―――  雨と恋 11【速 水】  ――― 


 
「君の事が嫌いになったんだ」
 
 携帯電話を持つ手が震えていた。気を抜くと落としそうになる。
 自らの言葉が凶器になり、胸を深く貫いた。
 胸の辺りに血が滲んだ気がしたが、くたびれたワイシャツがあるだけだった。
 携帯電話は無言のままで、泣いてるのか、怒ってるのか、マヤの感情を読み取れない。
 電話を切ってしまえばいいと思うが、無言のままの彼女を放り出したくなかった。
 せめて、バカとか、嫌いとか、怒ってくれればいい。
 怒りは悲しみを忘れさせてくれる。自分もそうだったから。
 速水英介への怒りが母を失った悲しみを緩和してくれた。義父を憎む事で今の自分がある。
 だから、マヤには憎まれて嫌われて、あいつを見返してやるって思われる存在にならなければならない。

「どうして、どうしてそんな事言うの?」
 
 弱々しく吐き出された声は納得がいかなそうに響いた。
 しめた。マヤは怒りを感じてる。泣かれたらどうしようかと思っていたが、怒ってくれたなら、その火を大きくすればいい。
 感情を押し込め、携帯電話を強く握りしめた。
「君は17才で俺は28才だぞ。本気にすると思ったのか?君との事はほんの退屈しのぎだ。俺は君の事を何とも思ってない」
「じゃあ、どうして伊豆の別荘に連れて行ってくれたんですか?速水さんにとって大事な所だったんでしょ!」
「だからほんの退屈しのぎだと言っただろう。意味はない」
「じゃあ、紫の薔薇は?どうしてあたしを高校に行かせてくれるんですか?」
「君に恩を売っておきたかったからだ。万が一にも紅天女が君に決まった場合、紫の薔薇の人だった事を君に言って、上演権を奪うつもりだった」
「嘘よ!母さんの墓の前で一生名乗るつもりはないって言ってたじゃない!」
「そんな事言ってない。聞き間違えだ。俺は自分の利益にならない事はしない」
「母さんの月命日に欠かさずお墓参りをするのも、あたしに恩を売る為なんですか?」
「そうだ。他に何があると言うんだ。ちびちゃん、俺が本気で君の事を好きだとでも思ったのか?」
「嘘つかないで下さい。本当の速水さんは凄く優しい人だってあたし知ってるんです。
あたしが芝居が出来なくなった時、速水さんずっと舞台を用意し続けてくれた。雨の中で倒れた時だって、家に連れて行ってくれて……。
あたしが潰れた方が都合がいいはずなのに、どうして助けたんですか?」
「別に君の為にやったんじゃない。もう一人の紅天女候補の為だ」
「亜弓さんの為?」
「君が潰れたら、姫川亜弓のモチベーションが下がる。大都芸能は姫川亜弓に賭けてるんだ。だから、道端の石ころを助ける事ぐらいの事はする」
「石ころってあたしですか?」
「そうだ。俺にとって君は石ころ程度の存在に過ぎない」
「酷い……」
「こんな酷い男の事はさっさと忘れるんだな」
「そんなに簡単に忘れられません。速水さんが酷い人でもやっぱり好きです」
 胸がズキっとした。徹底的にマヤに嫌われる為にはどうしたらいいのか。
「ちびちゃん、やめろ」
「やめません。あたしは速水さんが好きです。何度だって言います」
「やめろ!君は勘違いしてるだけだ!」
 感情的に叫んでた。これ以上好きだと言われたら拒めなくなる。
「君が俺を好きなのは俺が紫の薔薇の人だと知ったからだ。本当に俺が好きな訳じゃない」
「なんでそんな事言うの!」
 感情的な声が耳を叩きつけるように響いた。
「だったら俺が紫の薔薇の人じゃなかったら、君はどうする?」
「えっ」
 マヤが押し黙る。
「冷静になれ。君の年ぐらいだと感謝の気持ちが簡単に恋になってしまうんだ。君が俺へ抱いた気持ちは恋じゃない」
「そんな事……ない」
「あるよ。俺は君の母親を殺したんだ。墓前でお母さんに俺の事が好きだって言えるのか?君たち親子を引き裂いたこの俺を本当に許せるのか?」
 洟をすすりあげるような声が聞こえ、マヤのやり場のない苦しさが伝わってくる。
 傷つけたくないのに傷つけてしまう。こんな自分が心底嫌になる。
「ちびちゃん、俺を憎め」
「嫌です。速水さんを憎むぐらいなら、死んだほうがまし」
「何を言ってるんだ!」
「あたしがどんなに好きだって言っても速水さんはわかってくれない。苦しいです。生きていたくないって思うぐらい」
「バカな事言うんじゃない。君には紅天女があるだろ!」
「もうどうでもいい。さよなら、速水さん」
 電話はそこで切れた。
「おいっ!」
 すぐにマヤの住むアパートに電話するが、誰も出ない。
 まさか本気で言った訳じゃないと思うが、楽観視も出来なかった。
 17才という年齢はとても傷つきやすい年頃だ。どんな事にも挫けないマヤでも、もしかしたらという可能性はある。
 マヤを追い詰める事になるとは計算外だった。
 上着を掴んで部屋を出た。明日も朝から予定が詰まっていたが、それどころではない。
 今すぐ東京に帰らなければ。
 一階に降りてフロントで飛行機と新幹線の最終を聞いたが、既に終わっていた。
 こうなったらタクシーだ。朝には東京に着く。迷ってる暇はなかった。



