―――  マスク 3 ――― 





 窓の外に青白い三日月が浮かんでいた。
その月を見た時、マヤはミゾオチの辺りに重たいものを抱えている自分に気づいた。
秘書4日目は嵐のような一日だった。速水の社長辞職のニュースに大都芸能は揺れていた。
「はぁ」
ため息が自然とこぼれる。
結局今日は速水に会う事はなかった。
速水の姿を見たのは記者会見でのテレビ映像だけだ。
速水は沈痛な表情で鷹通グループとの業務提携が破綻した事、
鷹宮紫織と婚約を解消した事を口にした。
記者からは何があったのか、聞かれたが速水は「全ては身から出たサビ」だと答えるだけだった。
ハッキリとした真相はわからないまま、会見は強引に終わった。
 マヤは机の引き出しから鞄を取り出すと、席から立ち上がった。
秘書課にはもう誰もいない。
「お疲れ様でした」と、誰もいない秘書室に声を掛けるとマヤは部屋を出た。
そして、社長室の方に足を向ける。
誰もいない事はわかっていたが、速水の気配を少しでも感じたかった。
 社長室の前に立つと秘書課から持ち出した社長室の鍵を使った。
鍵穴に鍵を差し込んだ時、少しだけ罪悪感があった。
「ごめんなさい」と、マヤは鍵を開け、中に入った。
部屋の中は薄暗く見えた。マヤは何の考えなしに、部屋の照明をつけようと壁のスイッチを探った。
すると次の瞬間、誰かに突き飛ばされた。
「きゃっ」
マヤの体が廊下の方に吹っ飛んだ。
そして、廊下を掛ける足音がした。
マヤは起き上がると、反射的にぶつかって来た人物を追いかける。
エレベーターの中に消える長身の背中が見える。
「近藤さん!」とマヤが咄嗟にその人物の名を口にすると、扉が閉まるタイミングでゆっくりと近藤がマヤの方を振り返った。
そして、そのままエレベーターは下へと向かった。
マヤはすぐに隣のエレベーターに乗り込むと、一階のボタンを押した。
何の根拠がある訳ではないが、近藤はビルから出る気がした。
一階に下りると、マヤは全速力で正面玄関に向かって走った。
外に出ると近藤の姿を探した。
すると、一台のバイクが地下の駐車場から出て来るのが見えた。
マヤは咄嗟にバイクの前に飛び出した。


キィィィィィ!

ブレーキの音がした。マヤは目を閉じる。
「このバカ娘!危ないじゃない!」
怒鳴り声に目を開けると、フルフェイスのヘルメットを被った男がバイクに跨った状態で
マヤを睨んでいた。
「やっぱり近藤さんね」
聞き覚えのあるオネエ言葉にマヤは確信を持った。
「そこをどきなさい」
「いやです」
「どきなさい!」
威嚇するように近藤がハンドルを回す。ブルンというバイクの低い音が響いた。
しかし、マヤは眉一つ動かさないで、近藤を睨む。
「どうして社長室にいたんですか?何をしていたんですか?」
「あんたには関係ないわ」
「関係あります!私は社長秘書です!」
マヤの大声に通りにいた人たちが不審そうに二人を見た。
舞台で鍛えてあるだけあって、マヤの声は一キロ先にも聞えるんじゃないかと思う程、デカイ。
「しょうがない子ね。乗りなさい」
周囲の目を気にして、近藤が言う。
マヤはバイクに跨る。
「しっかり捕まってなさい。飛ばすわよ」
マヤはギュッと近藤のお腹に腕を回した。そしてバイクが走り出した。





