―――  三ヶ月の恋人 7  ――― 


 土下座する速水を見て、どれだけ沢山の人に迷惑をかけていたのか、やっとマヤは気づいた。
勝手にいなくなって、仕事に穴を開け、二ヶ月も入院していた。
本当だったらもう撮影は終わっているはずだったのに、マヤ一人の為に監督を始め沢山のスタッフの
手を止めてしまった。そのせいで公開の時期が未定になっていると水城から聞いている。
 もし、映画が公開されなかったら、それは全てマヤの責任だ。大都芸能の看板にもキズがつく。
もしも、この場に月影がいたら速水がしたようにマヤの頬を叩くだろう。
役者として最低な事をしたと叱られるはずだ。
 後悔の涙が滲み上がってくる。マヤは涙を拭うと土下座したまま声を張った。
「本当に申し訳ありません!私の勝手な振る舞いで皆さんに迷惑をかけました。
どうしたら許してもらえるかわかりませんが、私に出来る事は香織を最後まで演じる事だと思います。
どうか、私に最後まで香織を演じさせて下さい」
 マヤのしっかりとした声に速水は力強さを感じ、ホッとした。
「顔を上げなさい。香織は君しかいない。だから、僕たちは待っていたんだ。
今からラストシーンだ。最高の香織を見せてくれ」
 監督の声にマヤは顔を上げ、「はい」と気持ちのこもった返事をした。



 ラストシーンの撮影から二日後、マヤは速水を訪ねる為大都芸能に行った。
二十階の社長室に通されると、速水はノートパソコンとにらめっこをしている所だった。
「ソファで少し待っててくれ」と言われ、マヤはふかふかの革ソファに遠慮がちに腰かける。
 秘書が持って来てくれたコーヒーを飲むと、速水の様子を伺う。
チャコールグレーのスーツに水色のワイシャツ、紺色のネクタイを締めていた。
マヤが好きな組み合わせだ。速水は電話を取るとマヤには聞き取れない流暢な英語で話し始めた。
日本語で話す時よりも少し低い声を心地よく思う。時折談笑する声にも胸が上ずる。
知らない速水の一面を知る事が出来て、嬉しかった。
 でも、もうこんな風に会う事はないだろう。映画の撮影が終わって、速水と結んでいた恋人としての契約も
終わったのだ。恋人だった間速水に沢山愛された。恋人に向ける優しい目をした速水を知った。
こんなにも一人の人を愛しく思う感情を知った。それだけで幸せだ。それ以上は望んではならない。
「すまない。待たせたね」
 電話を終わらせると速水はソファの方に移動した。
今日のマヤはジーパンにパーカー姿だ。上野動物園に行った時もそんな感じだったと思い出す。
 恋人としての関係は終わっていたが、目の前のマヤを今も愛しく思っている。自然とマヤを見る目が
優しくなる。
「『サマーラブレター』良かったよ。あのラストシーンを側で見れて良かった」
 二日前の記憶が鮮明に浮んだ。香織と浩也のラストシーンは深く胸を打つものになった。
映画が公開されれば話題になる事は目に見えていた。
「速水さんのおかげです。速水さんが私に恋を教えてくれたから。本当にありがとうございました」
「いや、俺の方こそありがとう」
「それで、速水さん」
「うん?」
「大都芸能を辞めさせて下さい」
「芝居を辞めるという事か?」
「いえ、芝居は続けます」
「だったら、大都芸能にいればいいだろう。今、辞めれば君を使ってくれる所なんかないぞ」
「それではダメなんです。もう一度自分の力で舞台に立ちたいんです。それに、今回、沢山の人に
迷惑をかけました。その責任も取りたいと思っています。だから、私をクビにして下さい」
 マヤが深く頭を下げる。
「……マヤ」
「私、こういう方法でしか責任の取り方を知らないんです。
大都芸能に、テレビや映画関係の人、他にも沢山のスタッフに迷惑をかけました。
みんなに迷惑をかけたまま私、紅天女を目指す事は出来ません。大都芸能を離れる事が
私なりのケジメの付け方です。速水社長、お願いします。私をクビにして下さい」
 マヤは顔を上げると決意の固まった瞳で速水を見る。
おそらく速水が何を言ってもマヤの意志が変わらない。それがわかるから、速水は何も言えない。
黙ったまま、マヤの顔をじっと見つめた。
 マヤが大都芸能に入った時、嬉しかった。この手でマヤをスターに出来ると思った。
まさかこんな形でマヤから辞めさせて欲しいと言われる日が来るとは思わなかった。
「そうか」
 速水はため息とともに、言葉を吐き出す。
次の言葉が出て来ない。マヤを手放すのが残念でならない。
「本当に、いいのか?」
 未練がましい聞き方だと思うが、そう聞かずにはいられなかった。
「はい。月影先生も戻って来ていいとおっしゃいました。私はまた月影先生の元で紅天女を目指します」
 マヤが速水を見る。強い意志の篭る瞳だと思った。
誰に何を言われてもマヤを手放すつもりはなかったが、マヤが責任を取りたいと言うなら引き止められない。
彼女の気持ちを尊重すべきだ。でも、手放したくない。
「……いいだろう。君の望むようにしよう」
 断腸の想いで口にした。
「はい」
 マヤはしっかりとした返事をした。
 速水は机から契約書を取り出すとマヤに渡す。
「破るなり好きにしろ。君はもう大都芸能とは関係ない」
「ありがとうございます。お世話になりました」
 契約書を受け取り、マヤは深くお辞儀をした。速水はじっとマヤを見ていた。
もし許されるなら、マヤを抱き締めたいと思うが、出来るはずもなかった。
「では、これで失礼します」
 ソファからマヤが立ち上がる。
「ちょっと待ってくれ」
 速水はマヤを真っ直ぐに見つめる。
「俺もちゃんと君にお母さんの事を謝りたい」
 マヤの前に立つと、深く頭を下げた。
「本当にすまなかった。君の大事な母親を死なせたのは俺の責任だ。
前にも言ったが、君の望む通りの事を俺にさせてくれ」
 マヤの瞳にパッと涙が溢れる。母の事は考えないようにしていた。
まだ失った悲しみは少しも癒えていない。速水が憎いとどこかで思う自分がいる。
でも、憎みきれない。それ以上に好きだから。
「だったら、最後に私を抱き締めて下さい」
 湿ったマヤの声が落ちる。速水は顔を上げるとマヤを見つめた。
「私の事を少しでも思って下さるなら、抱き締めて下さい」
 熱い想いがこもる瞳がつき刺さる。速水はマヤに手を伸ばすときつく抱き締めた。
柔らかな温もりが伝わって来る。愛しさが込みあがる。マヤを手放したくない。
ずっと一緒にいたい。でも、愛しているからこそ今は別れなければならない事がわかる。
マヤが紅天女を掴む日までは、この想いは口にしない。
マヤの夢を邪魔してはならない。月影にも言われたのだ。恋は人を強くする面もあれば弱くする面もあると。
今のマヤには恋は邪魔者でしかないとハッキリと言われたのだ。
「いつか、君が紅天女を演じられるようになったら」そこまで口にすると、速水は胸の中にいるマヤを見下ろす。
「何ですか、速水さん」
 マヤがじっと速水の言葉の続きを待つ。その後に続く言葉は俺と一緒になって欲しいだったが、
速水は口にしなかった。口にすればマヤと別れられなくなる事がわかっていた。マヤが紅天女を掴むまでは
堪えなければならない。女優としてマヤが成長する為には今は別れなければならないのだ。
「いや、何でもない」
 速水は小さく笑うと抱き締める腕を解いた。
「さようなら、速水さん」
「さようなら、ちびちゃん」
 速水は社長室から出ていくマヤの背中を見送った。
窓の方を見るといつの間にか陽が傾いていた。空が茜色に染まっている。
とても美しく悲しい空だと思った。