 大阪から東京までおよそ500キロの距離を夜通し走り、午前五時半にマヤのアパートに着いた。
 早朝である事も忘れ、ドタバタと階段を上って、マヤの部屋のドアを叩いた。
 ドアが壊れそうになる程叩くと、ガチャリと鍵が開く音がした。
「なんですか?」
 眠そうな顔をした青木君が出て来た。
「速水さん!」
 俺の顔を見て青木君が大げさに眉毛を上げた。
「マヤはいるか?」
「え、マヤ……寝てるんじゃないんですか」と言って青木君は部屋の方を見た。
「あれ、マヤ?」
 嫌な予感がした。
「ちょっと失礼」
 部屋にあがって二枚布団が敷いてある八畳間を見た。
 青木君は慌てて、マヤの布団に駆け寄って、掛布団をめくるが、身代わりのように枕が寝てるだけだった。
「マヤがいない」
 青木君の顔から血の気が引いて行く。
「速水さん、一体どういう事ですか?どうしてマヤがいないんですか?」
「俺のせいだ。電話でマヤは死んだほうがましだって言ったんだ」
「そんな……」
 青木君が手のひらを顔にあてた。
「とにかく心当たりを探そう」
 俺はアパートを出た。





 水城君にも連絡して動かせる人員は出来るだけ動かした。
 マヤが住んでいた横浜のラーメン屋、通っていた学校や同級生、母親の墓をあたらせたがまだ行方はわからなかった。
 もうこんな思いはしたくないと思ったのは二度目だ。
 一度目はマヤが乙部のりえにハメられて行方不明になった時だった。
 あの時も生きた心地が全くしなかった。部下からの報告を聞く度に心臓に針が刺さるようだった。
 今はもっと苦しい。あの子を追い詰めた原因が俺にあるのだから。
「お待たせしたわね。真澄さん」
 アクターズスタジオの応接室に月影千草が現れた。
 いつもと変わらない黒いワンピース姿で。しかし表情は普段よりも険しい。
「月影先生、申し訳ありませんでした!」
 月影の顔を見るのが怖かった。大事な弟子に手を出して傷つけたのだから。
「あなたでも謝るのね」
 意外そうな目を向け、月影は小さく笑った。
「それでマヤがいなくなったのは、わたくしの提案を飲んでくれた結果という事かしら?」
 月影が厳しい目を向けてくる。
「はい。別れ話を切り出しました。しかし僕の言い方が不味かったのか、マヤを傷つけてしまいました」
 伊豆の別荘で過ごした日、マヤと別れなければいけないと思った。
 マヤが本当に求めているのは紫の薔薇の人であって、俺自身ではないと思ったからだ。
 けれど、マヤと別れたくない思いもあった。
 俺の迷いを打ち消すように伊豆から帰った日、月影千草に呼び出された。
 月影は片山なみが持って来たホテルでの俺とマヤの写真を持っていた。
 俺は写真の真相を問われ、マヤと付き合っている事を認めた。
 そして、当然のように月影に交際を反対された。マヤの為に別れて欲しいと言われ、拒む事は出来なかった。
「本当に、こんな事になってしまって申し訳ありません」
 膝に両手をつき、深く頭を下げた。
「別れさせようとしたわたしにも責任はあります。それに、わたしはマヤを信じてます。
あの子はこんな事でへこたれるような子ではありません。それよりも」と言って、月影は俺に頭を上げるように言った。
顔を向けるとじっと値踏みするように見つめられ、居心地が悪くなる。
