―――  美  幸(みゆき)  ――― 


三章

3 捜索、そして浮気の真実





 
 私は結局中絶手術を受けなかった。
幸ちゃんが突然消え、その事が引っかかったのだ。
「赤ちゃんは順調だよ」
目の前の宮崎医師が私にエコー写真を見せる。
妊娠十二週に入っていた。幸ちゃんの失踪を知って一週間が経つ。
赤ちゃんの様子が気になって今日は妊婦検診に来た。
「それで、彼とは会えた?」
先生がペンを置き椅子をくるりと回転させて、私の方を見る。
「いいえ」
私は俯き、先生の足元を見た。
この間図書館で会った時と同じ白いスニーカーを履いていた。
「会いに行ったんですけど、会えなかったんです」
「会えなかった?」
先生の言葉に顔を上げる。
「職場に行ったら辞めていて、彼のアパートに行ったら引っ越していて、
携帯にかけたら解約されていたんです」
私は一つ一つの事実を思い出すように口にした。
「ご実家の方には?」
先生が私を見る。
「電話してみました」
幸ちゃんのお母さんの声を思い出す。私に申し訳ないと何度も謝ってくれた。
「それで?」
「知らないそうです。実家の方にも何も言わずに引っ越したみたいで」
「妙だな」
先生が呟く。
「えっ」
「彼の消え方が突然過ぎる。何かあったと考えるのが妥当だ」
「何かって?」
「例えば人を殺してしまったとか、犯罪に巻き込まれたとか、よくあるのが借金取りに追われているとかだ」
先生の言葉にドキッとする。そんな事私は考えた事もない。
「幸ちゃんは普通の人です。人を殺すような人じゃないし、
お金だっていい加減な事をするようには思えません」
私の言葉に宮崎先生が苦笑する。
「ごめん。僕推理小説が好きだから、ついそっちの方に考えてしまった。
でも、何かあると思う」
「何かって」
「君と突然別れなきゃいけなくなった理由だよ」
「それは浮気相手の女に赤ちゃんが出来たから……」
そこまで口にしてハッとする。
東武野田線の新鎌ヶ谷の駅で降りるあの女をいつか見た。
「私、浮気相手の女を捜します。女から幸ちゃんの居場所を聞いて会います。
まだ赤ちゃんの事はどうするか決められないけど、先生の言う通り彼に妊娠を伝えます」
宮崎先生が静かに頷く。
「そうだね。それがいいと思う。赤ちゃんをもし堕胎する事になったとしても、僕が責任を持って処置するよ。
だから検診はちゃんと来るんだよ。それから母子手帳も貰っておいで」
先生が笑う。笑うと幸ちゃんと同じ場所に笑窪があった。
「はい」
私はお辞儀をすると、席を立つ。
「あっ、高木さん」
診察室の戸に手を掛けた時、呼び止められる。
「僕はお見合いを断られた事ちっとも気にしてないから」
先生が冗談めかして言う。私は苦笑を浮かべ、もう一度お辞儀をした。
とにかく幸ちゃんを捜そう。もう一度お腹の子の事を含めて話し合いたい。




昨日から新鎌ヶ谷駅に通っている。稲毛からおよそ四十分で到着する。
北総線、新京成線、東武野田線の三線のラインが新鎌ヶ谷駅にはあった。
 図書館を早退して、私は東武野田線が通るホームにいた。
柏から走る午後四時四十五分着の船橋行きにこの間見かけた女が乗っていた。
普段から電車を利用している人だったら大抵は同じ時間の電車に乗っているという予想を立て、
私はこの時間帯をターゲットに絞った。昨日は空振りだった。今日こそは何か手がかりの一つでも見つけたい。
「間もなくホームに電車が到着します。黄色線の内側に下がってお待ち下さい」
ホームにアナウンスが流れる。白地に青いラインが引かれた電車が入って来る。
午後5時前だったので車内はまだ混んだ様子はない。
それに夏休み中だったから学生が少ない。
買い物袋を持った女性や親子連れが目立つ。胸がドキドキとしていた。緊張感から手に
薄っすらと汗をかく。電車の扉が開き一斉に人が降りて来る。私はその様子を改札につながる
階段の前から見ていた。そして、一組のカップルが目に留まる。
白いワンピースを着た女と黒いTシャツに黒いズボン姿の男が寄り添って歩く。
女は男の腕に腕を絡ませる。今、目の前を二人が通り過ぎた。
「あの、すみません」
私は思いきって女の方に声をかける。
「はい?」
振り向いた女の顔を見た時、愕然とした。違う。この女性じゃない。
幸ちゃんと一緒に居た人はもっと綺麗な顔立ちだった。
「いえ、何でもないです。失礼しました」
私はいたたまれない気持ちを引きずってその場から逃げるように改札口とは反対の方のホームに
走った。電車はもう走り去った後だった。近くのベンチに座ると、ため息をつく。
 考えたくなかったけど、もしかしたらこの間電車の中で見たのは今のカップルだったかもしれない。
幸ちゃんと一緒にいた女性と服装や体格が似ていたから、見間違えたのかもしれない。
「どうしよう」
もう本当にどうしたらいいかわからない。泣きそうだ。
私は頭を抱えた。今頃幸ちゃんはどこで何をしているのか。
宮崎先生が言った通り、まさか犯罪にでも巻き込まれているのだろうか。
私は途方に暮れていた。



