―――  三ヶ月の恋人 2  ――― 



「恋人に会ったんだから、もう少し嬉しそうな顔は出来ないのか」
 速水がぶすっとした顔を浮べるマヤを見る。
マヤとの交際が始まって三日が経つが、全く恋人という雰囲気はない。
「君の為に時間を作って会いに来たんだから、もう少し愛想があってもいいだろう」
 速水はマヤに淡いピンク色の薔薇の花束を差し出す。
秘書に用意はさせず、マヤの為に選んだものだ。
「きれい。ありがとうございます」
 薔薇を見てやっとマヤが笑顔を浮かべる。
「そういう顔は俺にもして欲しいな」
「してますよ」とマヤがぎこちなく笑う。ハッキリ言って変な顔だ。
 笑わずにはいられない。速水は「ぶっはっはっはっは」と豪快な笑い声をあげた。
「ちびちゃん、面白い顔されても困る」
 速水は涙を浮かべる。
「こ、これでも精一杯の笑顔なんです」
 速水に笑われ、マヤの機嫌が悪くなる。
再びぶすっとした顔を浮かべ「どうぞ」と速水を部屋に促した。
 部屋の間取りは1LDKだ。速水はリビングのテーブルの前に座った。
女の子らしい家具に囲まれ少々落ち着かない。
あの水城が用意したと思うと可笑しな物を見た気になる。
「待ってて下さいね。今、お鍋温めて来ますから」
 今夜は速水のリクエストでマヤは料理を作った。
「メニューはカレーか?」
「はい、唯一ちゃんと作れるものなんで」
 ガスコンロの前に立ちながら、照れくさそうにマヤが答える。
速水と恋人になって、実は物凄く緊張している。
こうして速水が自分の部屋を訪ねて来る事も、速水から薔薇の花束をもらうのも初めての事で
戸惑うばかりだ。それにあの冷血仕事虫の速水真澄が恋人役を買って出たなんて未だに信じられない。
 三日前、泣きじゃくるマヤを抱き締めてくれた速水は別人のように優しかった。
頬に触れた唇も、思い出すだけで顔が赤くなる。
 昨日水城から速水がマヤの部屋に来ると聞いた時は心臓が飛び上がった。
今夜部屋に現われた速水を見て、本当に恋人を引き受けてくれたんだと実感した。
「何か手伝おうか」
 リビングから速水が声をかける。その声にマヤはドキッとした。
「だ、大丈夫です!」と、つい怒鳴り声を上げてしまう。緊張のせいだ。
 速水は驚いたように眉を上げる。マヤが全く気を許していない事がわかり少し落ち込んだ。
台所でせわしなく動くエプロン姿のマヤを見ながら、速水は小さなため息をついた。
やっぱりマヤと自分は恋人になれないんじゃないかと不安になる。
いくら芝居の為といえ、嫌いな相手にマヤが心を開く事はないのだ。心が沈み始める。
 速水は脱いだスーツの上着から煙草を取り出した。
火をつけようと思った所で、これから食事をするのに部屋を煙臭くしてはいけないとリビングを立つ。
 マヤに気づかれないようにそっとベランダに出た。ムッとした熱気を感じて、Yシャツの袖を腕までまくりあげる。
 ぼんやりと夜空を眺めた。スモッグで覆われていて星は微かにしか見えない。
空気が澄んでいる所に行けば、今の時期は天の川を見る事が出来るだろうなと思う。
今度マヤを連れて伊豆の別荘にでも行ってみるかと考え始める。
あそこなら満点の星空が楽しめる。そんな事を考えている自分に速水は笑う。
マヤとの恋人ごっこを自分は楽しんでいた。
それは水城に言われた通り、マヤを愛しているからだろうか。
「まさか、そんな訳ない」
「何がです?」
 ガラス戸からマヤが顔を出す。
「いや、何でもない」
 速水は苦笑を浮かべた。
「速水さん、こんな所でどうしたんですか?」
「煙草を吸いたくて」
 まだ煙草に火を付けていなかった。
「部屋を煙臭くしたら悪いだろう。だから、ここで」