「何ですか?」
「あなたがわたくしの言う事を簡単に聞いてくれるとは思いませんでした」
「僕もあの子を潰したくなかったんです。出来る事ならあの子に紅天女を演じてもらいたい。これは本音ですよ」
「あなたがマヤに近づいたのは紅天女の上演権を手に入れる為だと思ってましたけど、純粋にマヤを好きという事かしら?」
 月影の言葉に頷いた途端、体中がカーッと熱くなった。
 大都芸能の速水真澄が11も年下のマヤに本気で恋してる。それは世間的には許される事ではない。
「高校生のあの子に抱いてしまった気持ちは許されるものじゃない事はわかってます。だから、最初はマヤに好きだと言われた時は
何があっても突っぱねるつもりでした。でも、気持ちをぶつけてくるあの子を最後まで拒否する事は出来なかった」
「それは相手の魂を乞うる力……年も姿も身分もなく出会えばたがいに惹かれあい、もう半分の自分を求めてやまぬという」
「え?」
「紅天女のセリフの一節です。本物の恋というのはどんなに立場が違っていても、魂と魂が響きあい互いにとってかけがえのない相手だという事が理屈抜きでわかるものです。
紅天女の恋はまさにそういう恋を描いた作品なんです。もしかしたら真澄さんと、マヤは魂のかたわれなのかもしれない」
「魂のかたわれ……」
「マヤもういいわ。出て来なさい」
 月影の言葉に隣の部屋のドアが開いた。
 まさかという思いで戸口を見ていると、マヤの姿があった。
「月影先生!これはどういう事ですか!」
 ほっとするのと同時に怒りが込みあがる。マヤの居場所を知りながら黙ってたなんて許せない。
「あなたに気持ちをわかってもらえなくて、どうしたらいいかわらかないと昨夜マヤが訪ねて来たんです。マヤの話を聞いて本気だという事がわかりました。
だから、真澄さんの本当の気持ちを知る必要があったんです」
「僕はあなたに試されたという訳ですか」
 煙草が欲しいと思った。今、言った事は全てマヤに聞かれたかと思うと罰が悪い。
「そういう事になりますね」
 高らかに月影が笑い出す。
「後は二人でお話しなさい」
 月影が席を立った。
「真澄さん、本物の恋ならわたくしは反対しません。紅天女の恋を演じるにはいい勉強になりますから。けれど、節度ある交際をして下さい。
今後、ホテルで写真を撮られるような事はないように」
 月影が釘をさすように最後に俺を見る。
 片山なみを恨みたくなった。俺への嫌がらせとして月影の所に写真を送ったのなら大成功だ。
「わかりました。月影先生にご心配をかけるような事はしません」
 俺の言葉を聞くと月影は応接室を出て行った。マヤと二人きりになる。
「そんな所に突っ立ってないで座ったらどうだ」
 戸口に立ったままのマヤを見た。マヤは俯いたままでいた。
「ちびちゃん?」
 立ったままの彼女に近づき、顔を覗き込むと唇を噛みしめ、涙を堪えているように見えた。
 目と目が合った瞬間マヤは決壊したダムのようにわんわんと声をあげて泣き出した。
 胸がいっぱいになった。きっと不安な気持ちで、ドアの外で俺の言葉を聞いてたんだろ。
「ごめん。悪かった」
 それ以上の言葉が出て来なかった。
 泣きじゃくるマヤをずっと抱きしめていた。
 