 翌日は悪阻が酷かった。朝から家のトイレでゲーゲー吐いていた。
母はもう大学に行っていたので、幸いにもその姿は見られていない。
答えの出ないまま日ごとにお腹の子は大きくなる。
幸ちゃんとちゃんと話し合ってから子供をどうするかを決めようと思ったけど、
すぐに心が揺れる。
このまま二十二週を越えたら私は産むしかない。私一人で子供を育てる自信はない。
かと言って中絶するのもやっぱり嫌なのだ。いくら考えても答えは出ない。
こんな問題に自分が直面するとは思わなかった。
「ごめんね、弱いママで」
お腹をさする。
宮崎先生の話ではもう赤ちゃんには耳があって、私の声を聞いているそうだ。
エコーにうつる赤ちゃんはどんどん人間らしい形になっていく。
順調に成長する赤ちゃんの姿を喜ぶ私がいる一方で堕胎する事を考えている私もいる。
本当にこんな自分が嫌になる。


 図書館には午後から出勤した。休もうと思ったけど、
二日続けて早退していたので、そういう訳にもいかなかった。
「高木さん、顔色悪いよ」
制服の紺色のエプロンを付けて、1階カウンターに行くと同僚の鈴木さんに言われる。
彼女は子供が二人いて、私より十歳年上だ。
「大丈夫ですよ」
私は笑顔を作る。
「あんまり無理しないでね」
鈴木さんの心配してくれる言葉が嬉しかった。
私はワゴンに乗った返却されたばかりの本を本棚に戻しに行く。
図書館の中は冷房が効いていて気持ち良かった。
小説のコーナーに、経済のコーナーに、実用書のコーナーを回る。
今日も図書館は夏休み中の中高生が目立つ。
おそらく高校や大学受験を控えている子たちだ。
彼らから聞かれる受験≠ニいう単語で私はそう推測する。何だか懐かしい感じがした。
そういえば、私が受けた時の大検の試験は夏だった。
とにかく暑くて、汗を流しながら受験した。
試験が終わる度に自習室に行くと、幸ちゃんがいた。
『お疲れ様』って団扇で扇いでくれたのが印象に残る。
私にいつでも安心感をくれる人だった。
「幸ちゃん……」
急に寂しくなる。もう彼に二ヶ月以上会っていない。
憎い人だけど、やっぱり私は彼の事を憎み切れない。心のどこかが彼に会いたがっている。
私に歩く道を教えてくれた大事な人である事は今もかわらない。
ジーパンのポケットから携帯電話を出すと、たんぽぽのストラップを見つめる。
それは幸ちゃんが私にくれた最初のプレゼントだ。
もう五年以上前に貰ったので、たんぽぽは色あせて、黒ずんでいる。
彼にもらったものは殆ど処分したけど、このたんぽぽは手放せなかった。
幸ちゃんはたんぽぽの健気な所が好きだと言っていた。
アスファルトの割れ目から一生懸命咲く黄色い花はいつも私に勇気をくれた。
踏みつけられても、懸命に花を咲かす姿に強さを見た。
今の私にその強さはあるだろうか。
踏みつけられて、捨てられた私に立ち上がる力は残っているのだろうか。
「ねぇ、お姉ちゃん」
子供の声がした。
ハッとして、振り向くと、いつの間にか小学生ぐらいの子供が私の側で立っている。
「本が見つからないのかな?」
「違うよ。これお姉ちゃんにあげる」
男の子が私の前に差し出す。
「これ」
男の子が持っていたのはたんぽぽだった。
「お姉ちゃん、元気になってね」
それだけ言うと男の子はパタパタと走り出す。
私はその子の後ろ姿を見つめ、目を細めた。
手の中のたんぽぽは私に微笑みかけている。
男の子の親切がありがたかった。
「ありがとう」
小さく呟き、私はたんぽぽをエプロンのポケットにしまった。