 速水は煙草をくわえると慣れた手つきで右手に持ったライターで火をつける。
それをマヤはじっと見ていた。
「何だ?」
「速水さんでも、そんな気遣いするんだなと思って」
 本当は煙草に火をつける時の速水の横顔がカッコよくて見惚れていた。
そんな事は口が裂けても言えない。
 マヤもベランダに出ると速水の隣に立つ。
「煙草が終わるまで付き合います」
 ニコッとマヤの中では自然な笑みを浮かべた。
しかし、速水にはぎこちなく見える。
「夏の星座を知っているか?」
 速水は空に目を向けた。マヤも同じ方角を見る。
「えっーと、ベガとか?」
「ベガはこと座だな。ベガとアルタイとデネブを夏の大三角と言うんだ。
七夕の織姫と彦星の星でもあるな」
「速水さん詳しいんですね」
「これぐらいは誰でも知っているさ」
 照れくさそうに速水が笑う。
「夏の大三角はどれなんですか?」
 マヤが目を凝らして空を見る。
「残念ながら、ここからは見えないな。今夜は曇りだし、それに東京の空にはスモッグがかかっているから」
「残念。見てみたかったな」
「じゃあ、今度見に行くか?」
「行きたいです!」
 マヤが無邪気な顔をする。速水の前で見せた今日一番の嬉しそうな顔だ。
速水の表情も緩む。
「わかった。じゃあ、今週末にでも行くか」
「はい」





 速水と星を見る約束をしてマヤは週末が少し楽しみになった。
何だかんだ言って、マヤが作ったカレーを美味しそうに食べてくれた速水に対して少し好感が持てた。
 夕食後は一緒に台所に立ち、マヤが洗った皿を隣りに立つ速水が拭いてくれた。
 鬼社長の速水しか知らないマヤにとって意外な一面だった。
 皿を片付け終わると、速水は仕事があるからとマヤの部屋を出ていった。二時間の初デートはあっという間だった。
もう少し速水とお喋りをしていたかったなと、帰った後に思う。
「マヤちゃん、昨日の初デートはどうだった?」
 高校まで迎えに来た水城が開口一番に聞いてくる。
マヤは車の後部座席に座りながら、曖昧に笑う。
「カレーを作って、それで二人で食べました。それだけです」
 恥ずかしくて星を見に行く約束をした事は言えない。
「ふーん、そう。社長は全部召し上がったの?」
「はい。綺麗に食べてくれました。その後は二人でお皿を片付けて」
「へぇ、真澄様にそんな一面があったの」
 意外そうに水城が呟く。
「私もびっくりしました。速水さんお手伝いさんに囲まれた生活をしているから、
家事とか何も出来ないと思ったけど」
「恋人と二人だったらやるのね」
 恋人という響きにマヤは顔が熱くなる。
「そうだ。昨日渡し忘れたって」
 赤信号で車を停めると、水城は鞄の中から速水に渡されたメモを取り出す。
「これ、社長の携帯電話の番号よ。用事がある時はそこにかけて欲しいって言ってた」
 マヤはメモを受け取ると紙を開いた。
『カレーご馳走様 御用がある時はいつでもどうぞ』
速水の字で書かれていた。
くすぐったい気持ちになる。マヤはメモを大事そうに折り畳むと学生鞄の中にしまった。
「今日は『天の輝き』の撮影よ」
 映画の撮影じゃなくてほっとする。
「沙都子になれるんだ。楽しみ」
 マヤはウキウキとした気持ちで窓から外を見た。



 速水はMBAテレビ局に着くと会議室に案内される。
大都芸能が全面的なスポンサーとなり制作されるドラマの会議だった。
 主要なキャストは全て大都芸能所属の俳優から選ばれる。
速水の思惑通りに会議が進み、機嫌良く会議を終える事が出来た。
 時計を見ると午後五時を過ぎた所だ。「天の輝き」の撮影はまだやっている所だ。
スタジオに少し顔を出して行こうかと思う。そのタイミングで携帯電話が鳴った。
