―――  ラブ・ゲーム 2  ――― 



 1
英介とマヤの結婚は絶対に阻止しなければならない。
その為には何だってすると、数日前に決断した真澄だったが、不意打ちのようにマヤに会うとその決意は鈍った。
「こんばんは」と、両肩の出た黒いタイトなドレス姿で現れたマヤに真澄は目を奪われる。
 それは演劇関係者が集まるホテルでのパーティーだった。
招待客は五百名程で、男性はタキシード、女性は華やかなドレスを着用していた。
真澄はというと、アカデミー賞の授賞式で見かけるハリウッドスターのように颯爽と黒のタキシードを着こなしている。
 しかし、見かけとは裏腹にマヤに声をかけられ、内心では憧れの女の子に声をかけられた中学生のように緊張していた。
「こんばんは」
 声が震えないようにしっかりと定型句の挨拶を返す。
シャンパングラスを持っていない方の手が汗でべったりと濡れていた。
「この間はラーメンご馳走様でした」
 普段よりも濃い化粧をしたマヤが真澄の目を正面から見つめる。
マヤはいつだって真っ直ぐに人を見つめると、ラーメンを食べに行った時に思った。
「母と食べたラーメンの味に似てたから、凄く懐かしかった」
 キラキラとした笑顔が眩しい程脳天につきささる。
なんで今夜はこんなにマヤが輝いてみえるのか。胸に熱いものが募った。
「そういえばお母さんはラーメン屋さんで働いていたんだってね」
 マヤのプロフィールに書いてあった事が自然と零れた。
「そうです。だから、毎日のようにラーメン食べてました。母の事英介さんに聞いたんですか?」
「いや」と口にしてから、墓穴を掘った気がした。英介に聞いたんじゃなかったら、自ら調べて知った事になる。
「その、君のプロフィールを見たんだ。大都芸能の社長として、所属する俳優の事を知るのも仕事だから」
 背中に冷や汗をかきながら、不自然にならない理由を口にした。
納得したようにマヤが口の端を上げて微笑む。その笑顔が更に心をざわつかせた。
「英介さんが言っていた通り、仕事熱心なんですね」
 誉められて照れくさい。
「社長として当然の事だ」
 照れくささが、突き放すような言いかたをさせた。
マヤの事が気になるからとは口が裂けても言えなかった。
厳しく結婚を反対した手前、好意を抱いている事を知られたくはない。
 マヤの方を見ると黙ったまま真澄を見つめていた。
ゴールドのアイシャドウが引かれた瞳が皮膚を破る勢いで注がれる。
鳩尾に重苦しい緊張を感じて、真澄も押し黙る。一体彼女はなんでそんなに俺を見つめるのだ。
「マヤちゃん」と、二人の間に陽気な声が響いた。
 弾かれたようにマヤは声のした方向き、「桜小路君」と声をかけた。
 その名前に紅天女の舞台で一真役をしていた俳優だとわかった。彼も大都芸能に所属している。
「こちら大都芸能の速水社長さん」
 マヤが桜小路に速水を紹介する。
桜小路が会釈したので、真澄も軽く会釈した。
「速水社長って、まさか速水会長の?」
 桜小路の問いにマヤが肯いた。
「うん。英介さんの息子さん」
 桜小路の顔がかげる。
「その事だけどマヤちゃん、あの話は本当なの?」
「あの話って?」
「だから、会長とマヤちゃんが結婚するって」
「やだー何言ってるの。そんな訳ないじゃない」
 マヤが笑う。桜小路は安心したような顔をした。
 その様子を見て、マヤに気がある事が真澄にもわかった。
「良かった。マヤちゃん、あっちで話そう。黒沼先生が連れて来いってうるさくて」
 桜小路がマヤの手を引く。マヤは抵抗する間もなくあっという間に桜小路に連れて行かれた。
 真澄は遠くなるマヤの姿を視線で追いながら、英介との事をどうして隠しているのか考えていた。
 


2
  パーティーを一時間で切り上げて、真澄はホテルの出口へと向かう。
 これといった収穫もなく、大都芸能社長としてのただの顔つなぎだけのパーティーは真澄にとって面白いものではなかった。
 あれからマヤと話す機会もなかった。もう一言ぐらい何か話したかったが、桜小路がべったりと、マヤの隣にいたので、
話しかけずらかった。それに英介との事を内緒にしたい様子だったので、真澄が声を掛ける事をマヤは望んでいない気がした。
 タクシーに乗ろうとタクシースタンドまで来た所で、トントンと誰かに背中を叩かれた。
「真澄さん」
 無邪気な声が響く。振り向くとドレスの上に紺色のトレンチコートを羽織ったマヤがいた。
突然の事に心臓がキュッと一回り縮む。
「送って下さいませんか。一人で帰るの恐くて。そういうのも社長さんの仕事のうちでしょ」
 甘えるような声で言われて、真澄は冷たくあしらう言葉を無くした。
「仕方ないな」と、真澄はマヤと一緒にタクシーに乗り込む。
 マヤが下北沢の住所を口にすると、タクシーが走り出した。
