優しい月に流れ星―Act.2 事件前―

AUTHOR たまニャン



真澄の裸の胸に頭を預けたマヤは、ひとつため息をついた。

「何だ?マヤため息なんかついて」

マヤの漆黒の髪を指先で弄びながら真澄が聞いた。

「え?ため息なんて・・・これは違います」

「じゃあ、何だ?」

「う、これは同じため息でも、幸せなため息なんです」

「そうか?」

「うん、そう。だってあたし今すごく幸せなんです」

「本当にそうか?」

「はい」

「なら、いい」

「ただ・・・」

「ただ・・・、なんだ?」

「あたし、ちゃんとお母さんになれるかなって」

「大丈夫だよ、マヤが今幸せなら、産まれて来る子供だって幸せな筈だ。
ちゃんとしたって言うのは良く解らんが、俺だって不安はある。が俺に出来ることなら全力でやろうと思ってるよ」

「うん」

「まずは、この子とマヤの為、及び社員の為に仕事に全力だな」

「フフ、相変わらずの仕事虫なんだから」

「仕方ないだろう、社員を路頭に迷わせる訳にはいかない」

婚約解消による損失を補填する為、真澄が主体となって人事異動、戦略の見直し、
新たな提携などを繰り返し、大都はグループ全体を通して弱点の少ない骨太の会社に変わっていた。
真澄は役員会に請われる形で、大都芸能社長から大都グループの会長に就任しようとしていた。

「今度の出張が、大都芸能社長として最後の仕事だからな」

「ん、気を付けて。それと、ひとつお願いがあるの」

「なんだ?」

「この子の名前、考えておいて」

「分かったよ」

真澄はマヤの大きくせり出したお腹に手をやり、子供の存在を確かめた。





珍しく、英介が夫婦の食卓に顔を出した。

「どうかね、マヤさん調子は」

「はい、順調です」

「予定日はいつだったかな?」

「2週間後です」

「そうか、大事にして下さいよ。
真澄、お前の出張はいつまでだ?」

「10日間です、その間マヤを頼みますよ」

「ああ、お前が間に合わなかったら、儂が付いてやる」

「お父さん」「御父様」

真澄とマヤが、同時に叫ぶ。

冗談だ、と英介は笑い飛ばしたが、側に控えた朝倉は、

(やりかねない)

と思うのだった。

「まあ、せいぜい気を付けて行くんだな。今は世界情勢があまり良くない」

「ええ、今回は聖も同行させますよ」

「・・・そうか」

聖には真澄が結婚した時、真澄の大都グループ会長就任を見据えて、戸籍を取らせた。
聖は今のままで良いと言ったが、大都グループ会長の特別補佐官として雇い入れてある。
大都芸能に限らず活動している真澄と共に、海外に行く事も多かった。


「じゃあ、行ってくるよ、マヤ」

マヤと朝倉が見送りに出る。

マヤがブリーフケースを手渡すと、真澄がマヤに口付ける。

最初は驚いた朝倉だったが、
(もう・・・慣れた)

(?今朝はやけに、長い・・・)

と、見るとマヤが真澄のスーツの襟を掴んで離さない。

「ヤダ、行っちゃやだ」

「どうしたんだ?マヤ。いつもと同じ出張じゃないか」

「でも、何だかイヤなんです」

真澄は宥めるようにマヤの頭に手を乗せる。

「もうすぐ、母親に成ろうというのに、そんな幼いことでどうするんだ、マヤ。昨日は平気だったじゃないか」

「だって・・・」

まだ、言い募ろうとするマヤを制し

「大丈夫だ、マヤ。必ず帰って来るから。約束するよ。俺は約束を守る男だろ?」

「はい」

「じゃあ、行くぞ。それと俺が帰るまでは、産むなよ。親父に先を越されたく無いからな」

「何それ。そんなの、自分じゃあどうにもなりません!」

いつもと変わらない、朝の風景だった。

・・・to  be  continued

番組の途中ですが、緊急ニュースをお伝えいたします。

ただいま、入ってきたニュースです。

ペルーの首都リマ市郊外で、日本のテレビ局の撮影スタッフや番組出演者らが強盗に遭い、
撮影機材を奪われ、更に視察に訪れていた芸能会社社長が、拉致されたとの情報がはいりました。

現地支局員に拠りますと、現地時間の今日、午後2時半ごろ、番組スタッフらが同市内の劇団スタジオで撮影中、
3人組の武装した強盗が、銃を乱射しながら侵入。出演者らに銃口を向け数発を威嚇射撃し、
視察に訪れていた大都芸能社長を人質に取り、白いワゴン車に乗り逃走。
現場には番組関係者のほか、地元の子供達や劇団員など約20人が居り、
撮影カメラ3台、マイク、レンズなど撮影機材も全て奪われた事がわかりました。

現場はリマ市の郊外で、一部地域において治安が悪化していました。

その後、武装グループの犯行声明が動画サイトに発表され、身代金の請求があった模様です。

詳しい情報が入り次第、またお知らせ致します。


テレビから流れるニュースを聴きながら、マヤは先程から続く身体の震えが一層強くなるのを感じた。

「マヤちゃん、大丈夫?」

水城がマヤの震える手をしっかり握ると、マヤは瞳を見開き大粒の涙を流した。

「マヤさん、しっかりするんだ」

その場で同じくテルビを観ていた英介も声を掛けるが、マヤの視線は定まらず、
ただ、ただ涙を流し糸が切れた人形の様に崩れ落ちた。

「マヤちゃん!」
水城はマヤの華奢な身体を抱き抱えた。

(無理もない・・・)