着信を見ると公衆電話になっていた。おそらくかけて来たのはマヤだ。
早速の電話に速水は小さく笑う。
「もしもし」
「速水社長、寺田です」
 部下の声に速水は厳しい表情を浮べる。
「例の件ですが、長野の療養所で見つけました」
「療養所?あぁ、そうか。結核を患っていたのだったな。詳しい話は直接聞く。
一時間後に社に来れるか?」
「大丈夫です」
 速水は相槌を打つと電話を切った。
スタジオに行くのを止めて、速水は社に戻る事にした。
 早く行方不明になっていたマヤの母親の事が知りたい。
病弱な母親を上手く利用すればいい宣伝になる。
そして、マヤは手早くスターになれる。大都芸能の利益に繋がる。
「速水さん」
 背中にかかる声に速水はドキッとした。
振り返らずとも、通った高い声でわかった。
「やぁ、ちびちゃん」
 ポーカーフェイスを作り、沙都子の衣装を着けたマヤを見下ろす。
「今日の撮影は終わったのか?」
「たった今」
「そうか。夕食に誘いたい所だが、生憎予定が詰っていてね」
「いいんですよ。速水さんと少しでも会えて嬉しいです」
 マヤが無邪気な笑顔を浮かべる。速水はズキリとした胸の痛みを感じた。
「どうしたんですか?」
「君でも可愛い事を言うんだな」
「だって、今は恋人ですから」
 急に後ろめたい気持ちでいっぱいになった。
「速水さん、どうしたの?顔色が悪いけど」
「あぁ、少し疲れただけだ。今まで会議だったんだよ」
「そうですか。お疲れ様です」
「君もお疲れ様、じゃあ、また」
 速水は玄関口の方に体を向ける。
「速水さん、今夜電話してもいいですか?」
 背中に控えめな声がかかる。
速水は足を止め、もう一度マヤの方を振り返る。
「十時頃だったら出れると思う」
「十時ですね。わかりました」
 マヤが小さくお辞儀をする。その姿が可愛いと思えた。
昨日までのマヤとは少し態度が違って見える。
そんな変化を嬉しいと思いながらも、母親の事を言えない自分に対して嫌悪感が募った。


 寺田が約束の時間に社長室に現われた。
ソファに座りながら速水は報告を聞いていた。
「目が不自由とはどの程度だ?」
「ほとんど失明同様です」
「田舎の病院といったな」
「すごく辺ぴな場所です」
「マヤの母親だと知っている者は?」
「ほとんどいません」
「その病院の院長はどんな人物だ?金で動くかタイプか?」
「わかりませんが、病院自体は財政困難な様子です。入院患者もほとんどありませんし」
「ならば院長に金を握らせて母親を当分の間、世間から隠せ!いいか、どんなに週刊誌やマスコミが
行方を捜して騒いでもだ。俺がいいと言うまでこの事は極秘だ」
「はっ」
 寺田がソファから立ち上がると、速水にお辞儀をして社長室を出ていた。
 速水は窓際に立つ。
 母親の失明をツイテイルと思った自分の残酷さに胸が鈍く痛む。
母親探しでマスコミが騒いでくれるのは格好の宣伝になると思った。
マヤが必死に呼びかける程、好感度は上がる。
マスコミの加熱が頂点に達した時、母親を世間に晒せばいい。
失明した母親とマヤを対面させればお涙頂戴ものだ。
きっと上手くいく。
そう思う反面、やはり罪悪感で胸がしめつけられる。
今までこんな事はなかった。仕事の為ならどんな冷淡な事だって出来たはずだ。
マヤと出会い、何かが変わろうとしている。
初めてマヤの舞台を見たあの日から……。
「何を考えているんだ。たかが、十六歳の小娘に何をムキになっているんだ。真澄!」
 窓ガラスに映る自分に叱咤する。
 仕事の成功の為なら時には汚い手も使えと速水英介に言われて来た。
英介のようになりたくないと思いながらも、同じような事をしている自分が可笑しい。
「お義父さん、やっぱり親子ですね。僕たちは」