 後部座席にマヤと並んで座りながら、真澄は何でもないフリをする為、窓の外を見る。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。と、何度も自分に言い聞かせた。
 たかが十一歳年下の小娘にドキドキと胸がときめいていた。
何となくマヤから香ってくる甘い香水がさっきから冷静さを奪う。気を緩めたらバカな事をしてしまいそうで恐かった。
 でも、これはチャンスではないかと、辛うじて残る理性が語りかける。
マヤと英介を結婚させない為には、手っ取り早くマヤを抱いてしまえばいいのだ。
マヤを部屋に送り届けて、そこで強引に押し倒してしまえばいいではないか。
そこまで考えてバカげた事を考えている自分が嫌になる。
マヤを目の前にするといつもの冷静な判断は狂いかける。
これではマヤを誘惑する余裕なんて全くない。関係を持ってしまったらマヤにいいように
使われてしまうのは自分の方だと思った。
マヤに英介との結婚を認めて欲しいと涙ながらに言われたらきっと肯いてしまう。
 やっぱり誘惑なんて無理だ。手玉に取るつもりが、逆に取られてしまう事は目に見えていた。
傷は浅い内に身を引いた方がいいのだ。これ以上北島マヤと個人的に関わらない方がいいと、真澄は結論を出した。
「着きましたよ」
 タクシーがマンションの前で停車し、マヤの側の扉が開く。
マヤの方を見るとその場に蹲っていた。
「どうした?」
 彼女の変化に全く気づかなかった。ずっと自分の中の考え事に夢中になり過ぎていた為だ。
「……大丈夫。いつもの事ですから」
 青白い顔で彼女が答える。
「お客さん、どうしますか?」
 運転手がルームミラー越しに見る。
「病院に」と真澄が口にした時、被せるようにマヤが「降ります」と、ふらふらの足取りでタクシーを降りた。
「おやすみなさい」
 弱々しい声を落として、マヤは歩き出した。
 真澄を乗せたままタクシーがドアを閉めて走り出す。
 心配しながら、窓から小さくなるマヤの影を視線で追った。すると道端に蹲っているマヤの姿が見えた。
「停めて下さい」
 考えるよりも先に口が動いていた。真澄はタクシーから降りてマヤの所まで走る。
「おいっ、しっかりしろ」
 蹲るマヤを抱きかかえ真澄は待たせておいたタクシーに乗り込み、馴染みの大学病院の名を告げた。



3
 処置が終わったマヤは特別室のベッドで眠っていた。
真澄はベッドの側に腰を下ろし、青白い顔をしているマヤを見る。
 医師からは胃痙攣だと診断された。痛み止めを点滴から入れてもらい、症状は落ち着いていた。
今夜は入院し、明日更に詳しい検査をする事になった。
 マヤが意識を取り戻すまではついていようと思い真澄は帰らずにいた。
 フーッと息を吐くと、ウィングカラーシャツの上で堅苦しく結ばれていた蝶ネクタイを外し、上着を脱いでベスト姿になる。
 エアコンが効いていて少し暑く感じた。オニキスのカフスボタンを取ると、シャツの袖を肘のあたりまで捲り上げた。
 煙草が欲しくなったが、当然のように病室は禁煙だった。ほんの五分ぐらいなら大丈夫かと、上着から煙草を取り出し病室を後にした。
 看護婦に喫煙場所を聞くと、病棟の外廊下を出たところだと説明を受けた。少し遠く感じたが、煙草の為に我慢した。
 上着を病室に置いてきた事を後悔するぐらい外気は冷えていた。捲り上げた袖を戻し喫煙コーナーで煙草を口にした。
 ここが都内とは思えないぐらい辺りは静まり帰っていた。腕時計を見ると午後10時を過ぎた所だ。
 パーティーでシャンパンとワインを何杯か飲んでいたが、アルコールはすっかり抜け、妙に頭が冴えていた。
 不意に「いつもの事ですから」と、マヤが口にしたのを思い出した。常に胃の痛みを抱えていたという事だろう。
真澄が知る限りマヤは健康的な女性に見えたから、意外な一面を見た気がした。それに痛みに対しても我慢強い。
医師の話では出産する時の陣痛と同じ強烈な痛みを訴える患者もいると言っていた。
 男には陣痛の痛みは耐えられないとどこかで聞いた話を思い出した。
マヤは一体いつからそんな強い痛みを抱えていたのだろうか。
 もしかしてタクシーに乗った時から痛かったのかもしれない。だからパーティーを早めに切り上げたと考えれば理屈が通っている。
送って欲しいと真澄に言ったのも痛みがあったからだ。じゃなければ、マヤが一言も喋らないでタクシーに乗っているはずがない。
 どうしてもっと早く気づいてやれなかったのだと、自分の不甲斐なさを思う。
マヤに我慢させていた事に胸が苦しくなる。
 真澄はハァーと煙草の煙を空に向かって吐いた。後ろめたい想いが一瞬体からなくなった気がした。
 夜空を見上げると秋の星座であるオリオン座が見えた。もうすっかり秋の空になったのだと、季節を感じた。
今年は夏の星座を見ていない気がした。夜空を意識的に見上げる事も最近ではなくなっている。
