―――  美  幸(みゆき)  ――― 


三章

5 ケヤキの木



 十月十五日。今日は幸ちゃんの三十一回目の誕生日だった。
幸ちゃんは三十歳という若さでこの世を去った。彼の葬儀から三週間が経つ。
葬儀には幸ちゃんの教え子たちが百人以上参列した。みんなに親しまれる先生だった。
私はずっと泣いていた。どうして幸ちゃんは最期まで私と一緒にいてくれなかったのかと、
責め続けた。嘘までついて別れた結末がこんなんじゃ辛すぎる。幸ちゃんが生きていてくれるなら、
浮気女と幸せに暮らしているというエンディングの方がまだ百倍ましに思えた。
私はいつもの通り図書館で働いていた。そんなに利用者はいない。
今日、橘香織さんが図書館に取材に来る。
私が働いているのはラドクリフカメラを模倣したあの図書館と言ったら、
ライターをしている彼女にはすぐにわかったようだ。
是非書かせて欲しいと言われ、断る理由もなかったので受けた。
 約束した午前十一時頃に香織さんが現れる。彼女に会ったのは船橋駅で会った以来だ。
ほんの二ヶ月ぐらい前の事なのに随分と昔に感じられた。
「大丈夫ですか?この間より顔色が悪そうだけど」
香織さんが開口一番に私に言う。彼女にはまだ幸ちゃんが亡くなった事を話していない。
この間その事を伝えようと思って電話したけど、私は言えなかった。
「大丈夫ですよ。香織さんは髪切ったんですね」
腰まであった髪はショートカットになっていた。
「長いの飽きたんです」
香織さんが笑う。
「じゃあ、今日は宜しくお願いします」
香織さんがお辞儀をする。私も頭を下げた。
図書館は地上4階、地下1階建てだった。
4階の視聴覚室から私は香織さんを案内した。
取材は二時間ぐらいで終わる。

「今日はありがとう。本が出来たら必ず送ります」
香織さんが満足そうに笑う。
「あの、香織さん」
私は思い切って話しかけた。
「何?」
「実は私の探していた北川幸太さんを見つける事が出来たんです」
私の言葉に香織さんが眉を上げる。
「良かったね。彼どこで何してたんですか?」
屈託のない笑顔で香織さんが聞いてくる。
「肺癌で亡くなりました」
私の言葉に香織さんの表情から笑みが消える。
「それ、本当?」
「はい」
私が頷くと香織さんが歩みより私を抱きしめる。甘い香りがした。
「辛かったね。苦しかったね」
私を慰めるように彼女が口にする。私は涙ぐんだ。
「ありがとう。話してくれて」
私の顔を見ると彼女が笑った。
それから私は香織さんを図書館の外まで見送った。
「立派な木ですね」
側に立っているケヤキを香織さんが見上げた。
「これぐらいだと、もう樹齢百年以上は経っていそうですね」
ケヤキはすっかり紅葉していた。
「確か百五十年だと聞いています」
「百五十年か。凄いね。この場所でずっといろんな事見て来たんでしょうね」
香織さんの言葉に胸がつまる。
花が咲く春も、緑豊かな夏も、紅葉する秋も、落葉する冬も、
いつも幸ちゃんと一緒に見ていた。
「大丈夫?」
心配そうに香織さんが私を見る。
「大丈夫です」
私は口元を微かに上げる。
「じゃあ、また」
香織さんが手を振る。私も手を振った。
小さくなる背中を私は最期まで見送った。


その日の午後六時半に図書館が閉館して、私は午後7時に仕事を終りにした。
外はもう暗かった。日ごとに陽がつまり、寒さが増す。
秋物のコートを羽織っていても、今日は寒く感じた。
 ふと、ケヤキの前で立ち止まる。
昼間香織さんと見上げた事を思い出した。
いつだったか、ケヤキの下に私はテディベアを見つけた事があった。
それを埋めたのは幸ちゃんだ。
もしかしたら、幸ちゃんが私に何かここに残しているかもしれない。
私は図書館から軍手と懐中電灯とを借りてくると、ケヤキの周りを照らした。
あの時と同じようにたんぽぽが咲いている。
軍手をはめると、その横の土に手を入れて掘り始めた。
土が軟らかかった。最近誰かがその場所を掘ったような形跡を見つける事ができる。
もしかしてという思いが、段々確信へと変わる。
十センチぐらい掘って行くと、何かに当たる。
「あっ」
それはプラスチックで出来た物だ。
丁寧に掘って行くとA4サイズの箱が出て来た。
取り出して蓋を開けると、そこにはダイアリーと書かれた一冊のノートが入っている。
私は軍手を脱ぎ捨て、ノートを開く。

「『五月二十日 
 風邪を引き一ヶ月咳が止まらなかった。
いつもは風邪ぐらいで病院なんて行かないが、美和子が心配するので駅前のクリニックで
診察を受けた。レントゲンと血液検査を受けた。左肺に影があると言われる。
すぐに専門医のいる大学病院での検査を勧められ紹介状を渡された。』」

ノートに書かれた文字を読み上げた。間違いなく幸ちゃんの字だ。
そしてその記述に幸ちゃんが酷く咳をしていた事を思い出した。
病院に行けばと何度もしつこく言った覚えがある。
まさか、あれが私たちの別れる発端になっていたなんて夢にも思わなかった。
私は日記を手にすると、近くのベンチに座った。
懐中電灯で照らせば充分読めた。
ここに幸ちゃんの想いが書かれていると思うと、読むのが怖かった。
でも、知りたい。幸ちゃんが何を思って、私と別れたのか。
これを発見したからには、私は最後まで読まなければならない。
深呼吸をすると、私は震える手で日記をめくった。



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