 夕陽に呟き、速水は表情を険しくする。
 紅天女への執着は年々英介以上の物になってきた。
何としてもこの手で上演させる事だけが速水英介に対する復讐だと思っている。
母親が死んだ日から、心から幸せだと思った事は一度もない。
野心と復讐心だけでここまで来たのだ。
マヤと出会ったぐらいで、今更そんな自分が変われる訳がない。
紅天女をこの手に掴む為なら自分は鬼にだってなれる。
マヤを騙す事なんて何とも思っていない。
恋人になってもそれは変わらないはずだ。
 速水は揺れそうになる心に強く戒めると、社長室を後にした。





 マヤはテレビボードの中のデジタル時計をじっと見ていた。
9:58、 9:59、 10:00
「やった10時!」
水城に与えられた携帯電話を握りしめ、登録したばかりの速水の番号を出す。
5コール目に「もしもし」という低い速水の声がした。
「マヤです。約束通り電話しました」
「あぁ、そうか」
 沈んだ速水の声がする。
「あの、お邪魔でしたか?」
「いや、大丈夫だ。今は一人でバーにいる」
「お酒を飲んでるんですか」
「ウィスキーをね。今5杯目をもらった所だ」
「5杯も飲んでるんですか」
「ダメか」
「いえ、何か速水さんの声少し元気がない気がして」
「夜だからな」
 速水がクスリと笑う。
「それで、何か用か?」
「もう用は済みました」
「えっ」
「速水さんに貰った番号がちゃんと合っているか確めたかったんです」
「はははははは。君は可笑しな事を言うな」
「そんなに笑わないで下さい」
「マヤは可愛いな」
「へっ」
 マヤの顔が赤く染まる。
速水に名指しでそんな事言われたのは初めてだ。
何て返したらいいのかわからない。
「可愛い俺の恋人だ。今君が隣りにいないのが寂しいよ」
 甘い言葉にマヤの胸がざわめく。
「……何か速水さんらしくない言い方」
「そうか」
「そうですよ。速水さんはいつも私をバカにしてるのが正解です。急に優しくしないで下さい。
調子が狂います」
「俺は思った事を言っているだけだ。酔っ払いだからな」
 速水が笑う。
「ねえ、速水さん」
 マヤは聞いてみたいと思っていた事を口にしようと思った。
「私の事、本当は嫌いなんでしょう?邪魔なんでしょう?私さえいなければ紅天女は亜弓さんの物になるから。
速水さんは亜弓さんに決まってもらいたいんでしょう?」
「酷い誤解だ。確かに君の事は最初は邪魔だと思ったが、今は違う。
それに君の事を嫌いだなんて一度も思った事がない。俺は舞台の上の君が好きだ」
 初めて好きだと言われ、マヤの耳が赤くなる。
「速水さん、酔ってますね」
「あぁ、酔ってる。酔っ払いはお気に召さないか?」
「いえ、いつもより素直な速水さんが少しだけ可愛いです」
「まさか君に可愛いと言われるとはね」
 上機嫌に速水が笑い出す。
「さて、子供はそろそろ寝る時間だろ?」
「子供って、私はもう高校生です」
「立派な子供じゃないか」
 マヤは「もうっ」と唇を尖らせる。
「ちびちゃん、おやすみ」
 マヤがおやすみを返す前に電話は切れた。
「おやすみなさい」と静かに携帯電話の通話ボタンを切る。
 もう少し話していたかったなと思う。
 マヤはベッドの上にゴロリと横になった。今夜の速水はとても優しく思えた。
いや、昨日もそうだ。この部屋で一緒にいた時も優しい目でマヤを見ていた。
時々速水のそんな眼差しを見つける事がある。そういう時はどうしたらいいかわからなくる。
冷たいと思っていた速水は本当はとても優しい人なんじゃないかと思う。
マヤをバカして笑う時もどこか温かい。
「本当の速水さんはどっちなんですか?」
 速水に貰った薔薇を見つめながら、マヤは呟く。