 バイクはマヤが思ったよりも遠くには行かなかった。
近藤がバイクをビルの前に停めた。そのビルには高級クラブが何軒も入っている。
マヤはバイクから降りると近藤に借りた銀色のヘルメットを取る。近藤はその横で
フルフェイスのヘルメットを脱いだ。
「ちょっとここで待ってなさい。あなたは来ちゃダメよ」
「どうしてですか?」
「子供が来るような所じゃないのよ」
「子供って。私はもう大人です」
マヤが膨れると近藤は笑う。
「大人はそんな事で怒らないのよ。いい子だから待ってて。
用事が終わればあなたに付き合うから」
マヤは渋々エレベーターに消える近藤を見送った。
階数の表示を目で追うと六階で止まったのがわかる。
待ってろと言われたが、近藤が何をしに行くのか気になった。
そもそも社長室で一体何をしていたのか、それさえもまだ聞いていない。
もしかしたら、大都芸能を売る産業スパイで、機密情報を誰かに渡しに行ったのかもしれない。
などと、マヤの頭が考えを巡らす。
たった一週間とは言え、今は大都芸能で社長秘書をしているマヤには黙って見ている事は出来ない。
マヤは近藤が行ってから5分も経たない内にエレベーターのボタンを押していた。
焦る気持ちを抱えながら、待っているとエレベーターの扉が開いた。
「あっ」
中にいた人物を見てマヤの動作は止まる。
長身のスーツの男は数名のホステスを引き連れてエレベーターから降りて来た。
「あの、社長、速水社長」
マヤの声に彼は視線を向けると、おやっという顔を浮かべた。
「あぁ。君は秘書課の」
「真山です」
「そうそう。真山君だ」
速水は上機嫌に笑う。
「こんな所で会うとは奇遇だね。よし、付き合いなさい」
と、速水はマヤの言葉も聞かないまま、彼女の手を取るとスタスタと歩き出した。
「じゃあ、ママ。また今度」着物姿の女性にそう言うと速水はマヤを連れてタクシーに乗り込んだ。
「速水さん、お待ちしています」
ママは品のいい笑顔を浮かべ頭を下げた。タクシーが走り出す。
マヤは後部座席に速水と並んで座っていた。
アルコールの香りが速水から漂っていた。
「あの、どこに行くんですか?」
マヤの問いに速水が「いい所」と笑う。
昨日いきなりキスをされた件もあり、マヤは不審な目で速水を見た。
「そんなに警戒するな。別に君を取って食おうなんて思っていない」
「そんな言葉信じられません」
「どうしてだ?」
「だって、昨日」と言いかけマヤはその時の事を思い出してカァーと顔が熱くなる。
「何だ?」
速水の問いにマヤはうつむいたまま答えられなかった。
「何でもないです」
それから沈黙が続いた。
ちらりと速水の方に視線を向けると彼は窓の外を眺めていた。
それも凄く寂しそうに。
さっきまで陽気に話をしていた速水とは別人のような気がした。
彼は陽気なふりをしているだけなのかもしれないとマヤは思う。
一体、速水に何があったのか聞いてみたいと思うが、その事を口にする勇気はなかった。
「運転手さん、ここでいいです」
速水が口を開くとタクシーは路肩に寄った。
速水は上着から札入れを取り出すと千円札で払い、釣りは受け取らなかった。
「ありがとうございました」とタクシーの運転手に送り出された二人は歩道におりた。
「少し歩きたくね」
午後11時、昼間よりも人通りが少なくなった通りを速水が歩き出した。
マヤもその後を追うように歩き出す。街灯に照らされた歩道は明るかったので、不安はなかった。
しかし、駅前の通りから段々と人の気のない方に速水が歩いている気がした。
速水は黙ったままで、何だか恐かった。このままついて行って、速水にどうかされてしまうかもしれないと、
イヤらしい想像が一瞬マヤの頭の中に浮かんだ。
「やだ。私ったら、何考えてるの」とマヤは軽く頭を振る。
「着いたぞ」
速水が立ち止まる。白いビルの前だった。
「良かった。まだ最終上映に間に合う」と、速水は腕時計を見た。
「ここは?」
「大都芸能の社員のくせにこの場所を知らないのか?」
速水が意地悪く言う。マヤはムッとした。
「ははは。君はやっぱり正直な人だな」
速水が可笑しそうに笑う。
「社長、私はおもちゃじゃないんですよ。からかうのはやめて下さい」
マヤはぷぅっと膨れた顔をする。
「もう俺は社長じゃないよ」
「えっ」
「さあ、行こう。プラネタリウムの上映が始まるよ」