心に余裕のない生活を送っているなと、苦笑が浮んだ。
 休みが取れたら伊豆の別荘に行こうかと思う。いや、軽井沢の方がいいかもしれないと思いなおす。
軽井沢にはもう二年いっていなかった。
 そんなとりとめない事を考えていると手の中の煙草が吸い口の所だけの長さになっていた。
二本目の煙草に手をつけようと思ったが、マヤが気になり急ぎ足で病室に戻った。
 病室に戻ると真澄は自分が青ざめるのを感じた。
ベッドの中が空なのだ。一体マヤはどこにいったのか。
病室を飛び出しナースステーションに行くと五分前にマヤが帰ったと言われた。
 「帰った?」
 看護婦の言葉をそのまま聞き返してしまう。
「はい。仕事があるからどうしても帰らなければいけないと言われまして。
症状も落ち着いていたので、退院ではなく外泊という形で先生も許可を出した訳です」
 真澄は病室に戻ると上着を手に取り、正面ロビーに向かって走る。広い大学病院内から外に出るには十分以上かかるはずだ。
今ならまだ追いつける自信があった。
 階段で三階から一階まで走りぬけ、百メートル以上はある廊下を全速力で駆ける。
これでも学生時代は陸上部にスカウトされる程足は早かった。
廊下をバタバタと革靴が蹴る音が響き渡り、すれ違った警備員が不審な目を真澄に向けるが、真澄は足を止める事なく走った。
 正面玄関横の夜間出入り口から外に出ると、足を止める事なく真澄はタクシースタンドに向かって突っ込んだ。
 タクシーに乗り込む女の影があった。真澄は迷う事なく、女が乗ったタクシーに強引に
乗り込んだ。
「……真澄さん!」
 マヤが驚いたように肩で息をしている真澄を見る。
「……だ、黙って帰るなんて、酷いじゃないか」
 乱れた呼吸の隙間から、文句を口にする。
「だって、真澄さんがいるとは思わなかったから」
「お客さん、どこまでですか」
 苛立ったようにタクシー運転手の声が響く。
「すみません。下北沢まで」
 マヤの弱々しい声が響き、タクシーはそのまま走り出した。



4
 マヤが下北沢に住んでいるのは演劇関係者が集まるという理由からだった。
昼はカフェで、夜は居酒屋で演劇について熱く語る演劇関係者たちの姿を見かけるのもこの街では珍しくない。
 劇団つきかげのメンバーもみんな下北沢に住み、マヤも休日などは麗たちと古着屋めぐりをしたり、小劇場を覗いたりしていた。 
 マヤの住むマンションは七階建てのオートロックだ。紅天女を継承してから、セキュリティのしっかりしたマンションに引っ越していた。
家賃は十五万円で1LDKの間取りだ。
 真澄はマヤの部屋に上がり、整然とした部屋の様子を見つめた。
女の子らしいピンクとか、レースで飾られた部屋とは違い、余計な飾りのない部屋だった。
 リビングには木のテーブルとテレビに、本棚として使われているカラーボックスぐらいしか家具はなかった。
その隣のダイニングキッチンに椅子もテーブルもなく、キッチンワゴンと電子レンジ、隣にはマヤの背丈よりも低い冷蔵庫があった。
 真澄はテーブルの前に座布団を敷いて座っている。マヤは寝室で着替えをしていた。
 何となく勢いだけでついて来てしまったが、この後どうしようと落ち着かない心地になる。
上着の内ポケットをまさぐって、煙草を手にしたが部屋の様子から禁煙である事がわかり煙草を戻した。
「お茶も出さないですみません」
 リビングのドアを開けマヤが入って来る。マヤはドレスからトレーナーとジーパンに着替えていた。
顔だけはくっきりと化粧が残り、ちぐはぐな色気があった。
「いや、おかまいなく」
「いえ、そういう訳にはいきませんから」
 マヤはダイニングの冷蔵庫から200mlサイズのお茶のペットボトルを二本取り出して、
一本を真澄の前に置いた。
「どうぞ」
 テーブルを挟んでマヤが真澄の正面に腰を下ろす。
「ありがとう」
 受け取らない訳にもいかなかったので、真澄は出されたお茶のキャップを開け、口にする。
冷たい緑茶が胃に落ちてスッキリとした。
 マヤもお茶を口にしていた。お互いの様子を窺う妙な沈黙が流れる。
「ところで」
 お茶をテーブルの上に置くと真澄は思い切って疑問をぶつけた。
「胃痙攣の発作は日常的にあるのか」
 マヤの表情が硬くなる。
「はい。紅天女が決まった時から。お医者さんで診てもらったら神経性のものだって言われました。
でも、薬を飲めば治まるので痛んだ時は薬を飲んでいました。今夜は偶々持って来るのを忘れてしまって」
 マヤは気まずそうに真澄を見る。
「本当にすみませんでした。ご迷惑をおかけしました」
 叱られた子供のような顔をして、頭を下げる。真澄はマヤのプレッシャーを知り、喉が塞がる想いがした。
「親父は知ってるのか」
「いえ。英介さんには言ってません。真澄さんからも言わないで下さい。
余計な心配をかけたくありませんから」
「結婚するなら、言った方がいいんじゃないのか」
