彼と彼女の24時間-3-



  「ピンポーン」と部屋のチャイムが鳴る。
おそらくさっきルームサービスで注文した夕飯が来たのだとすぐに速水は思う。
ソファから立ち上がろうとして、少々困った事になっていると気づく。
ほんの5分前から静かになったと思っていたら、手錠に繋がれた彼の相手は
小さく寝息をかいていた。
よくこんな状況で眠れたものだと思いながら、妙に意識しているのは自分だけ
なのだと改めて知らされる。そう、ちびちゃんにとって彼は冷血仕事虫以外の何者でもない。
一言で言って‘イヤナヤツ’だ。
「仕方ないな」
彼は自分が動く為に眠っている彼女を抱き上げる。
きっとドアの向こうのホテルマンは変な顔をすると思うが、こうしなければ彼はドアまで歩く事ができない。
「う・・・ん。速水さんの、ばか」
思ったよりも軽い彼女を抱き上げた時、唇がそう動いた。
「酷いな。夢の中でも俺は君に嫌われているのか」
彼が文句を口にしても腕の中の彼女はむにゃむにゃと口を動かしただけで起きる気配はない。
彼はフーッと息を吐くとドアまで十歩程歩き、何とか扉を開けた。
「待たせてすまなかった」
ドアの外にワゴンとともに立っていたホテルマンは予想した通りマヤを抱きかかえる速水に一瞬、顔色を変えるが、
何も言わずワゴンを部屋の中に置いた。
「ダイニングテーブルの方に用意いたしましょうか」
ワゴンを部屋の中央まで運ぶとホテルマンは速水の方を向く。
「いや、いい。後は自分たちでするから」
速水はマヤを抱えたまま一歩ホテルマンに近づくとチップを渡す。
「わかっていると思うが、くれぐれもこの事は内密にお願いしたい」
速水の言葉にホテルマンは彼の腕の中で力なく眠るマヤに視線を向け、今度は自分の手の中の一万円を見る。
「私は何も見ていません。どうぞ、ゆっくりお過ごし下さい」
愛想のいい笑顔を浮かべ、ホテルマンはさっさと部屋を出た。
その時、ポーンポーンと部屋の柱時計の鐘が鳴る。
「うーん」
鐘の音に反応するように腕の中の彼女の瞼が動く。
速水は慌てて、ソファまで行くと彼女をソファに寝かせた。
するとゆっくりと彼女が黒々とした大きな瞳を開く。
「起きたか?全く君の寝入りの早さには驚かされるよ。
さぁ、注文した物が来たから冷めないうちに食べよう」
速水がマヤの顔を覗き込むと、彼女がびっくりしたように飛び起きる。

ゴツン!

言い知れぬ激痛が彼の顎を襲う。
「いたっ!」
二人同時に声を上げた。彼女頭を押さえ、彼は顎をさすった。
「この石頭!」
思わず彼の口から悪態がついて出る。
「速水さん、こそ・・・」
マヤは痛そうに身を屈ませる速水に視線を向け、言葉を飲み込む。
彼が彼女に視線を向けるとどういう訳か顔中が茹でタコのようになっていた。
今にも頭から湯気が出そうな勢いだ。
「俺が何だと言うんだ?」
「いえ、何でもないです。どうもすみませんでした」
マヤは速水から視線を逸らすと勢いよくダイニングの方に向かうが、二人の間の鎖がピンと伸びる。
その反動で左手が引っ張られ、速水は転びそうになった。
「あっ、そうか」
マヤは思い出したように手錠の繋がれた右手首を見つめる。
「急に走り出さないでくれるか?左手が痛い」
速水は顎をさすりながらゆっくりとマヤの方へと近づいた。
「・・・すみません」
申し訳なさそうに俯くマヤを見て、何か自分が悪いことをした気がした。
「とにかく。食べよう」
二人でワゴンから料理を取り出し、ダイニングテーブルにセッティングする。
当然のように席は隣あって座った。
「どうした?」
ナイフとフォークを手にした速水は、浮かない顔で料理を見ているマヤを見る。
「えっ、あっ、頼んだものと違う気がして」
マヤは目の前のハンバーグステーキに視線を落とす。
「いや、違っていない。確かに君はハンバーグにすると言っていた」
「えっ、でも、最初にラーメンって」
「ラーメン?そんなものは初めからメニューにはなかったが・・・ラーメンが食べたいのか?」
「いえ、別に何でもないんです。どうも私、変な夢見ていてみたい。そうでよね。夢ですよね。
まさか、あんな事ある訳ないですよね」
彼に言っているのか、自分に言い聞かせているのか、彼女は無理やり何かを納得させようとしているように見えた。
「夢?確かに君は寝ていたが・・・どんな夢を見たというのだ?」
彼の言葉を耳にした瞬間、彼女の顔がまたポストのようになる。
「別に、お話しする程のものじゃありません!」
声を荒げそう言ったきり、彼女はそれから何も話さなかった。
食事の間中二人は言葉を交わさず、食器のカタカタという音だけが部屋に響いていた。