先日、イスラ??国による邦人人質殺害事件がニュースになったばかりである。
大都芸能に寄せられた第一報を聞いた時、水城にも最悪の事態が頭に浮かんだのだ。

報告と英介の指示を仰ぐため、とるものも取り敢えず速水邸に駆けつけた水城であった。

「おい、朝倉、車を用意しろ!外務省に出向く」

英介が側に控える執事に指示をだす。

「しかし、御前。先程からマスコミが詰め掛けて居りますが・・・」

「警察に連絡して規制を掛けろ!」

犯行声明は、YouTubeにアップされた為、報道規制は間に合わなかった。
その画像には、後ろ手に拘束された真澄本人と思われる姿が映っていた。


速水邸の前にはカメラやマイクを持ったマスコミの取材陣が、ごった返している。

「電話では拉致があかん。外務省に出向き今後の方針を定める!水城!マヤさんを頼む!」

そう言っている合間にも、チャイムが引っ切り無しに鳴らされ、普段は閑静な高級住宅街が蜂の巣を突いた様な騒ぎになっていた。

「ええい!待ってられん!早く車をだせ!」

今出て行けばマスコミに捕まるのは、目に見えている。しかし、手をこまねいている場合でも無かった。

「御前、せめて警察が来るまでお待ちください!」

「うるさい!早くせんか!」

苛立つ英介は、ドンっと車椅子の肘掛けに握り拳を叩きつけ、眼光鋭く朝倉を睨めつけた。

「は、はい」

朝倉は英介に根負けし、車椅子を反転させると、玄関先へ向かおうとした。

「待って!待って下さい、御父様。あたしが行きます。あたしに、行かせて下さい・・・」

マヤだった。

「駄目よ、マヤちゃん。あなたそんな身体で、どうしようっていうの?」

それまで身体に全く力が入らず、生きる屍の様だったマヤが水城の胸元でもがいた。

「マヤさんは、ここで待っておって下さい。おい、朝倉!」英介は、構わず出て行こうとする。

マヤが、水城の制止を振り切り、英介の膝に縋り付く。

「お願いです。御父様、あたしが行きますから、御父様はその隙に裏口から、出て下さい・・・!」

「しかし・・・」

「私が、速水真澄の妻です!お願いです、やらせて下さい!」

「マヤさん」「マヤちゃん」

英介と水城が顔を見合わせた。

「本当に、大丈夫?マヤちゃん」

「ありがとう、水城さん・・・
大丈夫、大丈夫ですから」

涙を拭き、身なりを整える。
顔色は青ざめ、手も震えたままだ。
それでも、気丈に出て行く。


ピンポーン、ピンポーン。
「チッ、無しの礫かよ」
「誰か出て来いよな」
「使用人でも良いから、コメントとれねーかな」

玄関前に集まったマスコミは、収まりそうに無かった。

と、その時、

ガチャリ

と、玄関のドアが開いた。

「あ、おい!出て来たぞ!」
「北島マヤだ」
「カメラ、こっちだ!」
「えっ??」

姿を現した、マヤを見てそこに集まった報道陣は皆、一様に黙り込んでしまった。

北島マヤと言えば、紅天女の舞台、朝の連続ドラマ出演、大都芸能社長との結婚などなど、
話題に事欠かない女優であったが、人気の絶頂期に突然休業を発表していた。

そして、久しぶりに彼女を見てその理由が解った。ゆったりした服を着ているにも関わらず、腹部が異様にせり出していたからだ。
もう、出産間近に思われた。

「みなさん」

はっと呪縛から解かれたようにカメラのフラッシュが焚かれ、マイクが次々と差し出された。

「北島さん!コメントお願いします!」
「犯行グループからその後連絡はありましたか?」
「身代金は払われるんでしょうか?」
「社長の安否については?」
「大都の株価が下がってるそうですが・・・」

矢継ぎ早に質問が飛ぶ。

「みなさん、どうか落ち着いて下さい。今のところ、発表されている状況に変わりはありません。
ですが、速水も、大都もご心配には及びません」

「どうして、そんな事が言えるんですか?安否の確認は取れたんですか??」

「いいえ、まだです」

「じゃあ、身代金を払うって事ですか?」

「それについては、お話し出来ません」

「じゃ、何で・・・」

質問をしようとした者を、キッと目線で制すと、

「第一に、大都は速水ひとりの会社ではありません。優秀なスタッフが沢山おりますし、英介もおります。
速水が居なくとも揺らぐ事はありません。第二に速水は必ず生きて戻ります」

と言い切った。

「速水真澄が、北島マヤを、そして・・・この子を残して逝く訳がありません」

マヤは大きくなったお腹に手をやり愛おしそうに微笑んで見せた。

それは、女優北島マヤでも、素顔のマヤでも無い、速水真澄の妻、速水マヤの姿であった。

その場がシンと静まりかえる。皆圧倒されていたのだ。

それを見てとった水城が、充分時間を稼いだと判断し、マヤの手を引いた。

「良くやったわ、マヤちゃん。立派だったわよ。さ、後は御前にお任せしましょう」

マヤを庇うようにしてドアを閉めた。


大都芸能社長誘拐のニュースと、マヤのその時の映像は、瞬く間に日本中に広まったのである。

・・・to  be  continued


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