 一瞬、マヤが悲しそうな顔をする。その表情の意味がわからなくて、険しい顔になる。
「君は本当に親父と結婚するのか」
 今夜桜小路に隠していた事を思い出した。
「もちろん。そのつもりです。ご恩がありますから」
「恩?」
「英介さんは私のあしながおじさんなんです。劇団つきかげが潰れて途方にくれていた私を高校に進学させてくれたんです。
しかも匿名で」
「匿名だったのに、どうしてそれが親父だとわかるんだ」
「月影先生が亡くなった後英介さんに教えてもらったんです。
匿名にしたのは劇団つきかげを追い詰めた手前、受けてはもらえないと思ったからだと言っていました。
英介さんは私の舞台が好きだと言ってくれました。だから一人前の女優として成長して欲しいって想いで私を進学させてくれたそうです」
「何だか矛盾してるな。自分で潰しといて、お気に入りの女優だけは援助するなんて。
君は恨んだりはしなかったのか?」
「いいえ。三年間匿名で無償の援助をしてくれた事を私はありがたく思います。
そのおかげで今の私がいるんですから」
「俺より人間が出来ているんだな」
 真澄が苦笑を浮かべる。
「俺は母と結婚した速水英介に対してそんな感情はもてない。
確かに母と二人で暮らしていた頃よりは、金銭的に豊かな生活を送れるようになったが、魂の牢獄に入れられたままだ」
「実の親子じゃないんですか?」
 マヤが不思議そうな顔をする。
「なんだ。知らなかったのか」
 真澄は笑みを浮かべる。
「俺は母の連れ子だったんだ。実の父は俺が五歳の時に仕事中の事故で亡くなっそうだ。
それで母は俺を連れて速水家で住み込みの家政婦を始めた。俺が十歳になった時、
母は速水英介に見初められ再婚したという訳だ。しかし、親父は母を妻としては扱わず、家政婦の時と
同じようにさせていた。母は親父の機嫌を取る為に家政婦の時以上に必死で働いたよ。
だから、炎の中に飛び込んでまで打ち掛けを取って来たんだ。
母の命が紅天女の打ち掛けよりも軽くみられていたんだ。こんな事絶対に許せない。
俺は親父を恨み、親父が執着する紅天女も憎んだ。ずっと親父に復讐する事だけが生きる目的だった」
 フーッとため息をつき、マヤの方を見て、真澄はギョッとした。
「なんで、泣いてるんだ」
マヤの大きな瞳は涙に潤み、頬には幾筋もの涙が流れていた。
マヤは気まずそうに涙を拭うが、涙は止まらない様子だった。
今度は真澄が不思議そうにマヤを見つめた。
「ごめんなさい」
 マヤの涙と混ざった声が響く。俯き涙を懸命に両手拭う姿に胸が熱くなった。
「ごめんなさい。止まらなくて」
 申し訳なさそうな言葉が真っ直ぐ真澄に伝わってくる。
「真澄さんの話聞いてたら、涙が勝手に……」
 自分の話に泣いてくれるマヤに真澄は心が動く。立ち上がるとマヤの側まで移動して、隣に腰を下ろした。
ぐっと彼女の腕を引き寄せると、マヤが重心を崩し真澄の胸板に転がり落ちた。真澄はマヤの背に腕を回し、強く抱き締めた。
「俺の話を聞いて泣いた人間を初めて見たよ」
 腕の中のマヤを見下ろし、頬に伝う涙を親指で拭い去る。
マヤが何かを言おうと唇を半分開いた時、真澄はその唇にキスをした。
 マヤの体が一瞬強ばるが、抵抗はなかった。真澄は砂漠でオアシスを見つけた旅人が水を飲むように、マヤの唇を貪った。
真澄にされるままのキスにマヤは応え始める。唇に触れる度に熱い想いが重なっていく。
冷静な自分を忘れ、感情のままマヤを欲していた。
 勢いのままキスをしてマヤを床に押し倒した時、理性が戻る。
床に転がったマヤは怯えたように真澄を見上げていた。胸に広がる罪悪感が、熱い想いを消していく。
 真澄はマヤから離れ、背を向けて座った。
「……すまない。今のは弾みで」
 それ以外の言葉が見つからなかった。父親の婚約者に好きだなんて口が裂けても言えない。
背中に咎めるようなマヤの視線を感じて、後ろめたさが広がる。
 マヤは何も言わなかった。立ち上がると、居心地の悪い思いを抱えたまま真澄は部屋を後にした。



5
 マヤの部屋を出た後はバー「ブルーノート」に来ていた。
カウンター席でいつものウィスキーを口にしても、後味の悪い想いは残っていた。
 BGMに流れる軽快な曲調のジャズが重たく胸に響いて、ため息を落とす。
 どうしてあんな事をしてしまったのかと、触れた唇を思い出した。
自分でも思いがけない行動だった。一体何がそうさせたのかわからかない。
マヤの泣き顔を見たら抑えていた気持ちが崩れたのだ。
「冴えない顔だな」
 顔を上げるとバーカウンター越しに三浦が立っていた。
「オンザロックで」
 真澄は空のウィスキーグラスを三浦に渡す。
「かしこまりました」
 三浦はグラスを受け取ると、手早く丸い氷をグラスに落としウィスキーを注いだ。
「それで」と、三浦がマドラーで氷とウィスキーを軽く混ぜながら