 午後十一時半、二人はリビングにいた。
速水は会社から持って来てもらった書類に目を通し、マヤはテレビを見つめていた。
時計の針が進むごとに緊張感が募る。それは速水だけではなく口数の減った彼女もそう見えた。
速水はフーッと今日三十回目ぐらいのため息をつき、この後どうしたらいいのかと考える。
このままリビングで眠ってしまうのか、それとも寝室に移動してベッドの上で眠るのか、
しかし、ベッドはダブルベッドで、そうなると同じベッドで二人眠るしかない。
いや、それよりも風呂はどうするのだ?
一日ぐらい入らなくてもいいと思うが、彼女がもしも風呂に入ると言い出した時、
自分はどうすればいい?一緒にバスルームに入るのか、それとも、ドアの外で待つ事になるのだろうか。
「・・・さん、速水さん!」
突然の声に彼の思考は停止した。
「えっ」
右隣の彼女の方を見る。
「やっと気づいた」
彼女がクスリと笑う。
その笑顔があまりに可憐だったので、速水は時めいてしまう。
「・・・何だ」
自分の中の動揺を悟られまいと、できるだけ横柄に答える。
「だから、速水さん、お風呂とかどうします?私は一日ぐらい入らなくてもいいんですけど、
もしも、速水さんが入るなら私、ドアの外で待ちますから、遠慮なく言って下さい」
自分と全く同じ事を彼女が考えていた事に思わず苦笑する。
「何ですか?」
苦笑の意味がわからず、マヤはまたバカにされたと思い、目を尖らせる。
「いや。別に何でもない。俺も一日ぐらい我慢する。こんな状況だからな」
速水は手元の手錠に視線をやる。
「本当にすみませんでした。私のせいでこんな事になってしまって」
しおらしい彼女の言葉にまた胸がキュンとする。
「別に君のせいじゃないよ。それより、残念だったな。エキストラ。本当は君のマジシャン助手の演技観たかった」
手錠に繋がれたままになってしまい、当然マヤはエキストラを降ろされたのだ。
「本当に残念です」
ため息とともに彼女が口にする。大きな瞳には薄く涙が浮かぶ。
「でも、仕方ないですから、また頑張ってチャンスを作ります。それに、私、くよくよしてられないんです。
紅天女があるから。亜弓さんが待っていてくれるから」
人差し指で涙を拭うと、彼女は小さく笑う。その姿が彼の胸を鷲づかみにした。
抱きしめたいと思う衝動に駆られるが、彼は寸前の所で耐えた。
「君はいいな。いつも前向きで」
「えっ」
「いや、ただの芝居バカなのかもしれない。全く君も姫川君も、月影先生も、みんな無茶し過ぎる」
「いいですよ。芝居バカ。私は好きです。だって、楽しいもの。苦しい事も辛い事もあるけど、好きなことをしているから、
全然辛いとも思わない。例えそのせいで母さんが死んでも・・・」
最後の言葉が彼の胸の響く。彼は何て言ったらいいのかわからない。
彼女の母を死に追いやった責任は間違いなく彼にあるのだ。
「・・・君は今でも俺を責めているのか?」
搾り出すよな声で彼が口にすると、彼女は驚いたように眉を上げ、
首を左右に振った。
「確かに最初は速水さんを・・・恨んだけど。でも、元をただせば私が母の側を離れたから、お芝居と出会ってしまったから、
だから、ああなったのは私の責任なんです」
言葉を選ぶように彼女は慎重に話す。その横顔を見ながら、随分と彼女が大人になったのだと彼は感じる。
そして、永遠に自分は彼女に好きだと告げられない気がした。
「君は強いな」
それだけ口にすると速水は黙り込んだ。
首を後ろに向けると、窓の外を見つめた。煌びやかな街の灯りと、琥珀色の三日月が見える。
彼が黙ったままそうしていると、彼女も視線を追うように空を見る。
「月が綺麗ですね」
何かを思い出したように口にすると、彼女が笑う。
「何が可笑しいんだ?」
「いえ、ちょっと思い出したんです」
「何を?」
「I LOVE YOUの訳を夏目漱石が『月が綺麗ですね』って言葉で訳したって。何か今月見ていたら、
確かにそうかもって思えたんです」
「ちびちゃんにしては博識だな」
「これでも国語の授業は好きだったからちゃんと起きて聞いていたんですよ」
「他の授業は寝ていたという訳か」
「まぁ、そうですね。紫の薔薇の人にその辺は後ろめたいと言うか・・・」
マヤの言葉に速水が豪快に笑い出す。
「そんなに笑わなくても」
軽く速水を睨む。
「いや、失礼、面白くて、つい・・・」
笑いをかみ殺しながら、彼は目に薄っすらと涙を浮かべた。
「なぁ、ちびちゃん、今から出かけないか?」
悪戯を思いついた子供のような顔を彼がする。
「今からですか」
マヤが時計に視線を向けると、午後十一時五十分を指した所だ。
「どうせ今夜は俺たちまともに眠れないだろう?だったら、外に出た方が面白い」
速水が勢いよく立ち上がる。
マヤは考えるように彼の顔を見つめるとニッコリと微笑む。
「そうですね。確かに外に出た方が楽しそう」
「よし。じゃあ、決まりだ」
速水は彼女に左手を差し出す。彼女はその手を取り立ち上がった。







