―――  美  幸(みゆき)  ――― 


ニ章

5 誕生日プレゼントを埋めました。




 十月二日。大安吉日。朝から真由美を祝福するように晴れていた。
私は真由美から友人代表のスピーチを頼まれていた。場所は海浜幕張にあるホテルだ。
午前十時から挙式が始まる。私はシフォン素材のピンク色のドレスを着て、肩まである髪はアップにした。
友達の結婚式に出席するのは初めてだった。ロビーで予備校で一緒だった金髪女子高生軍団と再会する。
みんなもう当然のように金髪ではない。その中の一人杏子は結婚していた。
結婚式は親族だけで行ったので、みんなを呼べなかった事を詫びていた。
みんな大検を取って専門学校に行ったり、大学に行ったりして、今、仕事を持っていた。
「赤ジャージの美和子が一番変わったんじゃないの」
杏子がそう言うとみんなが笑う。
「何か綺麗になったね。彼氏でも出来た?」
恵子が言う。
「本当、別人みたい。痩せたでしょ」
美久が言う。
「今度美和子の彼氏紹介してよ」
美里が言う。
私が言葉を挟む間もなく、ポンポンと会話が進んでいく。
本当、予備校時代に戻ったみたいだ。
「あっ、北川先生!」
杏子が私の後ろに視線を向けた。ドキッとした。
「やあ、みんな、久しぶり」
幸ちゃんの声がした。私の隣に彼が立つ。
「先生また静岡に飛ばされちゃったの」
恵子が言う。
「えっ、先生今静岡なの?」
美久が言う。
「そう。今日は静岡から出て来たよ。だから今夜はこのホテルに一泊させてもうらうんだ。
さすがに日帰りはしたくないからね」
幸ちゃんがちらりと私の方を見る。
私はその視線を避けるように美里の方を向く。
「そういえば、美和子、予備校生の時北川先生のこと好きだったんだよね?」
美里が思い出したように口にする。
「えっ、何言ってるの。そんな事ないよ。好きな訳ないじゃない。
みんなが勝手に盛り上げただけだよ」
私は力いっぱい否定した。隣の幸ちゃんがうっと眉を上げるのがわかる。
「そういえば先生今彼女いるの?」
杏子が興味深そうに聞く。
「えっ」
幸ちゃんが困ったように一瞬黙る。
「それは内緒」
幸ちゃんが茶化す。
「怪しい、今の間。絶対先生彼女いるでしょ!」
美久が言う。
「ちょっとみんな、そんなに問い詰めたら先生が可哀想だよ。
先生にだって言いたくない事あるんだから、ねぇ、先生」
私は初めて正面から幸ちゃんを見た。
フォーマルスーツを着た彼は最後に会った時よりも少し痩せた気がした。
「うん」
幸ちゃんが私の方を見る。
視線が重なった瞬間、私は手が震える程の熱い想いを感じる。
「私、ちょっとお手洗い」
もうこれ以上幸ちゃんの側にいたら泣き出してしまいそうだ。
私は逃げるようにその場から立ち去った。
胸がドキドキしていた。
「美和子」
声がした。振り返ると幸ちゃんが立っていた。
ロビーから外れたこの場所は周りに人がいない。
私たちは二人きりだ。私は彼を無視して歩き出す。
「待って」
彼が私の腕を掴む。
あっという間に引き寄せられて、彼の腕の中に閉じ込められた。
「どうして俺を避けるんだ。今でも美和子の事を愛している。
結婚したいと言った気持ちに偽りはない。
千葉に戻って来たら結婚しよう。その時はもうどこにもいかない」
幸ちゃんの瞳が私を捕らえる。金縛りに合ったように動けない。
そして、唇に唇が重なりそうになる。
私は右手に力を込めて幸ちゃんの頬を叩いた。
幸ちゃんが驚いたように私を見る。
「キスすれば私が許すと思った?私はそんな簡単な女じゃないわ。
それに避けているのは幸ちゃんでしょ?電話一つよこさないで、
どれだけ私が幸ちゃんからの電話待っていたと思ったの?」
私は彼を睨み上げる。
「それは、美和子が怒っているのがわかったから、顔の見えない距離で下手な事言って、
ケンカになるのがイヤだったんだ」
「そう思うなら私を静岡に連れて行ってよ。私をちゃんと側においてよ」
「それで美和子は本当にいいのか?一年もかけて見つけた仕事だろ?」
幸ちゃんが正面から私を見る。
「中々求人がないって言っていたじゃないか。
大検取って短大に行って頑張って取った図書館司書の資格だろ?
美和子が頑張って手に入れた仕事を俺のせいで辞めてもらいたくないんだ。
それに俺は必ず二年で戻って来る。その事を考えたら今辞めるのは違うと思うんだ。
美和子は美和子で図書館の仕事を頑張って欲しい」
幸ちゃんの言葉は正論だと思う。さすが先生だ。
二年待てばいいだけの話だけど、その二年が私に遠く感じられる。
「ちゃんと時々は美和子の顔を見に帰って来るから。電話もするから」
「嫌だ。時々なんて嫌だ。私は毎日幸ちゃんに会いたいの。仕事なんてどうだっていいの。
なんでわかってくれないの?私はこんなに幸ちゃんが好きなのに」
気持ちが溢れ私は泣いていた。目の前の幸ちゃんが滲む。
会えなかった三ヶ月がどんなに寂しかったか。
毎日幸ちゃんからの電話を待って、メールを待っていた。
「美和子、俺たちやっぱり距離を取った方がいい。
もう少し美和子は冷静になった方がいいと思う」
「何それ?私は冷静だよ。幸ちゃんがわからずやのだけでしょ!」
幸ちゃんが背を向ける。その背中が私を拒絶しているように見えた。
「今は何を言っても無駄だな」
ため息とともに幸ちゃんが呟き、歩き出す。
「幸ちゃんのバカ!」
私は感情に任せて叫ぶ。幸ちゃんは無言のまま歩いていた。