「今夜は何があった?」と真澄を見る。
 真澄はウィスキーグラスを受け取ると、またため息をついた。
「話したくない」
「聞いて欲しそうな顔してるぞ」
「そんな事はない」
「北島マヤと何かあったのか?」
 図星過ぎる言葉に真澄は眉を上げる。
「彼女を押し倒したか?」
 三浦の言葉にウィスキーグラスを倒しそうになった。
「図星か」
 三浦が笑う。
「これ以上聞かないでくれ。自分でも後悔してるんだ」
「いつも強引な速水が後悔なんて言葉知ってるとは思わなかった」
「俺はそこまで自信家じゃない」
 真澄はウィスキーを口にした。
「特に女性に対してはどうしたらいいかわからない」
「それは違うな。北島マヤに対しては、だろ?お前が他の女にそこまで戸惑ったのを見た事はない」
 言われてみてそうかもしれないと、真澄は思う。
今まで付き合った女性はそこまで真澄の心には入って来なかった。
「彼女、今夜倒れたんだ。それで病院に連れて行ったら胃痙攣だと診断された。
今夜は入院が必要だと言われたが、あっさりいなくなった。本当に女優っていうのは気まぐれだ」
 真澄は苦笑を浮かべる。
「慌てて追いかけてタクシーに乗るところで捕まえて強引に家まで送った。
心配だったから部屋まで行ったよ。彼女にあがっていけと言われたから、上がらせてもらった。
彼女の部屋は上京したばかりの学生みたいに物がなくて、素っ気無かった。紅天女女優とは思えないぐらいなんだ」
 鮮明にマやの部屋が頭の中に浮んでいた。
本棚として使っていた3段のカラーボックスにはぎっしりと芝居の台本が並んでいた。
台本を開くとそこには赤線や、マヤの解釈が細かく書かれていた。
 女優北島マヤは一度で台本の全てを覚えてしまうと聞いていたので、
マヤの台本がかなり使い込まれた状態だったのは意外だった。
人には見せないマヤの努力の跡を見た気がして、更に想いが募った。
「彼女、今夜みたいな胃痙攣を度々起していたみたいなんだ」
 紅天女を継承してから痛むようになった胃は大きな重圧のせいだと理解できた。
でも、日常の彼女からはそんな事を感じさせない。
 今夜は思いがけない彼女の姿を沢山見すぎた。だから、想いに歯止めが効かなくなったのか。
「か弱い彼女の一面を見て、それでつい押し倒したのか」
 三浦が皮肉めいた笑いを浮べる。
「そんなにハッキリ言うな。自分でも落ち込んでるんだ。彼女に思いっきり拒絶されたよ」
「それでしっぽ巻いて逃げて来たという訳か。本当に速水真澄らしくないな。
拒絶されても欲しい物は掴む奴だと思っていたよ」
「そんな事できる訳ないだろう!彼女は親父と結婚するんだ」
「結婚は認めないんじゃないのか?」
「もちろん、認めない。だが、それでも親父と彼女が望めば結婚できるだろう」
「北島マヤを誘惑するんじゃなかったのか?」
「無理だ。俺の方が誘惑される」
「随分と弱気だな」
「もう彼女とは関わりたくないんだ」
 今度マやと2人きりになったら、どんなバカな事をしてしまうか、自分でもわからなかった。
 真澄はウィスキーグラスを空にすると、店を出た。



6
 もう北島マヤとは個人的に会わないと決めてから一週間経たない内にその決意は
崩された。
 ある日の朝食の席で真澄は英介にマヤと軽井沢の別荘に行って欲しいと頼まれたのだ。
「マやが軽井沢の別荘を見たいと言い出してな。しかし、わしは明日から用があって連れて行く事が出来ない。
マヤは一人でもいいと言うのだが、それもまた心配でな。
真澄、お前今週末は休みを取っているんだろう?お前の秘書がそう言ってたよ」
 週末は珍しく休みを取っていた。この所忙しくしてたので、久しぶりに伊豆の別荘でのんびり過ごそうと思っていたのだ。
「それで僕に彼女の相手をしろと?」
「そういう事だ」
 英介の頼みを断れるはずもなく、真澄は渋々了解した。
しかし、一体どんな顔をしてマヤに会えばいいのか。週末が近づくにつれて、
仕事に身が入らなくなった。
 秘書の水城にも「しっかりして下さい」と言われる始末だ。
本当に随分と情けない男になったものだと自分でも思う。たかが色恋に心を煩わされている。
仕事至上主義の真澄にとってそんな人間は一番軽蔑されるべきだった。
軽蔑されるべき人間に成り下がった事で、更に落ち込んだ。
 そして、ついに来た週末。真澄は目覚ましが鳴る前に起きた。
真澄は彼女のマンションに迎えに行く事になっていた。
クローゼットを開けるとジーパンに焦げ茶色の薄手のセーターを手にする。少しカジュアル過ぎるかと思うが、
休日までスーツは着たくなかった。でも、彼女がどう思うか。
そんな事を気にするとやっぱりスーツの方がいいかと、仕立てたばかりのスーツに手が伸びた。
 この間の事もある。彼女とは仕事上の付き合いしかしないと決めたのだから、スーツが妥当だと思えた。
 真澄はチャコールグレーのスーツを品よく着ると、旅行鞄を持って部屋を出た。