 図書館を出た後、私は再び新鎌ヶ谷駅に向かう。
何も手がかりがない今、私はあの女性を見つけるしかない。
二日通って見つけられなかったから、無駄かもしれない。でも、どうしても諦めきれない。
無駄で終わったとしてもいい。何か今行動をしなければならない。
午後七時に着く。ホームに立ち、降りる人の顔を一人一人見る。
サラリーマン風のスーツ姿の人、OL風の派手なシャツを着た人、子供を連れた家族、
制服を着た学生、それらの人たちが私の前を通って行く。その中にあの女性はいないかと、
目を皿のようにした。しかし、見つからない。でも、それも覚悟の上だ。改札に上がる階段の側に立ち、
私は終電ギリギリの時間まで見張っていた。4時間近く立っていたので、足は棒になった。
 それからまた次の日も、次の日も図書館が終わった後、
同じように新鎌ヶ谷のホームに立った。
午後七時から十一時まで立ち続けた。不審そうに私を見る人も中にはいた。
それは一週間続いたが、私はまだ何の手がかりも得られないでいた。
「ちょっと、あなた?」
背中に声がかかる。
今日も私は新鎌ヶ谷駅のホームに立っていた。
「はい」
振り向くと中年の駅員がいた。
怖い顔で私をじっと見下ろす。
「こっちに来てくれる?」
私は何が何だかわからないまま駅員に連れて行かれ、階段を上がる。
改札階に行くと、駅の事務所に入った。
「不審者がいるって苦情が入ってるんだよ」
パイプ椅子に腰掛けると、駅員が話し始める。
「不審者?」
その単語に私は目を丸くした。
「あなた毎日夕方から夜遅くまでホームに立っているでしょ?」
駅員が冷たく言い放つ。
「迷惑なんですよね。こう毎日続くと」
胃がキュンとして、悪阻がこみ上げて来る。
「あの、すみません。吐きたいです」
私はそう言うしかなかった。
「えっ」
駅員が顔色を変える。
「あっ、ちょっと、そこにトイレあるから、行けますか?」
駅員が指した方に男子トイレと女子トイレの看板が見えた。
「はい」
私は事務所を出て慌てて女子トイレに駆け込む。
何回戻しても息が止まるような苦しさには慣れなかった。
洗面台で口を洗い外に出ると、さっきの駅員がいた。
「大丈夫ですか?」
心配するように私を見る。
「はい。ご迷惑おけかしてすみません」
「少し事務所で休んでいって下さい。顔色が真っ青です」
確かに今電車に乗って帰る自信がなかったので、私は駅事務所に行き、
長椅子に寝かせてもらった。
「妊娠しているんです。今、十三週です」
私はポツリと自分の事を話し始めた。
パソコンデスクの前に座る駅員が驚いたように振り向く。
「実は別れた婚約者との間に出来た子供なんです。
ある日、女が出来たと私の前から去って行きました。
その女性を新鎌ヶ谷の駅で降りるのを見かけて、それでホームに毎日立って彼女を探していたという訳です」
全くの他人だからこそ、私はそこまでの事情を話せた。
「そうでしたか」
駅員が力ない声を出す。
「ご迷惑をかけてすみません。明日からは来ませんので、許して下さい」
見つけるまで通うつもりだったけど、この場所は違うと心の声が言っている気がした。
では一体どこを探せばいいのか。彼の実家に行けば何かわかるだろうか。
でも、電話した時に知らないと言われたのだ。再び私は途方に暮れる。

 一時間休憩した後、私は駅員にお礼を言って帰りの電車に乗った。
午後8時台の電車だった。稲毛には午後9時前には着ける。
私は優先席に座った。バックには妊婦である事を示すストラップを付けていた。
母子手帳をもらった時についていたものだ。
体調に自信がなかったので、稲毛を出る時は鞄に付けた。
これを付けているとわかる人はわかってくれる。優しく話しかけてくれる人がいたり、席を譲って
くれたりと、いろいろと親切にしてもらえた。幸ちゃんもよくそうやって席を譲ったりしていた。
時には具合の悪い人の介抱までしてあげていた。