 真由美の結婚式は屋外にあるチャペルで行われた。
純白のウェディングドレスを着た真由美を見た時、私は泣きそうになった。いい人に巡り合えて本当に
良かったと思う。真由美にはもう旦那さんとの間に一歳になる女の子がいた。結婚よりも妊娠が先に来て
式を挙げられなかったと真由美から聞いた。それでも旦那さんが落ち着いた頃に式を挙げようと
言ってくれたので、今日の日を迎えられたそうだ。
ちゃんと気持ちを理解してくれる人と出会えた真由美が羨ましかった。
私と幸ちゃんはいつの間にか分かり合えなくなっている。
さっき話した時にそれがわかった。私には幸ちゃんが何を考えているのか理解できない。
冷静になった方がいいと言った幸ちゃんに七歳の年齢差を初めて感じた。
どうしてそんな事が言えるのか私にはわからない。
離れ離れになって苦しいのは私だけなんだろうか。
幸ちゃんは会えない距離にいる事を何とも思ってないのだろうか。
私だけが幸ちゃんに恋して、夢中になってバカみたいだ。
こんな苦しい想いをするんだったら、一層の事別れてしまった方がいい。
毎日幸ちゃんの事で思い煩わされるのはもう嫌だ。
そう思ったらまた泣きそうになった。
私の斜め前の席に座る幸ちゃんの姿が霞んで見える。
こんな時でもフォーマルスーツ姿の彼が素敵に見えた。
胸が痛い。一体この痛みはいつになったら取れるのだろう。