 午後7時丁度に黒のBMWで下北沢のマヤのマンションまで行くと、マンションの正面玄関前にマヤがいた。
「おはようございます」と、助手席に乗ったマヤが眩しく見えた。
 今日の彼女はミディアム丈のベージュ色のダッフルコートにジーンズ姿だ。
髪は下ろしていて肩の上に乗っていた。
「何かすみません。お休みだったんでしょう?英介さんが強引に真澄さんに頼み込んだみたいで」
 薄化粧をした顔で真澄の方に視線を向ける。この間の事を少しも警戒している様子がなかった。
「君こそ俺で良かったのか?俺と2人きりで気まずくないのか?」
 真澄は車を発進させながら、口にした。
「どうして?」
「どうしてって、俺は君を……」
 そこから先の言葉を口にするのが恐かった。彼女がこの間の事をどう感じているのか
全くわらかない。
「何でもない」
 それきり真澄は黙ったままハンドルを握った。マヤからも話しかけてくる事はない。
 気持ちのいい青空が広がっていた。
 マヤは窓の外に視線を向け景色を楽しんでいた。カーステレオから流れるジャズが二人の沈黙を埋めていた。
それはドライブの時にいつも真澄が聴くものだ。
「これって、ジャズですよね」
 高速に乗って一時間が過ぎた頃、マヤが口にした。
 ジョン・コルトレーンのサックスが軽快にブルートレインを奏でている。
「ああ」
「真澄さん、ジャズ好きなんですか?」
 無邪気な質問に笑みが浮ぶ。
「まあな」
 彼女に聞かれた事が嬉しかったのに、真澄は無愛想に答えた。
「私も最近聴いてます。この間初めてジャズクラブにも行きました。
面白いですね。決められた旋律を崩してプレイヤー同士がセッションをするのって。
ちょっとお芝居に似ている気がします」
「そうだな」
「今流れている曲のサックス、カッコイイですね」
「ジョン・コルトレーンだからな」
「じょん・こるとれーん?」
「二十世紀最高のジャズの名サックスプレイヤーだ。彼は下積み時代が長く、
その上四十歳で亡くなったから、第一線で活躍していたのはほんの十年だったんだ。
でも、たった十年でも彼は人々に語られる存在になった。俺はそこが凄いと思っている。
十年で伝説になるような仕事をしたんだからな。俺が死ぬまで働いても語り継がれるような仕事は出来ないだろう」
「そんな事ないです。真澄さんは会社を残せます」
「会社は親父のものだ。俺が起業した訳じゃない。俺の役目は安定した会社経営をして、次の世代に渡すだけだ」 
 真澄は苦笑を浮かべる。つくづくつまらない生き方だと思う。
「君がうらやましいよ。舞台の上で輝けるんだから。間違いなく君は女優として人々に語り継がれる存在になるだろう」
「私なんて全然ダメ。月影先生みたいにはなれません。本当言うと今、自信がちょっとないんです。
念願の紅天女になれたけど、演じていて本当にこれでいいのかって思います。
先生が生きていたら、何て言うかって考えると叱られそうで恐いぐらい」
 マヤは小さくため息をついた。横目で見ると少し落ち込んでいるように見えた。
「俺は月影千草の紅天女を見た事はないけど、君の紅天女を見て感動した。
舞台を忘れさせるぐらい引き込まれた。あんなに凄い舞台を見たのは初めてだったよ。
俺の中で君は語り継がれるべき最高の女優だ」
 マヤは驚きを浮かべて真澄をじっと見つめた。その視線が何だか照れくさい。
「もうすぐで着くぞ。ほら、浅間山が見えた」
 真澄は急いで話題を変えた。マヤは小さく笑うと「あれが浅間山なんですか」と、
さっきまでとは変わらないトーンで話し始めた。



7
 11月の別荘地は葉を落としたカラマツの木々で囲まれていた。
 速水家の別荘は高台にあり、街を見下ろす事が出来た。千坪の敷地にイギリス風の洋館が建っている。
門から屋敷までのアプローチはカラマツの木々で覆われていた。
 屋敷の前にBMWを停め、真澄は車を降りた。東京よりも冷たいツンとした外気が肌を刺した。
スーツの上にトレンチコートを羽織っていたが、防寒するには薄い。冬用のコートを持ってくれば良かったと真澄はすぐに思う。
「いらっしゃいませ」
 車の気配に気づいて、別荘番をしている山下夫妻が屋敷から出てくる。
「世話になるよ」
 真澄はマヤと自分の旅行鞄を山下夫妻に渡した。
「お世話になります」
 真澄に続きマヤが挨拶する。山下夫妻はにっこりと温かみのある笑顔を浮べていた。
 屋敷に入るとすぐにマヤが山下夫人に連れられ、客室に案内される。
マヤの客室は二階で、真澄の使う部屋は一階にしてもらっていた。なるべくマヤと顔を合わせないように真澄が指示したものだった。
 真澄も一階の客室にコートと旅行鞄を置いてから、リビングに行った。
二十畳のリビングには暖炉があった。真澄は暖炉の一番近くのソファに腰を下ろした。