 ホテルを出るとやや冷たい風が頬を撫でる。
五月でも夜になると少し冷えるなと、彼は思いながらタクシースタンドまで彼女と歩いた。
「寒くないか?」
半袖のワンピース姿の彼女が薄着に見えた。
「大丈夫・・・へっくしゅ!」
彼女が大きなくしゃみをする。
彼は手に持っていたスーツの上着を彼女の肩に掛けた。
「少しはましだろう」
「すみません」
彼女は申し訳にさそうに頭を下げる。次の瞬間、ロータリーをゆっくりと回るタクシーの姿が見え、
彼らの前で止まり、後部座席のドアが開く。
速水は運転手に「伊豆までお願いしたい」と告げた。
隣にいたマヤは眉を上げ、彼を見る。それはタクシーの運転手も同じ気持ちだったかもしれない。
一瞬の間の後、「どうぞ」と運転手が言い、後部座席に二人は乗り込んだ。
かくして、二人は伊豆半島に向かう事になった。
そこに彼の別荘がある事を話すと、マヤは「へぇ〜」と声を上げた。
「俺にとって秘密基地みたいな場所だ」
クスクスと少年のような顔を彼が浮かべる。
「いいんですか?そんな所に私と一緒に行って」
「あぁ。もちろん。こうして手錠で繋がれた仲だしな」
更に可笑しそうに彼が笑う。
「君に見せたいものがあるんだ。間に合うといいんだが」
速水は腕時計を目にする。午前一時をさしていた。車はもう高速に入っていた。
深夜の下り車線は昼間からは考えられないぐらいすいている。おそらく目的の物は見える時間には着けるだろうと、
彼は頭の中で計算をした。
マヤは隣で大きなあくびをする。
「眠かったら寝なさい。まだまだ時間はかかるから」
速水の言葉にマヤは頷き、ゆっくりと瞼を閉じる。
5分もかからない内に彼女の寝息が聞こえ、彼女の頭は速水の肩の上に落ちた。
その無防備な姿に彼はくすぐったい気持ちになる。
そっと華奢な彼女の肩を抱くと彼も目を閉じた。
心地よい揺れと彼女の温もりに彼も眠りに着いた。