 式が終わると芝生が敷き詰められたガーデンで、真由美がブーケトスをする。
「美和子、受け取って」
すれ違い様に真由美に言われた。
真由美が後ろを向き、ブーケを私に向かって投げる。それは幸せの象徴に思えた。
みんなの手が宙を舞うブーケに向かって伸びる。
そして、私の隣にいた恵子がそれを受けた。
「やった」
恵子がガッツポーズをする。私はその様子を目の端で捕らえた。
「おめでとう。きっと次は恵子の番だよ」
落ち込んだ気持ちを誤魔化すように恵子に話しかける。
「ありがとう」
恵子が嬉しそうに笑う。
 二十階の披露宴会場に行くとBGMにカノンが流れていた。
高さのある広い窓からは青空を見る事が出来た。天井にはシャンデリアが並び、テーブル毎に置かれた花は
オレンジやピンクをメインとしていた。
 私たちの席は新郎新婦の目の前の席だった。
六人がけの円いテープルに私、杏子、美里、恵子、美久と順番に座る。
テーブルクロスはオレンジ色と白が配色されていた。
後一つの席は先生の席だ。先生はまだ来ていなかった。
真由美は私たちの事を知っていたので、私と先生を隣にしていた。
少し遅れて先生が来る。
「あっ、先生こっちだよ」
美里が先生に手を振る。先生が私たちに気づきゆっくりと歩いて来る。
「みんなと一緒だったんだ。よろしく」
先生が席に着く。そのタイミングで部屋の照明が落とされ、音楽が流れる。司会者が新郎新婦の入場を
案内すると、入り口の扉が開き、ウェディングドレス姿の真由美とグレーのタキシードを来た新郎が登場した。
客席中が拍手にわく。私は隣の先生をちらりと見た。相変わらず綺麗な横顔だった。
眼鏡がメタルフレームからセルフレームの物に変わっていた事に今頃気づく。
何だか私の知っている幸ちゃんとは少し違う人に見えた。
「では、乾杯」
乾杯の音頭でみんなで一斉にシャンパングラスをつけた。
先生が私の方を見る。私はその視線を逸らすように隣の杏子と乾杯をした。
料理が運ばれて来て歓談が始まる。
真由美が私たちに用意してくれたのはフランス料理だった。
前菜の三種の盛り合わせは野菜とサーモンが色とりどりに使われ見た目も楽しませた。
隣の先生を見るとワインを口にして、美久と恵子と何か談笑している。
まるで私なんて見えていないように彼も私から視線を外していた。
「大丈夫?」
左隣の杏子が私の方を見る。
「えっ」
私は前菜を食べる手を止めた。
「美和子、顔色が悪いよ」
杏子の声にテーブルにいたみんなが私を見る。
「やだ。大丈夫だよ。みんなそんな目でみないで。
ほら、スピーチがあるから、ちょっと緊張しちゃって」
「本当にそれだけ?」
先生が私を見る。心配するような瞳に胸が軋んだ。
「では、新婦のご友人高木美和子さんにスピーチをお願いします」
司会者の声がした。
「あっ、行かなきゃ」
私は席から立ち上がると前に出る。
マイクスタンドの前に立つと会場にいた八十人のお客さんが拍手をくれる。
緊張して、手が冷たくなっていた。
「えー、ご紹介に預かりました新婦の友人の高木美和子です。
本日はご両家の皆様誠におめでとうございます」
スピーチ原稿は昨日作り、何度か練習をしていたからここまでは何とかスラスラ出て来た。
真由美の方を見ると、心配そうに私を見ている。
「真由美さんとは大検を取る予備校で出会いました。当時の彼女は金髪で、パンダみたいなメイクをしていて、
最初に会った時は怖そうな人だと思いました」
私の言葉に会場から笑いが起こる。
真由美から笑いのネタにしていいと言われていたので、私はその事にふれた。
「でも、見た目と違って凄く優しくて、人の気持ちがわかる人だという事はすぐにわかりました。
その真由美が結婚すると聞いた時は本当に嬉しかったです。私も……」
そこまで話して、私を見る先生の瞳とぶつかる。
その瞳は他人を見るような冷たい目だ。
胸が切り刻まれるような気がした。
スピーチが止まる。ここから先何を話したらいいのかわからない。
お幸せになんて今の私には言えない。
会場中が私の沈黙にざわつき始め、先生が私に「美和子」と言うのが聞こえた。
そこでハッとする。
「失礼しました。えーと、何を話そうか忘れてしまいました」
私の言葉に失笑が聞こえる。
「えーと、私事ですが、愛する人がいる幸せを私もついこの間まで知っていました。
でも、ある事でその人と別れる事になったのです。
私にとって世界中でただ一人の最愛の人だと今でも思っています。
彼と過ごした日々は私にとって夢のようでした。
でも、私は彼の愛に甘え過ぎていたのかもしれません。
だから彼は私から去ったのかもしれません。
愛する人と人生をともにする幸せを手にした真由美が羨ましいです。
どうかその幸せを放さないようにして下さい。
お二人の末永くのお幸せを願っています。ありがとうございました」
スピーチが終わると客席から拍手が鳴る。私は真由美の方を向いて笑顔を浮かべた。
彼女は驚いたように私を見つめ、客席の先生に視線を向ける。
このスピーチの意味がわかるのは私たち三人だけだ。
私は真由美に別れた事をハッキリ伝える為頷いた。
席に戻ると幸ちゃんが私を見つめ、「美和子」と小さく話しかけるが、私は彼を無視した。