あんなに大嫌いだった速水が少しずつ心の中に入っていた。



  
 土曜日の朝、マヤは目覚まし時計が鳴る前に飛び起きた。
今日と明日は仕事も入っていない。水城に頼んで調整してもらったのだ。
 二人分の弁当の用意をする。おにぎりと玉子焼きにタコさんウィンナー。
それからポテトサラダだ。不器用ながらも二時間かけて何とか完成。
昨日買ったばかりのお弁当箱に詰めると、マヤはにんまりとする。
「速水さん、何て言うかな」
 速水の反応が楽しみだった。台所を片付け終わると、一泊分の荷物を旅行鞄に詰め込んだ。
速水と二人だけの初めての旅行。胸がわくわくする。

「彼氏と旅行に行くならちゃんとコンドーム持っていきなよ」

 高校の友人の声が頭の中に蘇る。
マヤは一人、そんな事絶対にないないないないと手を振る。
速水としたスキンシップは頬にキスと、抱き締めてもらった事だけだ。
それ以上なんて想像も出来ない。
「速水さんは私の事子供だって言っているんだから、そういう対象には見ない。うん。そうよ。絶対にない」
 鏡に向かって話しかける。
「でも、男って狼って言うじゃない。口では何もしないって言っていても、急にその気になるのよ」
 また友人の声が頭に響く。
「速水さんはそういう人じゃないもん!」
 大きな声で頭の中の声を打ち消した。
 マヤが水玉のワンピースに着替えた所で携帯電話が鳴る。速水からだ。
「今、行きます」
 速水がマンションの前に着いたという電話だった。
 マヤは慌てて、弁当箱が入った紙袋と旅行鞄を持って部屋を出る。
 玄関まで下りて行くと、速水の姿があった。今日はスーツ姿ではない。
水色のYシャツに紺色のチノパン姿。珍しい物でも見るようにマヤはじっと速水を見つめる。
「何だ?」
「スーツじゃないと思って」
「オフの日はこんな格好だ。それより行こう」
 速水はマヤの手から荷物を霞め取ると、マンション前に停めた愛車にマヤを促す。
マヤは車を見て目をみはる。
「これって、ポルシェ?」
「ちびちゃんでも車の種類は知ってるんだな」
 ケラケラと速水が笑う。
「ガレージに眠らせたままにしとくのは勿体ないから、久しぶりに出したんだ」
 速水はフロントのラゲッジを開けると、自分の鞄の隣りにマヤの旅行鞄を入れる。
「前がトランクになってるんですか」
「そう。後ろはエンジンがある。さぁ、どうぞ」
 助手席のドアを速水が開ける。マヤは遠慮しながら車に乗り込んだ。
左ハンドルなので、マヤが座るのは右側だ。
 運転席に速水は乗り込むとエンジンをかける。
カーナビが起動すると速水は目的地を伊豆に指定した。
マヤがシートベルとをしたのを見届けると速水は車を走らせる。
マヤは小さく歓声を上げた。
車を運転する速水の横顔がカッコよく見える。
大人の男性というのはこうなんだなと、改めて感じた。
 首都高に入ると調子良さそうに速水は速度を上げる。新型ポルシェ911の安定した走りは
これまでのスポーツーカーとは違い乗り心地も抜群だった。
「思ったよりも道路が空いてる。これなら昼前には着きそうだ」
「今日行く所って、速水さんの別荘なんですか?」
 詳しい話はまだマヤは聞いていない。
「そうだ。海に面した崖の上にあって、太平洋が一望できるんだ。星もよく見える」
「素敵ですね」
「夜は波の音を聞きながら、テラスから星を眺めるんだ。唯一自分を取り戻せる時間だ」
「自分を?」
「日常の煩わしさも全て忘れられる」
 速水が寂しそうに微笑む。マヤは胸がキュンとなった。
「そうか。そういう事なんだ」
「何がだ?」
「いえ、今速水さんを見ていたら、胸がキュンとしちゃって。それで香織の気持ちがわかったんです。