 船橋には午後八時二十四分に着いた。快速でも帰れたけど、各駅の方が座れるので、
千葉行きの各駅電車に乗った。発車まで八分少々お待ち下さいと、アナウンスがある。
思った通り席は空いていて、私は扉の近くに腰を下ろす。発車まで間があったので、
何となくぼんやりと外を眺めた。
主にホームを歩いていたのはスーツを着たサラリーマンや、OLたちで、その中にちらほらと学生が
混じってていた。みんな家路を急ぐようにスタスタと歩いていた。
「あっ」
思わず声を出していた。ホームを歩く女性の姿が視界に入る。
私は席を立ち電車から降りた。走って階段の方に歩いて行く後ろ姿を追う。
「待って!黄色のワンピースの人、待って下さい」
彼女の後姿に声を駆けるが止まってくれない。
「お願い待って」
私はやっと女性に追いつき、肩に触れた。
女性が立ち止まる。
「何ですか?」
彼女が振り向く。不審そうに整えられた眉を寄せていた。
私はその女性の顔を見て確信した。間違いない。幸ちゃんが連れていて女だ。
「私の事覚えていない?三ヶ月ぐらい前に千葉駅近くのカフェで会ったと思うんだけど」
女性が私の言葉を聞くと、考えるように黙り込む。
「あっ」
小さく女性が声を漏らす。
「思い出した?」
「えぇ」
彼女が気まずそうに私から視線を離す。
「お腹出ていませんね。もうそろそろ六ヶ月でしょう?」
三ヶ月前に会った時は妊娠三ヶ月だと言っていた。
自分が今妊婦だから一目見ただけでわかる。
ピッタリとしたワンピースにハイヒールを履いた彼女はどう見ても妊婦の格好じゃない。
「妊娠は嘘?」
私は相手の顔を見てハッキリと口にした。
「嘘だったら何なの?」
女が私を見る。
「私は今妊娠しています」
証拠を見せるように鞄から母子手帳を出した。
「今十三週です。彼の子供です」
女が目を見開く。
「別れろとまでは言わない、彼と話し合いたいの。
子供を産んでもいいのか、私一人では決められないから」
女がじっと私を見る。
「お願い。彼に会わせて」
私は深く頭を下げた。情けないけど、もう彼女にすがるしかないのだ。
「お願いします」
必死だった。やっと見つけた彼との一本の糸を手放したくなかった。
「ごめんなさい」
女の声が響く。
「私、彼の居場所知らないんです」
顔を上げると、女がすまなそうに私を見る。
「えっ」
頭の奥が白くなる。幸ちゃんは彼女にも何も言わず消えてしまったのだろうか。
「ちょっと、どこかに入りませんか?」
彼女が回りの目を気にするように視線を配った。
ホームに立つ私たちは確かに目立っていた。