 十月十五日。今日は幸ちゃんの二十九歳の誕生日だった。
幸ちゃんとは真由美の結婚式で会ってから何もない。
私たちは完全に別れていた。本当に短い恋だった。
終りを宣言したのは私だ。それなのに毎日苦しくて、悲しくて、泣いていた。
幸ちゃんに出会って私は随分泣き虫になった。
「高木さんに来てたわよ」
地下の蔵書室で本の修復作業をしていると、同僚が絵ハガキを持って来る。
私はそれを手に取った。あて先の所に私の名前があり差出人の欄には何も書かれていない。

誕生日プレゼントを埋めました

表面にはそう書かれ、裏を見ると立派なケヤキが写っていた。
「何これ」
全く意味がわからなかった。誰かの悪戯か何かだろうか。
それにしても誕生日プレゼントという言葉が引っかかるが、今日は私の誕生日ではない。
「うーん。思わせぶりね」
考えれば考える程このハガキを出した人の意図がわからなくて、段々バカらしくなった。
私はそのハガキを作業台の上に置いて、本の修復の続きを始めた。



 夜は真由美率いる元金髪女子高生軍団たちに会った。
新婚旅行から帰って来たばかりの真由美は私たちにお土産を持って来てくれた。
「はい。定番のチョコと、これはハワイアンジュエリーだよ」
みんなに一セットずつ真由美が配る。
「ありがとう。わぁ、可愛いね」
小箱を開けるとハイビスカスの形をした白銀のネックレスが入っていた。
「奮発したよ。でもね、かなり値切った」
真由美の言葉にみんなが笑う。
場所は千葉駅近くの居酒屋だ。真由美の一人娘あっちゃんは今夜旦那さんに預けて来たという。
「チョー優しいよね。真由美の旦那さん」
恵子が言う。
「病院で出会ったんでしょ」
杏子が言う。
「うん。私が担当した患者さんだったの」
真由美が照れくさそうに笑う。
「いいな。真由美」
私はすぐ隣に座る真由美を見た。真由美は私に気を遣うように曖昧な笑みを浮かべる。
「美和子も彼氏いるんでしょ?」
恵子が言う。
「あっ、結婚式の時に言っていたスピーチの人どうなったの?」
美里が言う。
「スピーチで話した通り別れたよ」
私の言葉に杏子、美里、恵子、美久がえーっと声を上げる。
みんなの反応が思いがけなかったので口にしていたカシスソーダに咽そうになる。
「北川先生と別れたの?」
杏子が言う。
「やっぱり美和子の彼北川先生だったんだ」
恵子が言う。
「どうして別れたの?」
美久が言う。
「えっ、どうしてみんな、私と北川先生が付き合っていたの知ってたの?」
真由美意外にはまだ誰にも言っていない。
「そんなの二人を見れば一目瞭然だよ」
杏子が言う。
「そうそう。どう見ても恋人同士にしか見えなかった。ただならぬ雰囲気があったよ」
恵子が言う。
「ちょっとケンカでもしてるのかと思って触れなかったんだけどね」
美里が言う。
「それで、どうして別れたの?」
美久が言う。
「えっと、だって……」
私は転勤で離れ離れになり、一緒について行きたいのに、幸ちゃんが認めてくれなかった事と、
電話一つよこさず私をほったらかしにしたままでいるという事まで話した。
「まぁ、気持ちはわかるけどさ」
真由美が白ワインを口にする。
「でも、北川先生二年で千葉に戻ってくるんでしょ?」
正面に座る杏子が私を見る。
「うん。そうだけど。でも、二年も待てないよ。
それにやっと一緒になれたのに電話一つくれないし。もういいんだよ。あんな奴」
私は目の前のカシスソーダを呷る。
「バカかおまえは」
真由美がポンと平手で私の頭を叩いた。
私は驚いて真由美を見る。
「本当に愛しているなら二年ぐらい待てるよ。
だって美和子は三年も北川先生を待っていたんでしょ?
見返りを求めない恋してたじゃない。それを電話一つくれないぐらいで何いじけてるの?」
真由美の言葉に恵子、美里、美久、杏子が頷く。
「たったそれだけで揺らいじゃうなら、本当に別れて正解だと思う。
所詮美和子の北川先生への気持ちってその程度だよ」
杏子が真っ直ぐに私を睨む。
「そうだよ。せっかく北川先生が待っていて欲しいって言ってるんだから、
待てばいいじゃん。何を美和子は焦っているの?静岡ぐらい何よ。
新幹線で二時間ぐらいじゃん。会いに行こうと思えば会いに行けるよ」
美久も私を睨む。
「そんな事言われたって待てないよ。離れた途端素っ気無くなる先生の何を信じていればいいの?
私はそんな大人の距離の取り方知らないよ。それに先生はもう私の事嫌いだよ」
別れをはっきりと宣言した後、幸ちゃんは否定しなかった。それはもう私に心がないという事では
ないのだろうか。本当はあのスピーチの後彼が何かを言ってくれるのを待っていた。
ただ、一緒に静岡に行こうという言葉を聞きたかっただけだ。
「そんな事まだわからないよ。美和子はちゃんと先生と話し合ったの?
それはまだ別れた事にならないと思う。今は距離を取って、美和子が冷静に話せる状態になるのを
待つって事じゃないの?」
真由美の言葉に顔を上げる。
「そうだよ。私もそうだと思う」
恵子が言う。
「美和子、もう一度ちゃんと話しなよ」
美里が言う。
「先生、真由美の結婚式の時美和子の事ずっと見てたよ。
私先生から美和子の事を好きだって聞いたよ」
杏子が言った一言にみんなが頷く。
「愛する人と手にした幸せを放すなって結婚式の時に私に言ってくれたじゃない。
美和子も放さないでよ。まだ幸せはあるよ」
真由美が私を見る。
みんなの言葉を聞いていたら、泣けて来た。
本当にまだ私たちは終わっていないのだろうか。もし、みんなの言う通りだとしてら、
私はもう一度幸ちゃんと向き合いたい。でも、彼に会うのが怖かった。