 大都芸能のビルから出るとマヤの目の前に真っ赤な夕焼けが広がっていた。
空が全て鮮やかに染まる様に思わず「あっ」と声が出る。この空を速水も見ているだろうかと、
二十階を見上げた。恋しさが募る。速水が恋人だった期間は、昼と夜の間のひとときに色づく夕焼けのように
短く、深く胸に刻まれるものだった。泣かないと思っていたのに、また泣きそうになる。
 母と死別した時も同じように悲しかった。
 でも、悲しいと泣いている訳にはいかない。自分には夢がある。
いつの日か紅天女を演じるという強い夢がある。その為に精一杯今を生きよう。
今胸にある感情を舞台で表現できる女優になろう。速水の隣りに堂々と立てる女優になろう。
そして、その時は心の内をさらけ出し、速水の胸に飛び込もう。
 マヤは夕陽に向かってそう決意をすると歩き出した。
「マヤ!」
 背中に声がかかる。
その声にマヤは足を止める。振り向くと大都芸能ビル前に速水の姿があった。
速水の顔を見た瞬間、マヤは走り出す。
「速水さん!」
 マヤは速水の胸に飛び込んだ。
「マヤ!」
 速水がしっかりとマヤを抱きとめる。
マヤを惑わせてはいけないと思っていたが、夕陽を見ていてあれこれ理屈をつけて、自分の心を抑える事は間違っていると思った。
 初めて本気で愛したからこそ、離れてはいけない気がした。二人が同じ想いなのはわかっている。
どうして別れなければならないのと、マヤの瞳がずっと訴えかけていた。
 昔聞いた紅天女の恋は年も身分もなく惹かれ合う魂の片割れが描かれているという。
だとしたら、それは自分たちの事のように思えた。マヤが紅天女を演じる上できっと自分たちの恋は邪魔にはならない。
どんな事があってもマヤを受け止め、支えていく。そう速水は決意をした。
「愛している。いつか君が紅天女を掴んだら、俺と結婚して欲しい」
 速水の言葉にマヤは瞳を見開く。嬉し涙がこみ上げて来る。
涙に濡れる声でマヤが「はい」と答えると、二人の影が重なった。
夕焼けに染まる街の中で二人の影はいつまでも重なったままでいた。


終わり

連載期間 2014.7.29〜9.12

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【後書き】
最後は強引に終わらせました(苦笑)
本当はそれぞれの道を歩いて行くっていう感じのラストにしようかと思っていたんですが、本編で悶々と(笑)している二人ですので、
ちゃんとくっついた方がいいかなと思いまして、書き直しました。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。
感想等頂けると嬉しいです。

2014.9.12
Cat



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