする。 「・・えっ、でも・・あの、私、学校に行かないと・・・」 おどおど、告げる。 「君が俺のベットで眠っていたのが悪いんだ。今日は諦めて休むんだな」 そう言い、よりきつく彼女を抱きしめる。 「君はとっても、抱き心地がいい。いい夢が見られそうだ」 クスクスと笑い、彼女の耳元で囁く。 「・・・ちょっと、速水さん、人の事、抱き枕か何かと勘違いしてません?」 恥ずかしそうに彼を見つめる。 「・・・抱き枕。それはいい例えだ。今日一日君には抱き枕にでもなってもらうか」 速水の言葉に鼓動がさらに大きくなる。 このまま、ずっと、彼に抱きしめられたままなんて・・・。 もう、胸が爆発してしまいそうだ。 「・・・一日って・・・速水さん、一日中眠っているつもりですか!?」 「あぁ。もちろん。いい抱き枕もあるしな」 マヤが慌てふためているのを知って、わざとそんな事を口にする。 「・・・速水さん・・・ちょっと・・・あの、えぇ・・と」 彼から解放される口実を一生懸命考えるが、何も浮かばない。 結局マヤはそのまま三時間過ごす事になった。 速水はマヤを抱き枕代わりにして昼になるまで眠ってしまったのだ。 「午後からはどこか行くか?」 マヤが昨夜作ったご馳走を昼食代わりに食べ終わった後、速水が口にする。 「えっ、どこかって?」 マヤは真っ直ぐに真澄の顔を見る事ができなかった。 彼から解放されても、まだ頬が熱い。 「どこでもいい。君の行きたい所へ行こう。抱き枕になってもらった御礼にな」 真澄の”抱き枕”という言葉に真っ赤になる。 そんな彼女の変化を面白そうに彼は見つめていた。 「もう!速水さん、私が赤くなるのを見て楽しんでいるでしょう!!」 意地の悪い、いつもの真澄の笑い声に抗議をする。 「はははは。だって、君がそう素直に赤くなるから」 「・・・私、男の人とあんなにくっついて眠った事ないんです・・・」 「何だ、君?俺の事、男として意識しているのか?」 真澄の言葉に益々赤くなる。 「もう!速水さんって、本当、デリカシ−がない!!私だって、一応年頃の高校生なんです!! あなたにとってはただの抱き枕でしょうけど!」 思わず、ソファの上のクッションを彼に投げつける。 「あなたなんて、やっぱり、帰って来ない方が良かったわ!一瞬でも、早く帰って来てと思った私が間違いでした!」 バンとテ−ブルを叩く。 真澄は可笑しそうにまだ、笑っていた。 一週間ぶりの彼女との無邪気な会話を彼は心の底から楽しんでいたのだった。 |