私たちは千葉駅で別れた。
結婚してから津田沼に移った真由美と私は帰りが一緒になった。
真由美と私は並んで座席に座った。電車がゆっくりと走り始める。
正面の窓ガラスには私たちの姿が写っていた。
「片思いの時ってさ、ただ好きな人の姿を見れただけで嬉しいって思うじゃない」
真由美が私を見る。
「でも恋人になって、どんどん相手の事を好きになると、その人の事独占したい。片時も離れたくないって、
思うようになるんだよね。自分の思う通りに相手が一緒にいてくれないと、ケンカしたりしてさ」
真由美の言葉に思い当たる事は沢山ある。
「真剣に好きになればなるほど離れられなくなる気がする。
私先生の事しか見えていなくて、先生と一緒にいられるならどんな事でもしたいって思うの。でも、先生は
それを理解してくれなくて」
私の言葉に真由美が頷く。
「わかるよ。そういう気持ち。でも、先生は美和子とちゃんと一緒に歩いて行きたいんじゃないかな。
美和子は美和子で自分の事をして、先生は先生で自分の事をしてって。美和子が自分の事を全部放り出して
しまうのが嫌なんだと思う。その為の距離を取りたかったんじゃないかな」
真由美が微かに笑う。
「私が先生に依存しすぎているのかな。
真由美は旦那さんとそういう事でケンカした事ある?」
私は真由美を見た。
「うん。したよ。いっぱいケンカした。だから分かり合えて結婚出来たんだよ」
真由美がそう言った時、稲毛に電車が停まる。
「今日はありがとう」
私は電車から降りると、真由美に手を振った。
 帰り道、いろいろな事を思い出した。初めて幸ちゃんと出会った日の事、授業に出ない私を追いかけ
回していた幸ちゃん、簿記の補習を毎日してくれた幸ちゃん、そして、初めて気持ちを通じ合えた日。
片思いから両思いになった日の感動は今でも思い出す事ができる。死んでもいいって思うぐらい幸せだった。
「私、バカだな」
真由美たちが言っていた事が今ようやくわかった。
見上げた三日月が霞んで見える。
「幸ちゃん」
彼の事が恋しかった。
もしも、もう一度幸ちゃんに会うチャンスがあるなら私はその時は待つと言うだろう。
どうか、神様私にチャンスを下さい。
空に流れる星に私はそう祈った。