浩也の孤独を感じ取って香織は惹かれるんですけど、そういうがわかった気がしました」
「孤独か。確かに俺は孤独な人間だ。水城君に浩也と俺は似ていると言われたよ。
多分そんな所なんだろうな」
「いつも人に囲まれているのにそう思うんですか?」
「君のように本心を見せて近づいてくるヤツは俺の前にはいないよ。俺も人には心を見せない。
だから、別荘で一人でいる時が一番気が休まるんだ」
 また一つ知らない速水の顔を見た気がした。胸が大きく鼓動を打つ。
速水への想いが体のどこかに溜まる。速水の中の孤独な気持ちを少しでも癒したい思った。
「速水さん、私に何か出来る事ありませんか?」
「えっ」
「私、速水さんが休める存在になりたい」
「……ちびちゃん」
 マヤの言葉に心の深い部分が反応する。そんな事言ってくれた人は今まで会った事がない。
「十一歳年下で、気が利かない私だけど、速水さんが休めるなら何でもしたいって思います」
「ありがとう。その言葉だけで十分癒される」
 速水はハンドルを握っていた右手をマヤの頭に乗せ優しく撫でた。
「君はいい子だな」




 速水が予想した通り、昼前には別荘に着いた。
 マヤは別荘の中に入ると珍しそうに中を見る。座り心地の良さそうなソファが置かれた広いリビング。
その続きにはテラスがあり、速水がガラス戸を開け、マヤを手招きする。
 テラスに出るとマヤは息を飲んだ。眼下に広がる濃紺の海と透き通るようなスカイブルーが世界を包む。
こんなに綺麗な場所に来たのは初めてだ。心が突き動かされ、涙が浮かぶ。
「速水さん、すごい」
涙声のマヤに速水は驚く。
「泣いてるのか?」 
「はい。あまりにも綺麗だから」
 同じようにマヤが感じている事が嬉しい。
速水は背中からマヤを抱き締める。
「気に入ってもらえて良かった」
「速水さんが自分を取り戻せるって言った意味がよくわかります。
この景色を見ていると世界は広いなって思います。私の悩みは小さく感じる」
「ちびちゃんに悩みか」
クスリと速水が笑う。
「あぁ、速水さん、今バカにしましたね。演劇バカの私にだって悩みぐらいあるんですよ」
「ほう、そうか。ちびゃんはどんな事で悩むんだ?」
「……母さん」
「えっ」
「今一番気になるのは母さんの行方です。この間マスコミの前で話しましたけど……。
会いたいな。私が演技している今の姿を母さんに見てもらいたい。ずっと母さんに心配ばかりかけて来たから、
私にも取り得があるよって、安心させてあげたいんです」
 速水の胸が重たくなる。母親を隠している事が重大な罪を犯した事のように思えた。
マヤから離れると、テラスの椅子に腰を下ろす。
 無償に煙草が欲しくなる。ズボンのポケットから取り出すと一本口にくわえ、火をつける。
細い煙が海風にあおられ消えていく。速水は葛藤に耐えるように煙の流れをじっと見ていた。
 今ここで母親が見つかった事を知らせたら、きっとマヤは喜ぶだろう。
しかし、利益を考えるとまだ時期は早い。でも、あんなに会いたがっているのだから、
利益よりも優先させるべきではないのか?いや、ダメだ。マヤをスターにする為だ。
少しぐらい会うのが遅れたって構わないだろう。一生会えない訳ではないのだから。
と、心の中が揺れ動く。社長として利益優先の判断をしなければならないと、心が訴えかけてくる。
 速水は深いため息をついた。
「どうしたの?恐い顔をして」
 マヤが不安そうに速水を見つめる。
「何でもない」
 速水は椅子から立ち上がると、テラスを後にした。
マヤの顔を見ているのが苦しかった。





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