 元喫茶店のオーナーをしていた山下がコーヒーを持って真澄の前に現われる。
豊かな香りが鼻をかすめた。軽井沢の別荘に来るといつも山下の淹れるコーヒーが楽しみだった。
真澄はコーヒーカップを持つと味わうように口にした。美味しさに思わず表情が緩む。三時間の運転疲れも和らぐ味だった。
「おじさんのコーヒーを飲むと疲れが吹き飛ぶよ」
「ありがとうございます。真澄様にそう言ってもらえて嬉しいです」
「それにしても、こっちはやっぱり寒いね。久しぶりだったから油断したよ。セーターの一枚でも持ってくれば良かった」
「急に冷え込んだんですよ。ニ、三日前まではまだ暖かかったんですけどね。
セーターなら真澄様が二年前の冬に置いていったものがありますよ。お部屋のクローゼットに仕舞っておきました」
「ありがとう。助かるよ」
「お食事はどうなさいますか?」
「昼は軽いものでいいよ。何だか疲れてね。あまり食欲はない。夜は外で食べるから。
明日の朝食の材料だけ用意してくれれば大丈夫だ」
「でしたら、そばはどうですか?さっきそばを打ったんですよ」
「いいね。温かいので食べたい」
「かしこまりました」
 山下は足取り軽くキッチンに向かった。真澄はコーヒーカップを置くと暖炉の火を見つめた。
火を見るといつも炎の中打ち掛けを取りにいった母を思い出す。そんな母を止める事が出来なかった
自分の無力さを思う。自分にもう少し力があれば、母を炎の中飛び込ませる事はなかったかもしれないと、
大人になってから思うようになった。
 速水英介を超える力が欲しいと思う気持ちは少しも揺らがない。英介への恨みだけでここまで生きて来たと実感する。
 しかし、北島マヤと出会ってそんな生き方が下らなく見えた。舞台に情熱を燃やすマヤを見ていると、力強い命の輝きを感じる。
人を恨んで生きていた真澄とは違い、マヤは神々しい存在に思えた。真っ直ぐな情熱を羨ましく思う。
 もしかしたら、マヤに惹かれるのは自分にないものを持っているからかもしれない。
舞台の上のマヤに恋焦がれるのはマヤに対して憧れを持っているからなのか。それとも本当に愛してしまったからなのか。
 そこまで考えて、真澄は思考を止めた。リビングにニットワンピース姿のマヤが入って来たからだ。
足元はジーンズではなく黒いストッキングを履いていた。
 スラリとした細い足が目に入り、ドキッとした。
「真澄さん、隣いいですか?」
遠慮がちな視線をマヤが向けて来た。
「どうぞ」
 真澄の返事にマヤは隣に座った。フワッと甘い匂いが香った。
「思った通り、素敵な所ですね。真澄さんもよく利用するんですか」
「いや、俺はあまり来ない。ここは親父の方が来るんじゃないかな」
「どうして?」
「寒いのが苦手だから」
 真澄の答えにマヤがクスッと笑う。
「真澄さんでも苦手なものがあるんですね」
「俺は無敵じゃないぞ」
「私から見たら大都芸能の社長さんは何でも持っているように見えるんです。
それに、いつも完璧な仕事をして、全く隙がないって英介さんが言ってたから」
 恨んでいる相手からの高い評価は後ろめたい気持ちにさせた。
「後、隙がなさ過ぎてつまらない奴だって」
 マヤは口にしてから、失言だった事に気づき、小さな声で「ごめんなさい」と付け加えた。
バツの悪そうなマヤの顔が何だか可笑しくて、真澄は笑った。
「謝らなくていい。本当の事だから」
「そんな事ないです。真澄さんは優しくて、いろんな事知ってて、ずっと一緒にいたいって思える人です」
 マヤの言葉に耳が熱くなった。好意的に自分の事を見てくれている事が、胸をざわつかせた。
 マヤの肩に手を触れようと手を伸ばした所で山下が現われた。
「真澄様、昼食の鴨南蛮そばのご用意が出来ました」
「今行く」
 真澄は伸ばした手を引っ込めて、マヤとともに隣のダイニングに向かった。



8
 夜、食事からマヤとともに別荘に戻ると、山下夫妻が引き揚げていった。
別荘には真澄とマヤの2人きりになる。
 しかし、何も気に病む事はないと、真澄は自分に言い聞かせた。
マヤは少し酔いを覚ましてくると自分の客室に戻り、真澄はリビングに一人だ。
真澄は自分でコーヒーを淹れ、暖炉側のソファに座って今夜の事を思い返した。
 夕食は老舗の万平ホテルでフレンチを食べた。真澄は聞き役となり、
マヤの話を聞いていた。ワインを2人で一本空け気分は良かった。他愛もない軽い冗談を何度か口にした。
マヤは涙を浮かべて笑っていた。あんなに生き生きと楽しそうな表情を浮べたマヤを初めて見る。
自分との時間を楽しんでくれているがわかって心から嬉しかった。帰りのタクシーの中では酔いが回ったのか、
マヤの方から手をつないで来た。
酔うと甘え癖がある事がわかった。真澄はマヤのしたいように手を差し出した。
マヤが絡めてくる指にくすぐったさと、甘い気持ちを感じていた。
 英介とマヤが結婚する身だとわかっていても、ずっとマヤと一緒にいたいと思った。