速水はマヤの手を取るとビルの中に向かって歩き出した。
 その建物は大都芸能が所有するビルだった。そこに一年前、速水がプラネタリウムをオープンさせたのだ。
最終上映は午後11時半と遅めに設定されている事で、昼間とは違う客層が狙え黒字を出し続けていた。
 マヤは速水と一緒に席についた。客席は八割が埋まっている。
「座席をリクライニングさせるといい。左下にレバーがあるから」
速水に言われ、マヤは手探りにレバーを見つけるが、中々見つからない。
「あれ、どこ?」
「不器用な人だね」
クスクスと速水は笑うとマヤに覆いかぶさるような姿勢で、マヤのレバーを倒した。
座席が倒れ、至近距離で速水と視線が合う。
昨夜のキスを思い出し、顔が熱くなった。
しかし、館内は暗くなっていたので、マヤのそうした変化に速水は気づかない。
何事もなかったように速水は自分の席に戻り、天井を見つめた。
場内に音楽が流れる。それは耳障りのよいクラッシックだ。
星がドーム型の天井いっぱいに投影された。マヤはワァーと声を上げる。
「最新の投影機だ。よく見えるぞ」
速水は自慢気に口にする。
夏の星座のナレーションにマヤは耳を傾けながら、また二度目だと口に出しそうになり、口を閉じた。
速水に視線を向けると、子供のように表情を崩して嬉しそうに星を眺めていた。
本当に好きなんだなと感じた。
45分間の投影時間はあっという間に過ぎた。
プラネタリウムから出るとお腹がすいてないかと聞かれた。
午後6時におにぎりを一つ食べたきりだったので、すいていると言えばすいていた。
「寿司でも食べに行くか。この近くに美味い寿司屋があるんだ」
速水が歩き出す。その後をマヤは慌ててついて行こうとして、ハッとした。
マスクが溶けかけている。もう十二時間以上マスクを装着していた。
予備のマスクも今は持っていなかった。
「あの、社長。私はそろそろ行かないと。終電もありますから」
マヤは速水に自分の顔が見られない位置で話しかけた。
「そうか。じゃあ、駅まで送ろう」
「い、いえ。一人で大丈夫です」
「いや、心配だから送らせてくれ」
「いいえ。大丈夫です」
「しかし」
「あの、本当に大丈夫なんで。じゃあ、お疲れ様でした」
マヤは逃げるように駆けて行くとエレベーターに飛び込んだ。扉がすぐ閉じた。
一階に降りて、正面玄関まで出て行くと激しく雨が降っているのがわかった。傘は持っていない。
どうしうようか悩む。タクシーを呼ぼうかと思ったがビルの前で待っていたら、
速水とまた会ってしまう。マスクの溶けかけた顔で速水に会う訳にはいかなかった。
だったら、一層の事マスクを取って、素顔でだったら速水に会えるだろうかと思う。
「ダメよ。こんな所に私がいる理由がないし、服でバレる」
マヤはハァーとため息をついた。
「最後の手段は雨の中を強行突破か」
そう口にした所で背後のエレベーターがチンと音を立てた。
まずい。速水が降りて来る。マヤは咄嗟に柱の影に隠れた。
思った通り、エレベーターから速水が出て来た。
革靴がコツコツと音を立てて、ビルの玄関の前で立ち止まる。
速水は突然の雨に「あっ」と小さく声を上げた。上着の内ポケットから携帯電話を取り出し、どこかに電話した。
しかし、何も話す事なく、携帯電話をポケットに仕舞うと、速水はビルの玄関を出た。
マヤは驚き、速水の後ろ姿を目で追う。
雨の中をゆっくりとした足取りで速水は歩き進む。チャコールグレーのスーツが雨に染まっていた。
その姿が痛ましく見え、マヤの胸に突き刺さる。
マヤは傘たての中にあったビニール傘を持って速水の方へと駆け出した。
もう余計な事はどうでもいい。雨の中を一人、速水を歩かせるのが嫌だった。
どしゃ降りの雨の中ビニール傘一本さしてマヤは速水に追いつくと速水の腕を取った。
速水はマヤの方を向くと驚いたように目を見開いた。
「社長、濡れます」
マヤは速水を傘の中に入れた。
外灯にマヤの顔が白く照らされた時、速水は黒ぶち眼鏡の下の顔をじっと見つめた。
「マヤ」
声に驚きが含まれる。
速水はマヤの両腕を掴むと、力強く引き寄せた。
マヤの手の中にあった傘が落ちる。
二人の体は雨の中で強く重なっていた。



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