 翌日も私は蔵書室で本の補修をしていた。
消しゴムを使って鉛筆で書かれた悪戯書きを朝から一生懸命消している。
だから、作業台の上が消しゴムのカスの山だ。
机の横のゴミ箱を持ち、そのカスを捨てようとした時、私の動きが止まる。
見覚えのある絵はがきがゴミ箱の中に入っていたのだ。それは昨日私の元に届いた物だ。
捨てた覚えはなかったけど、作業台の上に置きっぱなしにしていたので、誰かが捨てたのか、自然に
落ちたのか。
「『誕生日プレゼント埋めました』か」
口にして見るとやっぱり不可解な文章だ。一体どこに埋めたんだろう。
宝の地図でもあればいいのに。
「あっ」
私は裏面のケヤキの写真をじっと見つめた。この木は私にとって馴染みのある木だ。
「もしかして」
私は絵葉書を持って、1階に上り外に出た。もう陽が傾き始めていた。
「やっぱり」
図書館の側にあったケヤキと絵葉書のケヤキが重なる。
「という事はこれが宝の地図?」
そう思ってケヤキの周りを見ると、
この間までなかったたんぽぽの花が目印のように咲いていた。
その隣の土は不自然に盛り上がっている。
「ここ?」
気になって私は周りに人がいない事を確認してから、手で盛り上がった部分を掘った。
そして十センチぐらい掘った所で、手の平サイズぐらいの箱が出てくる。
箱の周りを丁寧に掘って取り出すと、それが宝箱の形をしている事がわかった。
「これは何?」
膨らむ好奇心のまま箱を開けると、中からテディベアが出て来た。
それは眼鏡を掛けていて、幸ちゃんそっくりな顔をしている。
テディベアの首にはごめんね≠ニいうプレートがかかっていた。
すぐに誰がこんな事をしたのかわかった。思わず笑ってしまう。
「幸ちゃん……」
私はそのテディベアをギュッと抱きしめる。
「やっと見つけてくれた」
後ろで声がした。
「えっ」
振り向くと、夕陽に照らされた幸ちゃんの姿が目に入る。
ジーパンに紺色のジャケットを羽織っていた。
「今日美和子に見つけてもらえなかったらどしようかと思ってたんだ。
さすがにずっと見張っている訳にも行かないからね」
幸ちゃんが笑う。私は目の前の幸ちゃんに向かって駆けた。
「幸ちゃん!会いたかったよ。ごめん。私が悪かった」
幸ちゃんを捕まえるように抱きしめる。
「俺こそ美和子の気持ちをわかってあげられなくてごめん。
美和子と離れてみて会えないのが辛いってわかったよ」
幸ちゃんが私を抱きしめる。
「電話もできなくてごめん。
美和子の声を聞いてしまうと、会いたくなるから電話できなかったんだ。
俺は情けない程美和子が好きだ。でも、勝手だったって気づいたよ。
美和子の気持ちを全然考えてなかった。これからは毎日電話するよ。
休みがある度に千葉に帰って来る。だから、俺の事もう少し待っていてくれる?」
幸ちゃんが私を見つめる。
「うん。待つ。二年でも十年でも、待つよ」
私の言葉に幸ちゃんが笑う。
「十年も待たせないよ。帰って来たら結婚しよう」
幸ちゃんの言葉に涙が滲む。
「うん」
私が答えると幸ちゃんの目にも薄っすらと涙が浮かんでいるのがわかった。
私たちは強く抱きしめ合う。
「ありがとう。ありがとう」
幸ちゃんが耳元で何度もそう言った。
沈む夕陽が私たちの再会を祝福しているように見える。
こんなに綺麗な夕陽初めて見た。
私は涙を拭い、幸ちゃんを見上げる。
「ところで、幸ちゃん、誕生日プレゼント遅過ぎじゃない?」
「ごめん」
バツの悪そうな顔を幸ちゃんがする。
その顔を見て笑ってしまう。
幸ちゃんも笑う。私たちはずっと笑っていた。
 
 

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