 家に帰ったのは午後十時を過ぎだ。
マンションのドアを開けて中に入ると、廊下の先のリビングから母の声がした。
「美和子、帰ったの?」
疲れていたので母の声に答える気力がなかった。
リビングには行かず、玄関側の自分の部屋に行くとベッドに倒れこんだ。
今日はもう疲れた。精神的にも肉体的にもボロボロだ。
「美和子」
母がドアを開ける。
「返事ぐらいしなさいよ」
「疲れてるの。ほっといて」
母から視線を逸らすように横になったまま壁の方を向いた。
「話しがあるんだけど」
母の尖った声がする。
「お願いよ。お母さん、今日は勘弁して」
一人になりたかった。
「こっちを向きなさい」
母の声が厳しくなる。
「疲れてるのよ」
「いいから、こっちを向きなさい!」
母の怒鳴り声に驚いて、私は母の方を向いた。
「何?」
白いカットソーを着た化粧のしていない母がいた。
眼鏡の奥の瞳が私をギュッと睨んでいる。ここまで怖い顔の母を見た事がない。
「あなた北川さんの子供妊娠してるでしょ?」
ドキッとした。心臓が止まるかと思う程だ。
「何それ」
私は誤魔化すよにう笑う。
次の瞬間、乾いた音がした。
母の右手が私の左頬を叩いた。
「何するのよ!」
私は左頬を庇うように触れる。
母が床に置いてあった私の鞄に触れ、中身を探るように開けた。
「ちょっとやめてよ!」
母に飛び掛るようにしてバックを持つが、母が強引にバック中を探り、
目当ての物を見つけた。
「これは何?」
私の目の前に突き出す。
「どうしてあなたのバックに母子手帳が入っているの?」
母が詰め寄る。
「ちゃんと説明して」
私は黙ったまま母から視線を逸らす。
「美和子!」
母の声が6畳の部屋に響く。
「そうよ。幸ちゃんの子供よ」
「堕ろしなさい。そんな子供。費用だったら全部出すから」
「嫌だ!」
母に反発するように言葉が出る。
「あなた、何言ってるの?あなたみたいな子が母親になんかなれる訳ないでしょ!」
「どうしてお母さんはそうやって、物事を決め付けるの!
私にだって出来るかもしれないじゃない」
「無理よ!」
母が強く否定する。悔しかった。できると言いたい。でも、産む事を決めた訳ではないので、言えない。
目頭が熱くなって、涙がこみ上げて来る。私はベッドに座り込み頭を抱えた。
「幸ちゃんが行方不明なの」
ポツリと口にする。
「会社も辞めて、アパートも引き払って、どこに行ったかわからない」
私は洟をすすった。
「だから今はまだ堕ろせないよ」
顔を上げ母を見る。
「私まだ幸ちゃんの本当の気持ち聞いてない」





 一時間前、私は橘香織と船橋駅改札口を出た南口の側のカフェにいた。
店の広さは三十席ぐらいで、壁と天井はブラウンの色調で統一されていたので、落ち着いた雰囲気があった。
カウンター席に彼女と隣あって座った。
私はオレンジジュースを飲み、彼女はアイスコーヒーを口にした。
「ここ午後十一時までやっていますから」
私が何となく壁の時計を見ると、彼女が口にする。
「いつも利用するんですか?」
差しさわりのない話をする。
そうしないと、私の理性が崩れてしまいそうだからだ。
私から幸ちゃんを奪った目の前の相手はやっぱり憎い。
「えぇ。時々ね。彼と待ち合わせする時とか」
彼女はそこまで口にして、ハッとするように私を見る。
「いや、違うんです。彼って、その彼じゃないんです」
慌てて彼女が言いなおすけど、私はその弁解の意味がわからなかった。
「そんな怖い顔しないで」
彼女が微笑む。私と同じ年か少し上に見えた。目鼻立ちのハッキリした顔は人目を引く。
「私ね。あなたの婚約者の名前さえ覚えていないんです」
「えっ」
その言葉に私は眉を上げる。
「それってどういう事?」
「彼と会ったのはあなたと会ったあの日だけなんです。
千葉を歩いていたら、ナンパされてアルバイトを頼まれたんです」
彼女が少し茶色い髪を耳にかける。
「アルバイト?」
何が何だかさっぱりわからない。
「あなたは幸ちゃんの同僚じゃないんですか?」
「違います」
彼女がキッパリと否定する。その言葉に嘘はないように見えた。
「信じられないかもしれませんが、私は彼にあなたと別れる為の浮気相手の役を頼まれたんです」
「どうして?」
「そこまでは知りません。どうしてもあなたと別れなきゃいけない理由が出来たって言っていましたけど」
「アルバイトって事はお金をもらったんですか?」
「えぇ。五万円頂きました。私は彼の連絡先も聞いていないし、
彼も私の連絡先を聞いていません。ただそれだけです」
彼女はそこまで話すとアイスコーヒーを口にした。
私はじっと彼女を観察する。今の話が本当に信じられるものか吟味する為だ。
彼女が私の視線に気づいて笑う。
「まだ疑いが晴れないって顔してますね」
「えっ」
「まぁ、無理もないですね。何か聞きたい事があったら、連絡して下さい」
彼女はハンドバックから名刺入れを出した。
名刺にはフリーライター 橘香織≠ニあった。
「記者さん?」
「えぇ。タウン情報誌にお店の記事とか書いています」
 私と彼女はそれから別れた。船橋から千葉行きの下り電車に乗ると椅子に座った。
頭の中がぐちゃぐちゃにこんがらがっている。
人を雇ってまで私と別れた幸ちゃんの行動の意味が全く理解できなかった。
まさか本当に何か事件にでも巻き込まれているのだろうか。


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