昨日よりもマヤを好きになっていた。しかし、許される恋ではない。
もし英介にこの気持ちを知られたら、どんな仕打ちに合うかわからない。
口が裂けてもマヤが欲しいと言える立場ではなかった。
「俺は何を考えてるんだ」
 自分の思考にハッとした。真澄はバカバカしい考えを消すようにコーヒーカップを口にした。
その時、キャャャャ!という女の声が響いた。
 広い屋敷を包む程の通る声はマヤしかいない。真澄は駆け足でリビングから飛び出し、階段を上った。
突き当たりの部屋まで走って、ドアをノックする事も忘れ、部屋に踏み込んだ。ダブルベッドとソファだけが視界に入った。
マヤの姿はない。バスルームのドアを無遠慮に開けると脱衣所で尻餅をついているマヤがいた。
「どうした?」
 真澄が近寄ると、マヤはスッと指を壁に向けた。
「あそこに、あれが」
 マヤの声は恐怖に震えていた。真澄は指先を追って壁を見た。
するとそこには確かに黒い物体がいた。
「ゴキブリか」
「うん」
「仕方ないな」
 真澄は履いていたスリッパを手に取ると、狙いを定める。
次の瞬間、パンっ!と壁を叩く音がした。亡骸になった黒い塊が壁から落ちる。
真澄はそれをティッシュにくるんでゴミ箱に捨てた。
「これでもう大丈夫だ」と、マヤを改めて見た。すると、マヤがバスタオル一枚を巻いただけの姿だった事に気づいた。
今度は真澄が悲鳴を上げそうになる。
「ごめん」
 慌てて、脱衣所から出た。
「行かないで」
 ドア越しにマヤの不安そうな声が響いた。
「側にいて下さい。こんなに広い部屋に一人でいて、急に心細くなって」
 マヤの客室はリビングと同じ広さがあり、ホテルのスイートルームのようだった。
「お願い」
 しがみつくような声に、嫌だとは言えない。
「わかった。ここにいる。だからちゃんと服を着て出ておいで」
 真澄はあるだけの理性を振り絞って、マヤといる事を決めた。
「はい」
 嬉しそうなマヤの声が聞こえ、すぐにバスローブ姿のマヤがドアから出て来た。
頭にはタオルを巻いている。
「服を着ろと言っただろ。それに髪の毛も早く乾かせ。風邪ひくぞ」
「じゃあ、真澄さんがやって」
 ワインがまだ残っているのか、マヤが甘えてくる。
「酔ってるな」
「えへっ」
「仕方ないな」
 真澄はマヤを連れて脱衣所に戻ると、洗面化粧台の前に立たせタオルを解いた。
黒髪がふわっと肩に落ちた瞬間、甘いシャンプーの香りに包まれた。右手でドライヤーを持ち、
左手はマヤの髪に触れる。壊れ物を扱うように丁寧に指の間にマヤの髪を挟んで、熱風をかけた。
緊張で指が何度も震えそうになる。
 真澄の前に立つマヤはより華奢に見えて、抱き締めたくなる。
抑えていた熱い気持ちが喉の奥まで上がって来て、どうかしてしまいそうだった。
何度も何度も皮膚を突き破りそうな気持ちを押さえ込んだ。
「真澄さん?」
 心配そうなマヤの声が響いた時、鏡越しのマヤと視線が合った。
その瞬間、手にしていたドライヤーが床に落ちる。それを合図のようにして真澄はマヤを抱き締めた。
腕の中のマヤが怯えたような顔をする。それでも真澄はマヤの唇を奪った。
そして、そのままベッドに沈んだ。



9
 朝が来て真澄は裸の白い小さな背中を見つけた。
それは真澄に背を向けて眠るマヤの姿だった。
 昨夜の事が夢ではない事を知ると、真澄はその背中を抱き締めた。
柔らかく吸い付くような肌の感触が胸を熱くした。マヤの顔を覗き込むとまだ
穏やかな顔をして眠っていた。
 その寝顔さえも愛しく思えた。真澄はイタズラするように頬にキスをした。
 すると、ゆっくりと瞼が開いた。大きな瞳が真澄を捕らえる。
「……私」
 マヤが自信のない声を浮べた。
「昨夜は、あの……」
 だんだんマヤの瞳が困惑の色に染まっていく。
真澄は彼女を安心させるように小さく笑った。
「決していい加減な気持ちで君を抱いたんじゃない。それだけは信じて欲しい」
 真澄の言葉を聞いてマヤが微笑む。
「私も、いい加減な気持ちで抱かれたんじゃない」
 真っ直ぐな瞳が真澄を貫く。
「初めて会った日から、真澄さんに惹かれていた。英介さんの息子だってわかっていたけど、私は真澄さんの事が……」
 思いもよらない言葉に体が熱くなる。真澄はマヤを強く抱き締めた。





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【後書き&言い訳】
お付き合い頂きありがとうございます。
最初は前編後編の二話構成で話しを考えていたのですが、
収まらなくなりました。という事でちょっと長くなります。

最後までお付き合い頂けると嬉しいです。

2014.11.24
Cat





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