「わー凄い!」
午前4時、浜辺を歩くマヤが大きな声を上げる。
まだ空は暗く、黒い海が広がる。そして、群青色の空には三日月と幾千もの星が空を飾っていた。
東京で見た空とは全く違う顔がある。
「こんなに空に星があったなんて・・・知らなかった」
マヤは両手を広げ、首が折れそうなぐらい傾けて空を見上げる。
彼女の声から感情が伝わってくる。
「・・・凄い!凄い!凄い!」
嬉しそうに何度も口にする姿に速水は目を細め彼女の横顔を見つめた。
「そんなにはしゃぐと疲れるぞ」
クスリと彼が笑う。
「だって、凄いんだもん!速水さん、見て!この空全部星でいっぱい!私、こんなに沢山星見た事ない!」
ピョンピョンと彼女が子犬のように砂浜を跳ねる。喜びが全身を突き抜けているように見えた。
「君に喜んでもらえて良かった」
それは彼にとって本音だった。
「この空を見せたかったんだ。いつもは俺一人で見ているから、誰かと共有したかった」
「速水さん、ありがとう!」
彼の方を振り向くと、彼女が勢いよく抱きつく。
一瞬、呼吸が止まりそうな程、ドキッとした。
「あっ、ごめんなさい。つい嬉しくて」
彼が固まったように彼女を見ていると彼女が苦笑を浮かべ、彼の胸に置いた顔を放そうとする。
彼は咄嗟に彼女の背中に腕を回す。
「・・・速水さん?」
「もう少しこのままで」
やっと搾り出した声で口にすると、彼は強く彼女を抱きしめた。
11も年下の彼女をどうしよもなく愛しく思う。彼女の髪の香りを嗅ぎ、彼女の体温を感じ、
彼女の鼓動を聞いていた。
「・・・どうしたの?速水さん」
黙ったままの彼を心配そうに彼女が見上げる。
その視線に責められている気がした。11も年下の、まだ未成年の彼女を抱きしめる事が犯罪のような気さえする。
でも、一度手にした彼女の温もりを放したくはないと、心が訴える。もっと彼女を感じたい。
彼女の全てを奪ってしまいたい。
抱きしめる手に更に力を入れた時、彼女の体が強張っていくのがわかった。
不安気な彼女の瞳が、彼を抵抗するように睨む。
自分は彼女に忌み嫌われている存在である事を思い出す。
彼はフッと笑うと彼女を解放した。弾けるように彼女が彼から離れ、手錠の鎖が1m50cm分ピンと真っ直ぐに伸びる。
俯いた表情からは何も読み取れなかった。
彼は力なく空を見上げる。
都会で見た月とは違うくっきりとした三日月が海の上にぽかんと浮かんでいた。
「月が、綺麗だな」
彼は彼女への想いを込めて口にした。





                                                        つづく

                                                       



 
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2012.11.17 up
Cat


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