 マヤの失踪騒ぎから一週間後、俺はカンパニュラを持って北島さんの墓に行った。
 今日は月命日ではなかったが、マヤの事で許しを乞いに来た。
 娘さんを僕に下さいと墓前で言うつもりだった。
 許してくれるかはわからないが、それが今の自分に出来る全てのような気がした。
 墓に着くといつものように掃除をし、線香に火をつけた。薄っすらと白檀の香りが辺りに漂い始める。
 墓と向き合う姿勢でしっかりと手を合わせ、故人を思った。
 一度も会った事がない人。だけど、きっとマヤに似てる部分があるんだろう。
 北島さんは俺をやっぱり恨んでるだろうか。憎んでるだろうか。
 段々自信がなくなってくる。娘さんを下さいなんて言える訳がない。
 本当に取り返しのない事をしたと、ここに来る度に思う。こんな俺が大事な娘さんをもらっていいんだろうか。
 ダメだ。やっぱりマヤとはつきあえない。
 そう思って帰ろうとした時、後ろにマヤが立っていた。
「ちびちゃん、どうしてここに」
 マヤは制服姿だった。
「会社に行ったら、水城さんから速水さんがカンパニュラの花束を持って出かけたって聞いたんです」
「そうか」
「ねえ、速水さん。そんなに自分を責めないで下さい。本当に悪いのは速水さんじゃありません。あたしが芝居をしたくて家を出たから母さんは死んだんです」
 マヤの言葉を聞いてハッとする。彼女がそんな想いを抱えていたなんて知らなかった。
「母さんが亡くなったばかりの時は速水さんのせいにしてしまったけど、本当は違うってわかってました。あたしがいけないんだって認めるのが怖かったんです」
 マヤの横顔は悲しさを押し殺したように見えた。マヤの中にもいろんな葛藤があった事を初めて知る。
「母さんの反対を押し切ったあたしがいけないんです」
「そんな事ない!君の活躍を喜んでたってトラックの運転手が言ってたじゃないか。それに君の映画を観ながら亡くなったんだ。反対してたら映画なんて観ないはずだ」
「速水さん、ありがとう。やっぱり優しいですね」
 マヤが顔をこちらに顔を向け、寂し気に笑った。
「いつもカンパニュラありがとうございます」
 供えた花にマヤが視線を向けた。
「いや。俺にはこれぐらいしかできないから」
「きっと、母さんもこうして毎月花を供えに来てくれる人がいて、喜んでると思います。だらか速水さん、もう責めないで下さい」
 そう言ったマヤが大人びて見えて、ドキッとした。
「それから速水さん、ごめんなさい。好きって気持ちをぶつけるだけぶつけて、あたしちっとも速水さんの事考えてなかった」 
 マヤが真っ直ぐな視線を向けてくる。そして口を開いた。
「高校生のあたしと付き合う速水さんが世間からどんな目で見られるかなんて全くわかってなかったです。速水さん、社長さんだから、立場とかいろいろあるんでしょ?」
「……マヤ」
「だから、これでさよなら」
 笑顔を浮かべたマヤが無理に笑ってるように見えた。
「じゃあ、お元気で」
 何か言おうとした所で、マヤが突然走り出した。
 追いかけようと足を一歩踏み出すが、マヤが俺の事を想い、苦渋の決断をしたかと思うと、次の足は出せなかった。
 頬に冷たい滴を感じて空を見上げると雨の降り始めが見えた。
 始まりも雨なら、終わりも雨……。
 まるで通り雨のような恋だった。だけどこの恋をただの通り雨にする気はない。
 雨に濡れながら心が決まっていくのがわかった。
 そしてもう一度北島さんの墓の前で手を合わせた。

「いつか娘さんを僕に下さい。必ず幸せにします」


つづく(次回最終話)
 
 



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2016.10. 31





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